百詩篇第4巻8番


原文

La grand cité1 d'assaut2 prompt3 repentin4
Surprins de nuict, gardes5 interrompus :
Les excubies6 & veilles7 saint8 Quintin9
Trucidés10, gardes & les pourtails11 rompus.

異文

(1) cité : Cité 1672
(2) d’assaut : dassaut 1672
(3) prompt : pront 1649Ca, promt 1650Le 1668
(4) repentin 1555 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1672 1840 1981EB : & repentin T.A.Eds.
(5) gardes : garde 1611 1981EB
(6) excubies : execubies 1588Rf, excubiés 1589PV, Excubies 1672
(7) veilles : veille 1557B
(8) saint : Saint 1672 1772Ri
(9) Quintin : Quentin 1557B 1588Rf 1611B 1627 1630Ma 1672 1981EB
(10) Trucidés : Trucides 1627, Tricidez 1668P
(11) pourtails : portalz 1557B 1589PV, portals 1590Ro, portails 1588Rf 1589Me 1597 1600 1605 1610 1611B 1627 1628 1630Ma 1644 1649Ca 1649Xa 1650Le 1653 1665 1668 1716 1981EB, Portails 1672

(注記)1589Rg は比較していない。

校訂


日本語訳

大都市は突然の急襲で
夜に驚かされ、歩哨が中断される。
聖クインティヌス(の日)、(祝日の)前夜、宵課(の頃に)、
歩哨たちは惨殺され、門扉は破られる。

訳について

 1行目 repentin はラテン語 repantinus のフランス語化で「突然の、不意の」の意味*1百詩篇集では他に登場していないが、暦書の方では(語源の repentinus も含めて)複数の使用例がある*2

 3行目 excubie はラテン語 excubiae (目を覚ましていること、見張り、哨戒)のフランス語化。ピエール・ブランダムールは「夜間の聖務日課」(service religieux nocturne)と注記しており*3高田勇伊藤進訳では「宵課」となっている*4
 同じく 3行目の veille は普通ならば単なる「前夜」の意味だが、vigile と同語源の言葉で「祝日の前夜」の意味がある。ブランダムールは vigile と釈義しているが、これはカトリック用語では「(祝日の)前日、徹夜」と訳される*5
 後述するように、「前夜」は聖クインティヌスの日の前夜を指すのか、聖クインティヌスの日が(万聖節の)前夜に当たっていることを指すのかが不鮮明であり、どちらの解釈もありうる。そのため、少々たどたどしくなってしまったが、どちらとも解釈できるような訳にした。

 高田・伊藤訳では2行目の gardes は「警邏」、4行目の gardes は「警邏隊」と訳し分けられている。実際、文脈からすれば2行目の garde は見張りの行為を、4行目のそれは見張る者を指していると見るべきだろう。高田・伊藤訳からあまりにも訳語を借用しすぎるのも何なので、「警邏」と同じように行為と行為者の両方を指す「歩哨」をあてた。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「夜に驚いて 見張は打ち鳴らしながら」*6は後半が誤訳。元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳は being beaten となっていたのに対し、大乗訳はそれをなぜか能動態で訳しており、原文から随分と離れてしまっている。
 3行目「宮廷の番人とセント・クエンティンの見張りが」は excubie の処理の仕方が疑問。そもそも根拠のよく分からないロバーツの英訳自体が、 court of guard と、大乗訳とは逆になっている。

 山根訳について。
 3行目 「サン・カンタンの番人も見張りも皆殺し」*7は、excubie も veille もラテン語に遡ると、寝ずにいること=番をすること、の意味を導けるので、「番人」「見張り」といった訳語を導けないわけではない。実際、マリニー・ローズジャン=ポール・クレベールはその意味に理解している(クレベールの場合、excubies を昼の見張り、veille を夜の見張りと理解している)。しかし、現在では前記のブランダムール、高田・伊藤以外にも、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらが祝日の前夜やその宗教行事の意味に訳しており、当「大事典」はそちらに従った。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、フランス軍がスペイン軍に大敗したサン=カンタンの戦い(1557年)と解釈した*8


 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は近未来の戦争におけるパリとサン=カンタンの被害を予言したものと解釈し*9アンドレ・ラモン(1943年)も類似の解釈をした*10

