詩百篇第1巻55番


原文

Sous l'opposite1 climat2 Babylonique
Grande3 sera de sang effusion,
Que terre & mer4, aïr5, ciel6 sera inique:
Sectes, faim7, regnes8, pestes9, confusion10.

異文

(1) l'opposite : lopposite 1672Ga
(2) climat : Climat 1712Guy
(3) Grande : Graade 1589Rg, Grand 1612Me
(4) terre & mer : Terre, & Mer 1672Ga, Terre & Mer 1712Guy
(5) aïr 1555 1568B : air T.A.Eds.(sauf : aır 1568C 1589PV 1597Br 1611A 1611B, Air 1672Ga)
(6) ciel : Ciel 1568C 1589PV 1590SJ 1611B 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga 1712Guy 1716PR
(7) faim : Faim 1672Ga
(8) regnes : Regnes 1672Ga 1712Guy
(9) pestes : Pestes 1672Ga, peste 1612Me 1716PRc
(10) confusion : Confusion 1672Ga, confussion 1716PRa

  • (注記1)1568A, B, C, 1589PV のair は不鮮明。1568A, Bはかろうじて読み取った結果を元に分類したが、1568C, 1589PV, 1597Br, 1611は依拠したコピーの ı の上の点が全く見えないため、そのように分類した。

校訂

 エヴリット・ブライラージャン=ポール・クレベールは4行目の regnerogneの誤記の可能性を示した。

日本語訳

バビロンの風土の反対側で、
血の流出が甚だしいだろう。
大地と海、そして大気と空に不正があるだろうから。
諸宗派、飢餓、諸王国、悪疫、混乱。

訳について

 エルヴェ・ドレヴィヨンらが2行目について「統語法が混乱した文」と評しているように*1、若干注意すべき点はあるものの、単語や構文の理解上で難しいところはほとんどない。
 1行目 Babylonique という形容詞はフランス語にはないが(「バビロンの」を意味するフランス語は Babylonien)、エドガー・レオニはラテン語で「バビロンの」を意味する Babylonicus からと理解している。実際のところ、この語が「バビロンの」の意味であることに異論を挟む論者は見当たらない。
 3行目の Que は多様に訳しうるが、高田勇伊藤進訳が「理由」の意味に捉えているため、ここではそれに従った。
 4行目は単なる名詞の羅列。sectes と regnes はそれぞれ複数であることを示すために「諸」をつけたが、pestes の場合は複数にして訳すことが馴染まないように思えたため、ペストに限らない類似の伝染病群ということで「悪疫」とした。
 高田・伊藤訳やリチャード・シーバースの英訳のように、言葉を補わずにそのまま羅列として訳出している例があるので、ここでもそれに従った。ピエール・ブランダムールの釈義では「諸宗派と諸王国とに、飢餓、悪疫、混乱」*2となっている。他方、ピーター・ラメジャラーの英訳では「諸宗派には飢餓、諸王国には悪疫と混乱」*3となっている。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「血の大混乱があるだろう」*4は誤訳だろう。effusion が「混乱」となる語学的理由が不明である。
 3行目冒頭の「その結果」、4行目後半の「~があるだろう」は補われたものだが、意訳として許容されるものと思われる。前述の通り、que は多様な意味があるので、2行目を受けた結果を示していたとしてもおかしくはない。

 山根訳について。
 3行目 「地上でも海中でも大気中でも 空は不当に見えるだろう」*5は、そういう訳も出来なくはないだろうが、& の位置から、2つに分けるとすると、「陸と海」「大気と天」に分けるのが普通であろう。エドガー・レオニエヴリット・ブライラー、ラメジャラー、シーバースらの英訳はいずれもそういう分け方を採用している。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「バビロンの反対側」が何を意味するのかを除けば、難しいところはないとコメントしたが、その場所がどこを意味するのかについては何もコメントしなかった*6
 バルタザール・ギノー(1712年)は、なぜか「反対側」にはコメントせず、この詩はバグダッドを主都とするアジア(この場合おそらく西アジアから小アジア)と近東全域の人々についての予言とした*7

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、バビロンを混乱の隠喩として、混乱に対抗する戦いと解釈したが、それ以外の箇所はほとんどそのまま言い換えているに過ぎないので、未来の戦争の一場面と理解しているという以上のことは読み取れない*8
 アンドレ・ラモン(1943年)とロルフ・ボズウェル(1943年)は、解釈時点で継続中だった第二次世界大戦の情景と解釈していた*9

