詩百篇第9巻91番


原文

L'horrible1 peste Perynte2 & Nicopolle3,
Le Chersonnez4 tiendra & Marceloyne,
La Thessalie vastera5 l'Amphipolle6,
Mal incogneu7 & le refus d'Anthoine.

異文

(1) L'horrible : L'Horrible 1672Ga
(2) Perynte : perynte 1590Ro, Perynté 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1867LP
(3) Nicopolle : Nicopollo 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR
(4) Chersonnez : chersonnez 1590Ro, Chersonne 1650Le, Chersonese 1672Ga
(5) vastera : vistera 1627Di, vestera 1653AB 1665Ba 1720To, naistera 1672Ga
(6) l'Amphipolle : l'amphipolle 1568B 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1667Wi 1772Ri, l'amphilpolle 1650Le 1668A, l'amphilpole 1668P, l'Amphilpolle 1981EB
(7) incogneu/incognu : inconnu 1650Mo 1665Ba 1720To

校訂

 Marceloyne について、ピエール・ブランダムールは Marcedoyne と校訂した。
 テオフィル・ド・ガランシエールアナトール・ル・ペルチエは Macedoine としており、エドガー・レオニもそれをそのまま紹介している。
 ほか、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースマリニー・ローズジャン=ポール・クレベールなどがいずれもマセドワーヌ(マケドニア)と読んでいる。
 ブランダムールが校訂においても Mar- と r を維持した理由はよく分からない。韻律の都合か、当時の揺れの一つか、あるいは単なる誤植だろうか。

日本語訳

恐るべきペストがペリントスニコポリス
ケルソネソスマケドニアを掴まえ、
テッサリアアンフィポリスを荒廃させるだろう。
知られざる災禍とアントニウスの拒絶。

訳について

 1行目から2行目の地名を tiendra の目的語と理解し、さらに3行目の地名2つを vastera の目的語と理解するのは、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらの読みに従ったものである。
 3行目は、前の行と切り離して素直に読めば、「テッサリアがアンフィポリスを荒廃させるだろう」となる。
 なお、ジャン=ポール・クレベールは2行目 tiendra の主語をケルソネソスと理解し、「恐るべきペストがペリントスとニコポリスに。(しかし)ケルソネソスは(本来の状態を)保つだろう。そして同じくマケドニアも(そのように保つだろう)」というような形で前半を理解している。3行目の主語を「恐るべきペスト」と見なして「テッサリアとアンフィポリス」を目的語と理解するのは他の論者と同じである。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「恐るべき疫病がコリントとニコポルに」*1は不適切。コリントスペリントスは古代の全く別の地名である。これはヘンリー・C・ロバーツの英訳でそうなっていたものを、そのまま転訳したためだろう。さらに遡るとテオフィル・ド・ガランシエールにたどり着くが、ガランシエールはきちんとペリントス(Perynthe)とそのまま英訳し、コリントの誤りだろうと注記していた。
 2行目「クリミアとマケドニアにも」は、tiendra が訳に反映されていない。なお、「クリミア」はケルソネソスをケルソネソス・タウリケ(クリミアの古称)と理解したことによるのだろうが、この場合のケルソネソスがクリミアかどうかは安易に断定できる状況にない。
 3・4行目「セサリーとアンピポリスに知られざる悪と/アントニーの拒絶をついやして」は、vaster を「ついやす」とするのは転訳による誤訳だろう。これはロバーツが waste をあてていたためだろうが、この場合はやはり「荒廃させる」の意味に理解すべきだろう。

 山根訳について。
 2行目 「半島とマケドニアを奪うだろう」*2は問題ない。ケルソネソスの本来の意味は「半島」だからである。ただし、当「大事典」はこれが固有名詞然として綴られていることから、あえて「ケルソネソス」と表記した。
 4行目「えたいの知れぬ悪 そしてアントワーヌに拒まれる」は、d'Antoine が「アントワーヌによって」と「アントワーヌの」という2通りに理解できることからすれば、許容される。ただし、もしもこの部分が後述のラメジャラーのような読みが正しいとすれば、「アントワーヌ(アントニウス)(のせいで)の」と理解しなければ意味が通じなくなる。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、ペリントスコリントスの誤りで、マルセロワーヌはマセドワーヌ(マケドニア)の誤記だろうとしたものの、内容についてはほとんどコメントしていなかった*3


 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は挙げられている地域でひどい疫病の流行があるのだろうという漠然とした解釈しかつけていなかった。
 そして、その解釈は、夫婦の改訂(1982年)でもの改訂(1994年)でも全く修正されなかった。

 エリカ・チータム(1973年)はアントワーヌはアンリ4世の父アントワーヌ・ド・ナヴァルかもしれないとしつつも、挙げられている地名との関連は不明とした。
 この解釈は後の決定版でも変化はなかった*4

 セルジュ・ユタン(1978年)は第一次世界大戦におけるスペイン風邪の流行ではないかとした。
 この解釈は後のボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)でもそのまま残された*5

