百詩篇第6巻25番


原文

Par Mars1 contraire sera la monarchie2,
Du grand pescheur3 en trouble4 ruyneux:
Ieune noir5, rouge prendra la hierarchie6,
Les proditeurs7 iront iour bruyneux.

異文

(1) Mars : mars 1589Rg
(2) monarchie : Monarchie 1588-89 1620PD 1644 1649Ca 1650Le 1653 1665 1668 1672 1772Ri 1840
(3) pescheur : pecheur 1588-89 1589PV 1620PD 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1840, Pescheur 1672 1772Ri
(4) trouble : troble 1668
(5) noir : no r 1653, uoir 1665
(6) hierarchie : hirarchie 1600 1867LP, Hierarchie 1588-89 1620PD 1644 1653 1665 1672 1840
(7) proditeurs : produiteurs 1605 1649Xa 1840

日本語訳

逆さまのマルスにより、偉大な漁師の君主政体は、
破滅的な困難に陥るだろう。
若くて黒い赤き者はヒエラルキアを掌握するだろう。
裏切り者たちは霧雨の日に決行するだろう。

訳について

 1行目「逆さまのマルスにより」は直訳。ジャン=ポール・クレベールは占星術に引き付けて理解している。他方で、ピーター・ラメジャラーは戦争の隠喩と見て「敵意に満ちた戦争を通じて」(Through a hostile war)*1 と意訳している。リチャード・シーバースは「マルスをかわしつつ」(Fending off Mars)*2と訳している。エドガー・レオニは星位と隠喩の双方の可能性を挙げていた。
 2行目前半は「偉大な漁師の」で、1行目の「君主政体」を形容している。他方、1行目の sera に繋がるのは2行目の後半であり、原文の行ごとに厳密に対応させようとすると分かりづらくなるため、訳文では「偉大な漁師の」は1行目に回した。
 4行目 iront は「行くだろう」が最も一般的な訳語。ただし、ラメジャラーは act と英訳し、シーバースは名詞的に deeds を使っている。また、クレベールの釈義では opéreront が使われている。こうしたことを踏まえ、「決行する」と訳した。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「火星によって君主は逆転し」*3は、contraire が sera に対応していると見なせば可能な訳だが、前半律(最初の4音節)の区切りは contraire までなので、単語の区切り方が不自然であるように思われる。上で紹介した様に、実証主義的論者は大乗訳のような区切り方をしていない。
 2行目「漁夫に破滅的苦難をもたらし」は、grand が訳に反映されておらず、やや不適切である。「漁夫に」とすること自体は、du に「~への」という意味もあるので、一応可能な訳といえるが、実証主義的論者には、1行目と分けた上で du を「~への」と解する読みは見当たらない。レオニ、ラメジャラー、シーバースは1行目からの連続で ... monarchy of the... と読んでいる。
 3行目「若いながら黒と赤は自分の位を所有し」は間違いではないが、「黒と赤」が同一の存在であると伝わりづらいのではないだろうか。

 山根訳について。
 1・2行目 「敵対する火星に災いされた君主国/大いなる漁夫の国 滅亡の騒乱に遭遇しよう」*4は、行ごとに対応させるための苦肉の策だろうが、「君主国」と「大いなる漁夫の国」が同じ国を指すことが伝わりづらいのではないだろうか。
 3行目「赤色の若き王が政権を引き継ぐだろう」は、不適切。山根訳の元になったエリカ・チータムの英訳ではしばしば noir (黒)が roi (王)のアナグラムとされる。ここではそうした解釈が持ち込まれているため、原文にない「王」が登場している。また、ヒエラルキアを「政権」と訳すことの妥当性も疑問である。

信奉者側の見解

 匿名の解釈書『1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の百詩篇集に関する小論あるいは注釈』(1620年)は「偉大な漁師」を暗殺者の隠喩と解釈しつつ、ピエール・バリエールやジャン・シャテルが1590年代に相次いで試みたアンリ4世暗殺未遂事件と解釈した *5
 「偉大な漁師」を暗殺者としているのは pescheur (現代語の pêcheur, 漁師)を pécheur (罪びと)と理解し、「偉大な漁師」ではなく「大罪人」と読んだためだろうと思われる。

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「偉大な漁師」はローマ教皇の隠喩、「赤」は服の色で枢機卿の隠喩などとし、未来のローマ教皇が直面する困難について述べた詩と解釈した*6

 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)は数少ない未来予測の詩篇の一つとしてこれを採り上げ、ローマ教皇の世俗権が脅かされ、煽動的な若い王(noir を roi とアナグラムしている)が政権を掌握するといった釈義を展開した*7

