百詩篇第4巻64番


原文

Le1 deffaillant en habit de bourgois2,
Viendra le Roy tempter3 de son offence4:
Quinze souldartz5 la pluspart6 Vstagois7,
Vie derniere & chef de sa cheuance.

異文

(1) Le : Le’ 1672
(2) bourgois 1557U 1557B 1590SJ : bourgeois T.A.Eds. (sauf : borgois 1589PV, Bourgeois 1644 1653 1665 1672 1840)
(3) tempter 1557U 1557B 1568 1589PV 1590SJ 1627 1630Ma 1649Ca 1772Ri : tenter T.A.Eds.
(4) offence : offense 1600 1610 1650Ri 1716
(5) souldartz 1557U 1557B 1568 1590Ro 1605 1628 1649Xa 1772Ri : soldats T.A.Eds.(sauf : soldartz 1589PV, soldatz 1590SJ, soldat 1627 1630Ma, Soldats 1672)
(6) pluspart : plus part 1589Me 1589Rg 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1650Le 1668
(7) Vstagois : Vstageois 1588*-89* 1605 1611 1627 1628 1630Ma 1649Xa 1668P 1981EB, vstagois 1653, vilageois 1665, Villageois 1672, villageois 1840, ostagois HCR

(注記1)1588-89では、3-4-1-2の順でVI-44としても採録。上記*はそちらの異文
(注記2)HCR はヘンリー・C・ロバーツの異文。

校訂

 1行目 bourgois は bourgeois になっているべき。ブリューノ・プテ=ジラールはそのように校訂している。
 そうなると3行目 Vstagois (Ustagois)も、韻を踏むために Vstageois (Ustageois)と校訂されねばならない。プテ=ジラールは現にそのように校訂している。
 2行目 offence は語源(ラテン語の offensa)からしても、標準的な綴り(DMFの見出しも含めて)からしても、offense の方が妥当。もっとも、この程度は綴りの揺れの範囲だろう。

日本語訳

都市民の身なりの背信者が、
国王を傷つけようと試みることになるだろう。
十五人の兵士たち、その大部分が無法者。
生命は最後に(残り)、そして(それは)彼の財産の筆頭。

訳について

 1行目 defaillant の直訳は「衰えている〔人〕」「欠いている〔人〕」。ピーター・ラメジャラーは deserter (脱走兵)、リチャード・シーバースは weakling (虚弱者)、エドガー・レオニは transgressor (宗教・道徳上の罪人)と英訳している。ジャン=ポール・クレベールの釈義では「義務、誓約を破る者」である。レオニやクレベールの訳語は強引なようだが、中期フランス語の defaillir には「誓約を破る」という意味もあった*1。当「大事典」の訳語は、レオニやクレベールの読みを参考にしている。

 3行目は Vstagoisをどう読むかで変わるが、ここではアナトール・ル・ペルチエ以来、現代の実証主義的論者たちの間でも有力視されている読みを参考にした。

 4行目はラメジャラーの英訳を参考にした。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「罪ある者 市民の法のもと」*2は誤訳だろう。「罪ある者」については、上述の通り、エドガー・レオニの英訳にも類似の訳は見出されるが、habit を「服装」以外に訳すのは一般的ではない(habit は現代フランス語では「衣服」の意味しかない。中期フランス語でなら「慣習」(habitation)の意味もあったが、それにしてもやや強引だろう)。たとえば、ピーター・ラメジャラーは garb、リチャード・シーバースは clothes と英訳している。
 2行目「王を罪人とみなし」も不適切。確かに英語の offense には「罪」の意味もあるが、中期フランス語の offense は「損害」(dommage)、「攻撃」(attaque)の意味であった*3
 3行目「十五人の兵士はほとんど人質となり」は、出所不明の異文(ヘンリー・C・ロバーツによる改変?)である ostagois を otage (人質)と理解したものだろう。ustagois を人質と結び付けられる可能性もなくはないが(Vstagois参照)、実証主義的論者の間にそういう読みは見られない。
 4行目「ついには彼の生活も最上の身分をも」は少なくとも「身分」が誤訳。ロバーツの英訳 estate の転訳による誤りだろうが、原語chevanceからすれば、その場合の estate は「財産」の意味だろう。ロバーツの4行目の英訳はガランシエールの英訳のほぼ丸写しである(冒頭にThe があるかないかだけ)。その訳は大乗訳とはやや異なり、ガランシエールが釈義しているように、「最後に残るのは、彼の生命と財産の最良の部分」という意味になる。当「大事典」の読みとは違うが、これはこれで成立する読み方である。

 山根訳について。
 4行目 「彼のいのちと領地の大半が息絶える」*4は、chef を「大半」と訳すのが強引ではないだろうか。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、内容をほとんどそのままなぞるような解釈しかつけていなかった*5

 アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)は、ルイ・フィリップの七月王政とナポレオン3世に関する詩とした*6

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)もほぼ同じ時期についてとし、ルイ・フィリップが二月革命で失脚したことと解釈した。彼は(明示していないものの文献の引き方から判断して)、Ustagois を A Sieur GUIZOT (ギゾー殿へ)とアナグラムしていたようである*7(ギゾーは七月王政下の最後の首相)。
 マックスの解釈は息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)のほか、ヴライク・イオネスク(1976年)らによって踏襲された*8

 エリカ・チータムは1973年の時点では文字通り一言も解釈しておらず、後の決定版でも未解明であると述べただけだった。彼女の著書の日本語版では、アメリカ大統領暗殺のためにテロリスト・グループが渡米するが、未遂に終わって射殺されるという、(おそらく日本語版監修者らによる)解釈に差し替えられた。

 セルジュ・ユタン(1978年)はフィリップ・エガリテ(平等公フィリップ、ルイ=フィリップの父)と関連付ける解釈を示した*9

同時代的な視点

 Vstagoisをどう読むかにもよるのだろうが、国王が何らかの事件に巻き込まれ、金品は奪われても、一番大事なものである命までは取られずにすむ、といった情景だろう。ただし、漠然としすぎていて特定性が低いことは否めない。

 ピーター・ラメジャラーは「出典未特定」としており、他の論者にもモデルの特定に成功した者はいないようである。


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最終更新:2015年11月21日 22:30

*1 DMF

*2 大乗 [1975] p.139。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 DMF

*4 山根 [1988] p.166。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 Garencieres [1672]

*6 Torné-Chavigny [1860] p.84

*7 Fontbrune (1938)[1939] pp.24, 99, Fontbrune (1938)[1975] pp.25, 112

*8 Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] p.263, Ionescu [1976] pp.360-361

*9 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]