詩百篇第12巻71番


原文

Fluues1, riuieres2 de mal seront obstacles.
La vieille3 flame4 d’ire5 non apaisée6,
Courir en France. cecy comme7 d’oracles8:
Maisons9, manoirs10, palais11, secte12 rasée.

異文

(1) Fluues 1594JF: Fleuues T.A.Eds.
(2) riuieres : Rivieres 1672Ga 1689PA 1689Ma 1689Ou
(3) vieille: vielle 1605sn 1649Xa 1672Ga 1689PA
(4) flame : flâme 1627Ma 1627Di 1689Ma
(5) d’ire : dire 1627Di
(6) apaisée : apaisee 1611, appaissee 1627Ma, apaissee 1627Di, apaissée 1650Ri
(7) cecy comme : cecy come 1672Ga, comme cecy 1689PA 1689Ma 1689Be, cecy commme 1691AB
(8) d’oracles : d’Oracles 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1672Ga 1697Vi 1698L 1720To, d’oroacles 1689Be
(9) Maisons : Maison 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To
(10) manoirs : Manoirs 1672Ga, manois 1689PA
(11) palais : Palais 1672Ga 1689Ma
(12) secte : Seste 1611A, Secte 1611B 1780MN, teste 1627Ma 1627Di 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To, seste 1644Hu 1650Ri

校訂

 secte を teste としている版がいくらかあるのは、後述する意味を考えれば、一定の妥当性は認められる。ただし、この詩がそもそも本物かどうかも分からない段階で、しかもその異文を示しているのが問題のある1627年頃のリヨン系の版からとなれば、安易に支持するわけにもいかないだろう。

日本語訳

大河と小川は災禍の障壁となるであろう。
古〔いにしえ〕の炎は怒りによって鎮まることなく、
フランスで巡る。以下(に宣べるのは)神託のごとし。
「屋敷、城館、宮殿、宗派が一掃される」。

訳について

 3、4行目の扱いが難しい。ceci は直前のものを指す場合にも、直後のものを指す場合にも使える(ただ、現代語の場合、前者には cela を使うのが一般的とされる)。ここでは、前半律(最初の4音節)にポワン(ピリオド)がついて明確に区切られている一方、ceci の後ろに(直後ではないが)ドゥーポワン(コロン)があることを考慮すれば、ドゥーポワン以降を指していると考える方が自然に思われる(フランス語のドゥーポワンは、補足説明、発言内容など、前の文と密接につながる内容を導くのが普通である)。
 問題は、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの句読点の打ち方を、どこまで信用してよいのかという点である。シャヴィニーは詩百篇集正篇で句読点どころか単語を差し替えている箇所が多くあり、第7巻17番では一文丸ごと改変してしまっている。ゆえに当「大事典」でも詩百篇第12巻の他の詩篇では、その句読点を全面的に採用しているわけではない。ただ、この場合、ひとまずはそれを採用しておく。

 その上で、3行目後半は意味が分かりづらいが、この神託の喩えについて、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは「私が神託によって貴方がたに語ることを信じなさい」(Croyez que ie vous di d’oracles)、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は「以下のことは確実である」(ceci est certain : ―)と、それぞれ釈義した*1。要するに神から下った託宣を、確実性の象徴として使っていると理解したのだろう。

 4行目を発言のように鍵カッコでくくったのは、3行目の「神託のごとき」内容を分かりやすくするための便宜的な措置。第2巻14番のように、引用符でくくるべき発言などをくくらずに提示している例があることは、仏文学者たちからも指摘されている(ただし、第2巻14番にしても異読があり、確定的とまではいえない)。
 4行目でもう一つ難物なのは、rasée の扱いである。
 secte rasée にエドガー・レオニが shaven sect という訳をあてているように、一般に rasée は 「(髪・ひげなどを)剃られた」 の意味で、ピエール・ブランダムールが指摘していたように、ノストラダムスの作品では聖職者を表す常套表現である*2。ゆえに当「大事典」でも、過去に長らくそちらの訳を採用していたが、ceci の訳などを見直したのに合わせて文脈を再考した結果、メインの訳ではむしろ「剃られた」よりも、「破壊された、一掃された」の意味を採用した(rasée が maisons などにも係る場合、性・数が一致しないが、そういう係り方がありうることは実証的な論者も認めている)。
 外部サイトで指摘されているように*3、従来の信奉者的解釈を展開した論者たちは、「壊す」意味合いで訳すことが多かったのも事実である。

 既存の訳として、大乗訳についてコメントしておく。
 2行目 「ふるい怒りの炎はまだあらわれず」*4は、後半が誤訳。ヘンリー・C・ロバーツの英訳 The old flame of anger being not yet appeased*5の appeased を appeared と誤読したものか。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は前半を1562年の宗教戦争の一場面、後半は1572年のサン=バルテルミーの虐殺の後に、コリニー提督の邸宅やシャチヨンの城 (シャチヨン家はコリニーらプロテスタントの3兄弟を輩出した) が取り壊されたことと解釈した*6
 テオフィル・ド・ガランシエール(1672Ga年)は、サン=バルテルミーの虐殺に続いた様々な悲劇の描写と解釈した*7

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、解釈時点から見て近未来の情勢と解釈していた*8

 アンドレ・ラモン(1943年)は、スペイン内乱と第二次世界大戦に関わる予言と解釈した*9

 ジョン・ホーグ(1997年)は宗教戦争と関連付けた*10

 中村惠一(1983年)は、1999年の詩などを1999年8月12日に大洪水が起こると解釈していて、この詩はその情景を補完するものとして取り上げられていた*11
 中村の翻訳は出典の明記なしに佐藤天樹(未作成)(1998年)によって転用され、やはりフランスに起こる大洪水の予言と解釈されていた*12

 二瓶孝次(未作成)(1999年)は「大河」を大川隆法、「小川」を小川知子、「悪」を週刊誌『フライデー』などの「マスコミに巣くう悪の勢力」と解釈した。さらにフランスを「仏国」と訳した上で「仏教国家たる日本国」と理解し、4行目についても1990年代のバブル崩壊やオウム真理教事件と関連付けた*13

同時代的な視点

 エドガー・レオニは16世紀の宗教戦争の描写と捉えている。
 4行目の rasee を「破壊される、一掃される」の意味合いで訳すのが正しいならば、確かにガランシエールらの言うように、サン=バルテルミー直後のプロテスタントの受難に比較的よく当てはまるのも事実である。ただし、その場合、この詩の初出が1594年であることを踏まえ、シャヴィニーによる偽作 (事後予言) の可能性も検討すべきなのかもしれない。

その他

 1644Hu 1650Riでは詩番号を75番、1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720Toでは65番としている。なお、1720Toではこの後に66番以降として第8巻の補遺篇などが続く。


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  • この詩の解説を改稿しましたが、それに関連する話は、姉妹サイトに当たるブログのほうに書いています。 -- sumaru (2013-01-16 22:32:01)
  • 10巻以降の存在と6行詩の存在が怪しいので、それらの解釈はしないし、無意味。 -- とある信奉者 (2013-01-20 00:26:53)

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