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は非常に曖昧な釈義しか示していなかった(「君主政体」や「若くて黒い赤の者」が何を指すか明示していない)ので、近未来の情勢と理解していたらしいという程度にしか分からない。*8

 アンドレ・ラモン(1943年)は偽教皇がローマ教皇庁を掌握することと解釈した*9

 ジェイムズ・レイヴァー(1952年)は、19世紀のイタリア統一運動と解釈した*10。3行目の若い王(レイヴァーも noir を roi とアナグラムしている)を統一イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と解釈し、苦難に瀕していた教皇領が彼のもとで統一イタリアに併呑されたことの予言としたのである。
 エリカ・チータム(1973年)はこの解釈を踏襲した*11

 スチュワート・ロッブ(1961年)はナポレオンによるブリュメール18日のクーデター(1799年)と解釈した*12。ロッブも noir を roi とアナグラムしており、「霧の日」は革命暦のブリュメール(霧月)に対応するとした。同じ年にはローマから退去を命じられていた教皇ピウス6世がヴァランスで客死していた
 ヘンリー・C・ロバーツ(1949年)はガランシエールに近い漠然とした解釈だったのだが*13、後の改訂版ではロッブと同じくブリュメール18日のクーデターと解釈した。ロッブとは違い、noir を roi ではなく、roi-N とし、「王者ナポレオン」を導いている*14
 ヴライク・イオネスク(1976年)は他の詩篇の解釈の際にこの詩の4行目に言及し、ブリュメール18日が暗示されているとした*15
 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は1行目をフランス革命による王権の没落と解釈したが、他の部分はブリュメール18日のクーデターやピウス6世の客死と結びつけた*16
 ジョン・ホーグ(1997年)、ネッド・ハリー(1999年)もこうした解釈を踏襲したが、ハリーはブリュメール18日のクーデターの結果、ピウス6世が投獄されたと意味不明なことを書いている*17。ブリュメール18日は現行暦1799年11月9日、ピウス6世の客死は1799年8月29日であり、ピウスはブリュメールのクーデターを見る前に歿している。

同時代的な視点

 1行目「逆さまのマルス」は占星術的なものなら火星の逆行(地球からの見た目が逆戻りしているように見える時期)か、火星が凶の影響をもたらす星としてその人物に悪い形で作用することを言ったものではないかと思われる。反面、ピーター・ラメジャラーのように、その人物にとって悪いほうに作用する戦争の隠喩などの可能性もある。

 「偉大な漁師」が使徒ペトロ(ペテロ)を指すのは疑いないだろう。ペトロは漁師であったし、『ルカによる福音書』にはペトロ(シモン・ペトロ)に対するイエスの言葉としてこうある。
  • すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」(5章10節抜粋、新共同訳)
 その象徴として、ローマ教皇は遅くとも13世紀以来、「漁師の指輪」と呼ばれる印章用指輪を受け継いでいる*18

 3行目の「赤き者」は枢機卿を指すのだろう。枢機卿は赤色(緋色)をシンボルカラーとしており、その長衣、帽子、法冠などはいずれも赤である*19。「黒い」について、ピエール・ブランダムールは他の詩に出てくる「黒」とともに、外見的な黒さ(黒髪、黒ひげ、黒い肌、黒衣など)に関連している可能性を示している*20

 こうした単語の意味からすれば、教皇庁に関する困難や内紛などが描写されているようにも見えるが、詳しいモデルの特定には至っていないようである。

 ピーター・ラメジャラーは2003年の時点では『ミラビリス・リベル』に描かれたイスラーム勢力の侵攻と、それによる教皇庁の苦難がモデルになっていると見なしていたが、2010年には撤回し、「出典未特定」とだけ書いた*21


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最終更新:2015年10月20日 00:52

*1 Lemesurier [2010] p.193

*2 Sieburth [2012] p.161

*3 大乗 [1975] p.181。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 山根 [1988] p.217 。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 Petit discours..., pp.19-20

*6 Garencieres [1672]

*7 Le Pelletier [1867a] p.319

*8 Fontbrune (1938)[1939] p.149, Fontbrune (1938)[1975] p.149

*9 Lamont [1943] p.347

*10 Laver (1942)[1952] p.210

*11 Cheetham [1973]

*12 Robb [1961] p.59

*13 Roberts (1947)[1949]

*14 Roberts (1947)[1994]

*15 Ionescu [1976] pp.325, 341

*16 Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] pp.184-185

*17 Halley [1999] p.100

*18 バンソン『ローマ教皇事典』pp.340-341

*19 バンソン、前掲書、pp.291-292

*20 Brind'Amour [1996] p.152

*21 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]