百詩篇第3巻70番


原文

La grand1 Bretagne2 comprinse l'Angleterre3
Viendra par eaux4 si hault5 à inunder6
La ligue7 neufue8 d'Ausonne9 fera guerre10,
Que contre eux mesmes11 il12 se viendront13 bander14.

異文

(1) grand : Grand 1715DD
(2) Bretagne : Bretaigne 1557U 1568 1589PV 1590Ro 1591BR 1597 1600 1610 1611 1650Ri 1716 1772Ri 1981EB
(3) l'Angleterre : sans la terre 1588-89, d'Angleterre 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1672 1716 1981EB, L'Angleterre 1715DD
(4) eaux : eaues 1557B, eauës 1588-89, eau 1653 1665
(5) hault : fort 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 1715DD
(6) à inunder 1555 1840 : à inonder T.A.Eds. (sauf : innonder 1605 1649Xa, inonder 1611 1628, a inondre 1672)
(7) ligue : ligne 1568A 1590Ro 1653 1665, Ligue 1591BR 1597 1600 1610 1611 1627 1650Ri 1672 1716
(8) neufue / neuue : nevue 1672
(9) d'Ausonne : d'Asonne 1557B, d'ausonne 1600 1610
(10) guerre : Guerre 1568A 1590Ro, gerre 1672(英訳は Wars)
(11) eux mesmes 1555 1840 : eux T.A.Eds.
(12) il 1555 1590SJ 1605 1644 1649Ca 1650Le 1668 1715DD 1840 : ilz 1557U 1557B 1568A 1590Ro, ils T.A.Eds.
(13) viendront : viendra 1649Ca 1650Le 1668 1715DD
(14) bander : bender 1557U 1557B 1568A 1589PV

(注記)1630Maは比較できず

校訂

 ピエール・ブランダムールは4行目の il を多くの版でそうなっているように ils と校訂した。動詞の活用からすれば、確かにそう読むほかはない。

日本語訳

イングランドが含まれるグレート・ブリテンは、
非常に高い大水によって水浸しになるだろう。
新たな同盟がアウソニアの戦争を生み出すだろう。
ゆえに彼ら自身に対して、彼らは立ち向かうことになるだろう。

訳について

 1行目の「ラ・グラン・ブルターニュ」は語形的には「ラ・グランド・ブルターニュ」(la Grande Bretagne)の方が正しい。それは現在もグレート・ブリテンを指す言葉として使われているので、グレート・ブリテンと訳出した。ただし、素直に読むならば、ここで「イングランドが含まれる」と書かれているのは、おそらくフランス本土のブルターニュ地方ではなく、英国の方のブルターニュ(ブリテン)であるとハッキリさせるための表現であろうから、 「グレート・ブリテン」と表記してしまうと、あまりにも当たり前のことを述べているに過ぎなくなる。このあたりのニュアンスは日本語だと表現しづらい。

 3行目は、「アウソニアの新たな同盟が戦争を生み出すだろう」とも訳せる。実際、エドガー・レオニピーター・ラメジャラーはその訳し方を採用している。他方で、ピエール・ブランダムールはその読み方も可能であることを認めつつ、あえてd'Ausonne を「戦争」に係らせている。また、ジャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースは「アウソニアで」として3行目全体に係らせている。「新しい同盟」がアウソニアで戦争することは確かだとしても、その同盟そのものがアウソニアで形成されるかどうかは、詩文からは判断がつかない。そのため、当「大事典」はブランダムールが主として採用している読み方を踏襲した。

 4行目はbander(se bander contre)の訳し方によって、若干意味が変わる。ピエール・ブランダムールの釈義では se bander contre とそのままになっており、ジャン=ポール・クレベールが s'opposer en factions rivales と釈義していることから「立ち向かう」とした。他方で「ゆえに彼ら自身に対抗して、彼らは同盟するだろう」とも訳せる。この読みを採るのがピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースで、ともに ally と英訳している。
 なお、que は意味しうる範囲が広いが、si bien que と釈義したブランダムール、such that と英訳したラメジャラーを踏まえた。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「大英国はイングランド全土を含み」*1は、原文にない「全土」をあえてつける必然性が少々疑問である。
 2行目「大洪水で苦しみ」は意訳としては間違っていないが、やや端折りすぎではないかという印象も受ける。
 3行目「オーソンヌの新しい同盟が戦いをいどみ」は細かい部分で疑問がある。「オーソンヌの新しい同盟」が(固有名詞の音写を棚上げする場合)直訳としては正しいことは、上に述べてあるとおりである。しかし、「戦いをいどみ」に問題がある。 fera guerre の直訳は「戦争をするだろう」もしくは「戦争を作るだろう」である。ラメジャラーは make war と直訳している。「新しい同盟」が積極的に戦争するのか、その同盟に脅威を感じた別の勢力が戦争を仕掛けるのかは不明瞭であり、「戦いを挑む」と決め付けることには議論の余地があるように思われる。
 4行目「その結果かれらを敵にするだろう」は語訳。主語(「彼らは」)がきちんと原文にあるのに無視するのは不適切(もちろん、この種の主語は日本語として冗長な場合は省かれる方が普通だが、「彼らが彼ら自身に対して」というこの詩句の場合、省いてしまったら、ニュアンスが不鮮明になってしまう)。

