ムハンマド(Muhammad, 571年 - 632年)は
イスラームの開祖。ヨーロッパでは転訛した Mahommet (英語読みでは「マホメット」、フランス語読みでは「マオメ」)とも呼ばれる。
メッカ(マッカ)の名門クライシュ族の支族バヌー・ハーシム家に生まれたが、6歳までに両親と死別した以外のことは不明な点も多い。
25歳の時にメッカの商人で富裕な寡婦であったハディージャと結婚し、安定した生活を送るが、ある時期以降、山中で瞑想するようになっていた。そして、40歳のある時、アッラーの啓示を受けて預言者となり、妻ハディージャを皮切りに周辺の人々を帰依させていった。
しかし、当時のメッカはカーバ神殿に360体の神像を擁する偶像崇拝の中心地であり、偶像崇拝を否定するムハンマドは迫害を受け、西暦622年にメディナ(マディーナ)へと拠点を移す。これがヒジュラ(聖遷)であり、イスラーム暦はこのときを紀元とする太陰暦となっている。
その後、ムハンマドは勢力を拡大し、630年にはメッカを占領、カーバ神殿の偶像を破壊し、アッラー崇拝のための神殿にかえた。ムハンマドは632年に病没した。
ムハンマドが受けた啓示をまとめたものが『クルアーン』(コーラン)であり、彼の言行などに関する伝承が『ハディース』である。
偶像崇拝を否定する教義のため、ムハンマドの肖像は一切残されていない。
【画像】 『ムハンマドの生涯』知の再発見双書
ノストラダムス関連
ムハンマドのフランス式つづりである Mahommet およびその形容詞形は、『予言集』にもしばしば登場する。それらは文脈からすれば、ムハンマドが伝えた教えを信じるもの、すなわちイスラーム信徒(ムスリム)を指しているものと思われる。
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最終更新:2015年10月23日 21:54