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)はバビロニアの反対は太平洋の土地であるとし、そこに起こるであろう破局と解釈した*10。なお、その日本語版では、ロバーツが太平洋戦争と解釈したかのように書かれているが、原典のロバーツの解釈では「太平洋戦争」(であれ、他の戦争であれ)は特定されていないし、破局は過去に起こった出来事としてでなく、現在形(「約束されている」)で書かれている。
 のちのロバート・ローレンスらの改訂(1994年)では、上の解釈に加え、エイズが予言されていたとする解釈が足されている*11

 エリカ・チータム(1973年)は全体が漠然とした詩であるとしつつ、air の使用は未来における飛行機を使った移動を想起させると指摘した*12。これは後の著書でもほとんど変わらなかったが*13、彼女の著書の日本語版(1988年)では、20世紀末の核戦争による寒冷化とする原秀人の解釈に差し替えられた*14

 ヴライク・イオネスク(1976年)は「バビロン」をアンリ2世への手紙に登場する「大バビロン」(イオネスクはこれをロシア革命と解釈した)と結びつけ、北西ロシアと解釈し、ユーラシア大陸におけるその反対の気候は東南アジア、なかんずくベトナムを指すとした。ゆえにイオネスクはこれをベトナム戦争の凄惨さの予言と解釈した*15

 セルジュ・ユタン(1978年)は「中東での紛争」と、簡潔なコメントで片付けている*16ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、湾岸戦争(1991年)とする解釈に差し替えられている*17

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年のベストセラーでは何も解釈していなかったが、後の著書(2006年)では、イラン=イラク戦争(1980年 - 1988年)と解釈し、エイズの流行についてもあわせて予言されていたとした*18。彼の解釈では、バビロンはイラクであり、それと反対した場所はイランを指す。

同時代的な視点

 エドガー・レオニは中世エジプトのカリフとバビロンのスルタンについての表現を元に、「バビロン」をおそらくエジプトの隠喩だろうとしつつ、パリの隠喩とするヒュー・アレンの解釈も紹介した*19

 ルイ・シュロッセ(未作成)は神聖ローマ皇帝カール5世のチュニス侵攻(1535年)をモデルと見なした*20

 ピエール・ブランダムールは climat は緯度帯を指すのが普通とし、「バビロンの風土(緯度)の反対側」で南緯が想定されているならば、当時のブラジル植民地が念頭にあったのではないかとした*21
 ブラジルへは1500年にポルトガル人が到達しており、ノストラダムスがこの詩を書いた時期には黒人奴隷を使ったプランテーションが勃興しつつあった。ブランダムールは特にコメントしていないが、もしもブラジルが想定されているのなら、新大陸での白人の進出による混乱や掠奪・虐殺行為などがモデルになっている可能性はあるだろう(スペイン人によるインカ帝国滅亡は1533年)。
 他方でブランダムール自身が認めるように、ノストラダムス自身の他の書き物で、(少なくとも直接的に)ブラジルに言及したものはない。

【画像】 ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』。新大陸での蛮行を告発した同時代の資料(1552年初版)

 ピーター・ラメジャラーは opposite をラテン語 oppositum からとし、「近く、隣接」(near, next)の意味に理解し、「反対」とは訳していない(もっとも『羅和辞典』を参照する限りでは oppositum も「対立、対置」を意味するものと思われる)。
 ラメジャラーは『ミラビリス・リベル』に描かれたキリスト教諸国とイスラーム勢力の衝突がモデルであろうと推測している*22
 ただし、それならば、あえて「バビロンの反対」を「バビロンの近く」等と訳さなくてもよいように思われる。バビロンは神の敵の隠喩として使われてきたのだし、16世紀フランス人の認識では、地理的にも象徴的にもイスラーム勢力を指す表現として、そうおかしなものではない。その「反対側」はつまり神の側、欧州のキリスト教諸国ということで、イスラーム勢力の侵攻によって欧州で惨劇が起こるという『ミラビリス・リベル』のシナリオとも整合するだろう。


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詩百篇第1巻
最終更新:2018年08月28日 19:47

*1 ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] p.43

*2 Brind'Amour [1996] p.127

*3 Lemesurier [2010] p.102

*4 大乗 [1975] p.59。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.58。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Garencieres [1672]

*7 Guynaud [1712] pp.318-319

*8 Fontbrune (1938)[1939] p.188, Fontbrune (1938)[1975] p.195

*9 Lamont [1943] p.190, Boswell [1943] p.187

*10 Roberts (1947)[1949]

*11 Roberts (1947)[1994]

*12 Cheetham [1973]

*13 Cheetham (1989)[1990]

*14 チータム [1988]

*15 Ionescu [1976] pp.656-657

*16 Hutin [1978]

*17 Hutin (2002)[2003]

*18 Fontbrune [2006] p.414

*19 Leoni [1961]

*20 Schlosser [1986] p.105

*21 Brind'Amour [1996]

*22 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]