 五島勉(1992年)は、Perynthe はトルコ南西部かギリシアのコリントの古語、Nicopolle はトルコのニコシアかシチリア島のニコシア、Thessalie はギリシア語でテサロニケ、Amphipolle は都市アンフィポリスかローマ近郊アピフォルムのフランス読みとした。
 その上で、それらはいずれも使徒パウロの宣教の道であり、新約聖書のパウロ書簡『ローマの信徒への手紙』(ローマ書)、『コリント人への手紙』(コリント前・後書)、『テサロニケの信徒への手紙』(テサロニケ前・後書)に込められた放縦な生活への戒めや最後の審判への警告を象徴しているとした。
 そして、9巻91番という詩番号は1991年を指している可能性が高いとして、エイズ(AIDS)の流行や、今後現れるであろうより悪質な「新エイズ」について警告を発したと解釈した。

懐疑的な視点

 五島の解釈のみについてコメントしておく。
 五島の地名解釈はそのほとんどがデタラメである。

 ペリントスがコリントスの古語などという話は、調べている範囲では見当たらない。上述のガランシエールのように、誤記・誤植の可能性を疑う論者がいるにすぎない。
 ゆえに、ペリントスをコリント前・後書と結びつけるのは的外れであろう。

 テッサリアとテサロニケは別の地名である (フランス語でも Thessalie と Thessalonique という形で区別する)。
 テサロニケ(現テッサロニーキ)はマケドニア属州の州都だったのだから、マケドニアと結びつけるなら理解できるが、五島はマケドニアについて何も解釈していない。

 アンフィポリスをわざわざローマ近郊のアピフォルムと結びつけて、そこからローマ書に結びつけるというのは強引過ぎる。
 アピフォルム(新共同訳や聖書協会共同訳だと「アピイフォルム」)は新約聖書の『使徒言行録』(使徒行伝)に登場する(28章15節)。
 しかし、広く用いられてきたフランス語訳聖書のスゴン訳および評価の高いTOB(フランス語共同訳聖書)とエルサレム聖書では、いずれも Forum d’Appius と綴られており、五島の言うフランス読み云々は事実に反する。
 そもそもカタカナで書けばやや似ているように見えなくもないアンフィポリスとアピフォルムだが、原語では Amphipolis と Appiou phoron*6 (ギリシア語。ラテン語だとApii Forum) である。
 ほとんど似ていないことは明らかで、五島はデタラメな説明を基に、かなり強引な曲解を重ねている。

 挙げられている地名がパウロの伝道地とその近郊であったのは事実である。
 しかし、そこにこめられた象徴を五島が読み取ったパウロ書簡(コリント書、テサロニケ書、ローマ書)のうち、コリント書とローマ書は、(上で否定したように)この詩の地名とは結びつかない。
 ゆえに、仮にパウロの伝道と何らかの結びつきがあるのだとしても、五島が読み取った意味でないことは確かだろう。

 なお、地名が近ければよいのかというと、それには疑問がある。アンフィポリスが含まれているからだ。
 アンフィポリスはフィリピやテサロニケの近郊だったので、そこからフィリピ書やテサロニケ書と結びつける手もあったが、五島はそうせずにアピイフォルムと結びつけるという曲解をした。
 なぜならば、アンフィポリスは通過点であって(『使徒言行録』17章1節)、パウロはそこで伝道をしていないからである。
 聖書学者によれば、パウロは意図的にローマの植民都市やローマ色の強い都市だけをピンポイントに伝道していったという*7
 アンフィポリスは大都市であったが、この条件に適合していなかったのである*8

 つまり、ノストラダムスがパウロの伝道とこの詩を結び付けさせたかったのだとすれば、わざわざアンフィポリスの名を挙げたのはかなり不自然なことといえるだろう。

同時代的な視点

 「ケルソネソス」はこの場合、ピエール・ブランダムールも指摘するように、ゲリボル半島(ケルソネソス・トラキカ)のことだろう*9

 ジャン=ポール・クレベールは地名やモチーフが第5巻90番と似ていることを指摘している*10

 ピーター・ラメジャラーは、2003年の時点では『ミラビリス・リベル』に描かれたイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻のモチーフをモデルと見なしていた(明言していないが、ペストは侵攻の比喩と見なしたのだろう)。
 しかし、2010年になると「出典未特定」として、以前の解釈を撤回した*11

 なお、ラメジャラーは4行目の「聖アントニウスの拒絶」を「聖アントニウスのせいでの社会的接触の拒絶」と理解した。
 彼は詳述していないが、これはおそらく「聖アントニウスの火」(feu saint Antoine)のことだろう。中期フランス語ではそれは壊疽を意味した*12
 つまり、「アントニウス(のせいで)の拒絶」とは、その病気によって壊疽がおこり、隔離されることを言ったものかもしれない。

【画像】 関連地図 (テッサリアは中心都市ラリサの位置で代用)


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最終更新:2020年03月27日 00:47

*1 大乗 [1975] p.281。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 山根 [1988] p.312 。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Garencieres [1672]

*4 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*5 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*6 『新聖書辞典』いのちのことば社

*7 加藤隆『「新約聖書」の誕生』pp.116-117、佐藤研『聖書時代史 新約篇』p.111-112, 118-119

*8 加藤、前掲書

*9 Brind'Amour [1996] p.424

*10 Clébert [2003]

*11 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]

*12 DMF