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、サン=カンタンが第一次世界大戦で壊滅的被害を被ったことと結びつけた*11。同様の解釈はヴライク・イオネスク(1976年)も展開し、ルーデンドルフ攻勢(1918年)の一環としてのドイツ軍によるサン=カンタン攻略と解釈した*12

 エリカ・チータム(1973年)は、戦いの描写はまったく一致しないが、サン=カンタンの戦い(1557年)での都市の陥落自体は的中させたとした*13ジョン・ホーグ(1997年)やネッド・ハリー(1999年)は何の留保もつけずにサン=カンタンの戦いと解釈した*14

 セルジュ・ユタン(1978年)は1914年のドイツ軍によるリール占領ではないかと、疑問符付きで提示した*15。この解釈はボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)でも変更はなかった*16

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は前半をサン=バルテルミーの虐殺(1572年)、後半をサン=カンタンの戦い(1557年)と解釈した*17

懐疑的な見解

 エドガー・レオニはサン=カンタンの戦いに言及し、詩の情景と一致する出来事が全くなかったことを指摘していた*18。上のチータムの解釈は、明らかにレオニの指摘を踏まえた上で展開されたものである。
 しかし、単なる都市の陥落だけの予言であれば(まして時期の指定もないのだから)、国境付近の要衝でそのような衝突が起こりうることなど、比較的容易に推測できるのではないだろうか。

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは3行目を祝日に関連づけた期日の指定と理解している*19
 ガリアの聖クインティヌスは3世紀の殉教者であり、その祝日は10月31日であるが、ノストラダムスの暦書においては10月31日としているもの(英訳版1559年向けの占筮)と10月30日としているもの(1566年向けの暦)が混在している。また、ノストラダムスの暦書においては、10月31日は(3行目の veille と同じ意味の) vigile (祝日の前夜)とされている。すなわち万聖節(諸聖人の祝日、11月1日)の『前夜』、日本でもおなじみのハロウィンということである(ただしハロウィン・パーティの類はキリスト教の公式な祝祭ではない)。
 ゆえにブランダムールは、3行目が「万聖節の前夜であり、聖クインティヌスの祝日である10月31日」もしくは「聖クインティヌスの祝日の前夜である10月30日(または29日)」のいずれかを指すと推測した。
 ブランダムールは更にもう1つの全く別の可能性として、ガリアの聖クインティヌスとは別の、アルメニアの殉教者・聖クインティアヌス (Saint Quintien) の祝日を挙げた。ノストラダムスの暦書ではその祝日は3月29日(1563年向けの暦)ないし3月31日(1565年向けと1566年向けの暦)とされている。もしもこちらを指すのだとすれば、3行目が示しているのはそれらの前日、すなわち3月28日ないし30日ということになる。

 高田勇伊藤進訳では、10月末の可能性のみが紹介され、3月末の可能性は省かれた*20リチャード・シーバースも同様で、10月31日とだけ特定されており、3月末への言及はない*21。逆に、ピーター・ラメジャラーは2003年の時点では3月30日と特定しており、10月末には言及していなかった。

 ただ、いずれにせよ、こうした論者の誰も、事件のモデルなどについては言及していない。ラメジャラーは2010年には時期の指定自体取り払い、「出典未特定」としか書いていない。


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最終更新:2015年10月13日 00:35

*1 Brind'Amour [1996]

*2 ibid.

*3 Brind'Amour [1996]

*4 高田・伊藤 [1999]

*5 倉田・波木居『仏英独日対照 現代キリスト教用語辞典』

*6 大乗 [1975] p.125。以下、この詩の引用は同じページから。

*7 山根 [1988] p.149 。以下、この詩の引用は同じページから。

*8 Garencieres [1672]

*9 Fontbrune (1938)[1939] p.187, Fontbrune (1938)[1975] p.194

*10 Lamont [1943] p.190

*11 Roberts (1947)[1949]

*12 Ionescu [1976] p.390

*13 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*14 Hogue (1997)[1999], Halley [1999] p.7

*15 Hutin [1978]

*16 Hutin (2002)[2003]

*17 Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] p.73

*18 Leoni [1961]

*19 Brind'Amour [1996]

*20 高田・伊藤 [1999]

*21 Sieburth [2012]