百詩篇第1巻53番


原文

Las 1 qu'on verra grand peuple tormenté 2
Et la loy 3 saincte 4 en totale 5 ruine 6
Par aultres loyx 7 toute Chrestienté 8 ,
Quand d'or d'argent 9 trouue 10 nouuelle mine 11 .

異文

(1) Las : Las ! 1597 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(2) tormenté 1555 1627 1840 : tourmenté T.A.Eds.
(3) loy 1555 1557B 1588-89 1589PV 1605 1611 1628 1649Xa 1653 1665 1981EB : Loy T.A.Eds.
(4) saincte : Sainte 1672
(5) en totale : & totale 1600, en totable 1668
(6) ruine : ruïne 1557U 1557B 1649Xa, ruyne 1588-89 1649Ca 1650Le 1668
(7) loyx : Loix 1672
(8) toute Chrestienté 1555 1557U 1557B 1568A 1588-89 1590Ro 1840 : toute la Chrestienté T.A.Eds. (sauf : toute la chrestienté 1589PV 1627 1800AD)
(9) d'or d'argent : d'or dargent 1557B 1650Ri, d'ord'argent 1600, d Or d argent 1605, d'Or d'argent 1628, d'Or, d'Argent 1672 1716
(10) trouue : toute 1588-89, treuue 1627 1630Ma
(11) mine : Mine 1672

校訂

 ピエール・ブランダムールは4行目 trouue を trouvé としている。これは他の論者たちにも受け入れられているし、意味内容からも妥当である。
 ただし、ブランダムールは1555の原文がそうなっているかのように紹介しているが、それは受け入れがたい。当「大事典」がインターネット上で公開されているフォトコピーを参照する限りではアクサンは見当たらない。18世紀のウジェーヌ・バレストの転記でも21世紀のピーター・ラメジャラーの転記でも、1555の原文は trouue とされているので、当「大事典」の見間違いということもないだろう。瑣末な点ではあるが、当「大事典」による原文の誤転記などでないことの明示として記載しておく。

日本語訳

嗚呼、目撃されることになろうとは! 偉大な民族が苦しめられるのが。
そして完全なる荒廃が聖なる掟と
キリスト教国全体へと、別の掟によりもたらされるのが。
金銀の新たな鉱山が発見される時に。

訳について

 構文理解上は難しくはない。ただ、それを行ごとにある程度対応させつつ、日本語として自然になるように提示するのが難しい。ある程度自然になるように語順を入れ替えて訳すと、「ああ、金銀の新たな鉱脈が発見される時に、偉大な民族が苦しめられ、そして聖なる掟とキリスト教国全体が別の掟によって完全に荒廃するのが目撃されることになろうとは!」ということである。上ではほぼ行ごとに対応させたが、その都合で3行目に「もたらされる」を補った。
 以上はピエール・ブランダムールの釈義、リチャード・シーバースの英訳とも合致するものだが、ピーター・ラメジャラーの英訳では前半2行と後半2行は分けられている。
 なお、loi の最も基本的な語義は「法」だが、宗教上の「掟」「戒律」などの意味もあり、中期フランス語では「宗教」(religion)も意味した。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「ああ なんと多くの人々に苦痛を与えることだろう」 *1 は、on verra (人々は見るだろう → ~が見られるだろう)が訳に反映されていない。
 2行目「そしてすべての廃虚の中に聖なる法が」は、totale の処理の仕方が微妙。この場合は「完全な」の意味だろう。実際、ラメジャラーもシーバースも英訳では utter をあてている。
 3・4行目「金銀の新しい鉱山が発見されるときには/他の法によって 全キリスト教は 心をわずらわすことになるだろう」は行の順序が入れ替わっているが、上述の通り、この詩は行の順序どおりだと訳しづらいので、仕方ないだろう。「心をわずらわすことになるだろう」は原文にない。当「大事典」のように、2行目と連続していると見れば、en totale ruine が3行目にも係っていると見なせる。しかし、前半と後半で切り分けてしまうと、補う言葉の候補は訳者の受け止め方次第で色々挙げられることになるだろうから、これもその一例といえる。なお、「全キリスト教」は不自然。 Chrestienté は英語で言えば Christendom である。

 山根訳について。
 1行目 「悲しいかな 偉大な国民が 塗炭の苦しみに喘ぐのを見るのは」 *2 は、後半がやや脚色しすぎに見えなくもないが、意訳の範囲だろう。
 2行目「聖なる法が滅び去るのを見るのは」も意訳の範囲内。「見る」は原文にないが、1行目と連続していることがはっきりするように補ったものだろう。
 3行目「キリスト教は他の法に支配され」の「キリスト教」の不適切さは大乗訳への指摘と重なる。
 4行目「金と銀のあらたな源が発見される」は Quand (~の時)が反映されていない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、アメリカ大陸で発見された鉱山が世界にもたらした害悪についてと解釈した。1行目の「偉大な民族」はアメリカ先住民で、まず彼らがスペイン人に収奪され、その次に、そうして持ち込まれた物財が富の悪魔マモンとして、ヨーロッパに害悪を与えたこととしたのである *3