 山根訳について。
 3行目 「アウソニアの新同盟が戦争を仕掛けるだろうから」*2の問題点は上記の大乗訳への指摘と重なる。
 4行目「対抗して彼らも連合するだろう」も大乗訳への指摘と重なるが、「彼ら自身(に)」はこの場合、省かない方がいいだろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、1607年1月のイングランド、サマーセットやブリストルを襲った海の洪水(高波や津波の類か)と、ボルドー(ガランシエールは古代の詩人アウソニウスがボルドー出身であったことから、ボルドーを導いている)での同盟と蜂起を予言したと解釈した*3

 D.D.は1607年1月の海の洪水に関する予言としつつも、同盟の方は、フランス王、ローマ教皇、ヴェネツィア共和国が1606年に結んだ神聖同盟の方と解釈した。また、ジェイムズ1世の時に王国の連合が成ったことに言及した。すなわち、1行目はグレート・ブリテンの名の元にイングランドとスコットランドが連合したことと解釈したのである(厳密には当時は同君統治、すなわち2国に1君主の状態だっただけで、正式に一つの連合王国と成ったのは1707年)*4
 この解釈はチャールズ・ウォード(1891年)、ロルフ・ボズウェル(1943年)、エリカ・チータム(1973年)、ネッド・ハリー(1999年)らが踏襲した*5
 また、ジェイムズ・レイヴァーも前半のみについて扱い、ジェイムズ1世の時の王国の連合とする解釈を採用した*6

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は英国とイタリアの戦争と解釈した。時期を明記しているわけではないが、第一次世界大戦から戦間期についての解釈の中に入れているので、第一次大戦と解釈したものと思われる*7
 アンドレ・ラモン(1943年)は第二次世界大戦と解釈した*8
 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は近未来のイギリスとイタリアで大きな革命が起こる予言と解釈した*9

 セルジュ・ユタン(1978年)は17世紀にイングランドが世界最強の海軍国になったことと解釈した。

 ヴライク・イオネスクは1976年の段階では他の詩の解釈の補足的に引き合いに出していただけだったが、1987年には、アメリカ独立戦争(1776年)とする解釈を示した。Ausonne を AUS-onne → USA- donne (dame)とアナグラムして貴婦人(共和政の象徴)とアメリカを導き出し、海軍国イギリスが広大な植民地に到達するも、そこで生まれた同盟によって楯突かれる、という形で独立戦争と結びつけたのである*10
 竹本忠雄(2011年)はこれを踏襲した*11

同時代的な視点

 エドガー・レオニは16世紀当時のイタリア戦争の更新に関する情景を予言したものではないかとしていた*12

 ピーター・ラメジャラーは2003年の時点では、前半は『ミラビリス・リベル』に描かれた大洪水の予言、後半は同時代のイタリア情勢ではないかとしていたが、2010年には「出典未特定」とした。

 4行目が不鮮明ではあるものの、この詩が書かれた当時はイタリア戦争終盤であったことを考えるなら、何らかの関連性はあるものと思われる。


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最終更新:2015年11月19日 23:53

*1 大乗 [1975] p.114。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 山根 [1988] p.137 。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Garencieres [1672]

*4 D.D. [1715] pp.16-17

*5 Ward [1891] pp.194-196, Boswell [1943] p.78, Cheetham [1973], Halley [1999] p.25

*6 Laver [1952] p.127

*7 Fontbrune (1938)[1939] p.259, Fontbrune (1938)[1975] p.267

*8 Lamont [1943] p.202

*9 Fontbrune (1980)[1982]

*10 Ionescu [1987] pp.183-184

*11 竹本 [2011] p.545-547

*12 Leoni [1961]