 ドドゥセのパンフレット(1790年)にも記載はあるが、ほとんどそのまま釈義されているだけである *4

 匿名のパンフレット『暴かれた未来』(1800年)では、10年前にノルマンディで新たな金銀の鉱脈が発見されたと言われていたことが引き合いに出されつつ、フランス革命に関する予言と解釈された *5
 フランシス・ジロー(1839年)は「ローのシステムとフランス革命」と題したが、その解説は「これまた明晰な詩篇で翻訳も解釈も必要なし」 *6 とだけ書かれている。

 ウジェーヌ・バレストはローのシステムの崩壊(1720年)と解釈した *7 。財務総監ジョン・ローは中央銀行設立と銀行券の発行による金融システムの整備を試みたが、インド会社の株券の異様な投機熱とその暴落は、フランス経済に大混乱をもたらしたのである *8 。バレストはこの銀行券発行という施策が後のアシニャ紙幣へと繋がったことも指摘していた。

 ローのシステムとする解釈があったことを認めつつ、そちらではなくアシニャ紙幣発行(1789年)の予言としたのがアナトール・ル・ペルチエ(1867年)であった *9 。もちろん、彼は革命期のキリスト教迫害とも結び付けている。
 この解釈はチャールズ・ウォード(1891年)、ジェイムズ・レイヴァー(1942年)、エリカ・チータム(1973年)、ヴライク・イオネスク(1976年)、竹本忠雄らが踏襲した *10
 セルジュ・ユタン(1978年)は時期的にはほぼ同じだが、1793年から1794年にかけての恐怖政治の時期のキリスト教迫害や貨幣の暴落と解釈した *11

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は1938年の時点では解釈してなかったが、後の改訂版では、近未来にイタリアで革命が起こり、ローマ教皇がバチカンから離脱することになると解釈した *12 。息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年のベストセラーでも晩年の著書でも解釈していなかった。

 アンドレ・ラモン(1943年)は「偉大な民族」をユダヤ人とし、ユダヤ教徒にもキリスト教徒にも物質文明がはびこるので、そこから脱却することに幸せがあると予言したものと解釈した *13

 ヘンリー・C・ロバーツ(1949年)は、アフリカ、オーストラリアでの金山の発見や産業革命が、キリスト教諸国に拝金主義の蔓延をもたらしたことと解釈した。これは夫妻の改訂(1982年)でもそのままだったが、の改訂(1994年)では、アメリカ先住民が被った不幸についても追記されている *14

 ネッド・ハリー(1999年)は21世紀に女性の叙階、さらにはローマ教皇即位があるのではないかとした *15

同時代的な視点

 最初に歴史的出典に基づく解釈をしたのは匿名の論説「ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡」(1724年)であろう。そこでは1545年のポトシ銀山の発見、および同時期のヨーロッパにおけるルター、ツヴィングリ、カルヴァン、再洗礼派などによる混乱がモデルとされた。

 エヴリット・ブライラーも新大陸による金銀の発見としたが、むしろ16世紀当時の新税の設定や、イングランド王ヘンリー8世の修道院解散による財産没収などといった、新しい財源についての可能性も挙げた *16

 ピエール・ブランダムールは釈義をしただけでコメントをつけていなかったが、ロジェ・プレヴォは1524年の出来事がモデルと解釈した。その年はドイツ農民戦争(1524年 - 1525年)が始まった年であり、ルター派の広まりとともに、伝統的な信仰が深刻な挑戦を受けていた。他方、同じ年の新大陸では、コルテスがグアテマラとホンジュラスの探索で新しい金鉱山や銀鉱山を発見していたのである *17

 ピーター・ラメジャラーは4行目を新大陸における金銀鉱脈の発見としつつも、最初の3行は『ミラビリス・リベル』に描かれたイスラーム勢力によるヨーロッパ侵攻のモチーフが投影されているのではないかとした *18

 ジャン=ポール・クレベールは新大陸と結びつける解釈に懐疑的で、アメリカに対する直接的言及は百詩篇第10巻66番にしかなく、新大陸への関心は低かったであろうと考えられることを指摘しつつ、ノストラダムスの顧客ハンス・ローゼンベルガーの1561年付けの手紙では、チロル地方での銀や銅の新たな鉱脈の発見が報告されていることに触れた *19

 当「大事典」としては、百詩篇第10巻66番のアメリカへの言及自体が、アイルランドの都市リムリックの誤記だった可能性もあると考えているので、クレベールの指摘については一理あるように思われる。しかし、その一方で、百詩篇第4巻30番が金銀の価値下落の投影である可能性は、実証主義的論者の間で共有されている(クレベールでさえその解釈を採っている)。である以上、当時その一因となっていた新大陸からの金銀の大量流入に無関心であったというのも不自然ではないだろうか。新大陸の「どこ」で、ということには無関心だったとしても、実態として金銀が大量に流入してきている状況について、4行目のように描写することは、十分にありえたように思われる。


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