百詩篇第4巻82番


原文

Amas s’approche venant d’Esclauonie1,
L’Olestant vieulx cité2 ruynera:
Fort desolée verra sa3 Romanie4,
Puis la grand5 flamme estaindre ne scaura6.

異文

(1) d’Esclauonie : de Sclauonie 1627 1630Ma 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668A 1840, de Scalvonie 1668P
(2) cité : ciré 1590SJ
(3) sa : la 1557B 1840 1981EB
(4) Romanie : Romaine 1627
(5) grand : grande 1867LP, grand’ 1611 1627 1981EB
(6) scaura 1557U 1557B 1568 1590SJ 1590Ro 1600 : sçaura T.A.Eds.

日本語訳

スクラウォニアから来る大軍が近づく。
古き破壊者が都市を廃墟にするだろう。
(その者は)ひどく荒れ果てた彼のロマニアを見るだろう。
そしてその大火をどう消すのか分からないだろう。

訳について

 2行目 L'Olestantは、有力視されている「破壊者」とする読みを採用した。vieux はこの場合に素直に読めば「老いた」だろうが、ancient Vandal と意訳しているリチャード・シーバースにも配慮し、単に「古い」と訳した。
 エドガー・レオニは vieux を L'Olestant ではなく cité の方に係らせて「破壊者が古い都市を廃墟にするだろう」と読める可能性も示していた。前半律(最初の4音節)は vieux までなので、素直に読めば、vieux は Olestant に係っていると見るべきではないかと思われるが、ruinera を4音節と理解しないのであれば、この行は1音足りないことになる(つまり、前半律に何か1音節分の欠落があるのだとすれば、vieux は後半律に含まれるということ)。
 3行目 Romanieは語源のラテン語のまま「ロマニア」と表記した。レオニ、ピーター・ラメジャラー、シーバースはいずれも Romania と英訳しており、普通この綴りは「ルーマニア」を意味するが、レオニはローマ帝国、ラメジャラーはローマとその所領、シーバースは古代ローマかバチカンと注記しているので、ルーマニアの意図ではないだろう。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「集められた軍隊はロシアからきて」*1は不適切。スクラウォニアは現在のクロアチアのスラヴォーニヤ地方の古称であり、ロシアとはやや離れている。後述するように信奉者たちにはロシアと解釈する者たちがいるのは事実だが、それならそれでこういう箇所にこそ注記がいるだろう(大乗訳ではこの行には注記無し)。なお、s'approche (近づく)が訳に反映されていないのも少々問題であろう。
 2行目「老公爵は町を破壊し」は、Olestant が「公爵」になる語学的根拠が不明(元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳ではそのまま Olestant とされ、解釈で「公爵」と併記されている)。これは後述するテオフィル・ド・ガランシエールの解釈を踏まえたものだろうが、正当性を持つとは到底考えられない。Haut estant vieux (高貴な者は高齢で)と校訂する可能性を示したエヴリット・ブライラーの読みを採用すれば近いといえるかもしれないが、ブライラー自身ひとつの可能性として示していたに過ぎず、後続の論者たちからも特に支持されているわけではない読み方である。
 3行目「さびれたローマニアを見るだろう」は、少なくとも fort という強調表現が訳出されていない。また、この場合の Romania には所有形容詞の sa (彼の、彼女の、その) が付いているので、それも訳に織り込むほうが好ましいだろう。
 4行目「あとでは大きな炎を消すことはできないだろう」は可能な訳。ne sçaura (saura) (pas) の直訳は「知らないだろう」だが、転じて「できないだろう」の意味にもなるためである。

 山根訳について。
 2行目 「破壊者が古都を廃墟と化す」*2は、上述の通り、一応は成立する訳。ただし、日本語で「古都」というと「昔のみやこ」の意味になるが、この場合に「古都」というに相応しい旧首都の意味を導けるかは少々疑問であり、「古い都市」としておくのが無難ではないかと思われる。
 4行目「やがて大火を消すすべを知らず 途方に暮れる」は、意訳として許容されるだろうが、「途方に暮れる」は原文にない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、スクラウォニアからの軍隊は、スラヴォーニヤを勢力圏内におさめていたヴェネツィアの軍隊であろうとし、old Olestant はその公爵であろうと解釈した*3。Olestant が公爵になる語学的根拠は示されていない。単に自分の解釈に整合する意味を採用しただけだろう。
 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)は、ナポレオンのロシア遠征とモスクワ炎上(1812年)と解釈した。破壊者はナポレオン、そのロマニアは支配下に置いていたイタリアを指すというわけである*4
 この解釈は若干の修正を伴いながら、チャールズ・ウォード(1891年)、ジェイムズ・レイヴァー(1942年)、アンドレ・ラモン(1943年)、エリカ・チータム(1973年)、ヴライク・イオネスク(1976年)、ジョン・ホーグ(1997年)、ネッド・ハリー(1999年)らが踏襲した*5。修正の例としては、ロマニアを、ナポレオンが自身をシャルルマーニュと重ね合わせてローマ帝国再興を夢見たことと結び付け、ナポレオン帝国と理解する、あるいはスクラウォニア(ル・ペルチエはロシアに同調したオーストリアなどを間接的に導いていた)をスラヴと理解し、ロシアと直結させるなどである。

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は「ロシアの西進はオレスタン(公爵)の攻撃によって速度が落ちる。しかし、彼は自らの破滅に直面し、自国が荒らされるであろう」というかなり漠然とした解釈しかつけていなかった。これは自身の最終版(1969年)でもそのままだった。日本語版では19世紀末のロシアの南下政策云々とかなり具体的な解釈をロバーツ自身がやったかのように書かれているが、そのような解釈は確認できない。
 夫婦の改訂(1982年)では、冷戦下の共産圏でも自由の火は消えずに各国で反ソ暴動が起きているという解釈に差し替えられた。の補訂(1994年)では冷戦終結を踏まえ、旧共産圏の崩壊が追記されている。

 セルジュ・ユタン(1978年)は「破壊者」をスターリンと解釈し、彼の影響がバルカン半島に及んだことと解釈した*6。しかし、ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、「破壊者」はミロシェビッチ(ユーゴ解体後のセルビア大統領。のち「人道に対する罪」で訴追された)とされ、20世紀のユーゴスラビア情勢の描写とする解釈に差し替えられた*7

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、1980年の時点では近未来に起こる戦争において、ロシアがイタリアを攻めることと解釈していたが、2006年には、ユーゴスラビア紛争においてサラエボやスラヴォーニヤ地方のヴコヴァルが爆撃されたことと解釈した*8

同時代的な視点

 ルイ・シュロッセ(未作成)はオスマン帝国によるウィーン包囲(1529年)をモデルと見なした*9

 エヴリット・ブライラーはオスマン帝国軍ないし神聖ローマ帝国軍によるイタリア侵攻を想定していたのではないかとした。ブライラー自身指摘するように、神聖ローマ帝国による侵攻としては、ローマ掠奪(1527年)という同時代の例があった。

 ピーター・ラメジャラーも同時代のオスマン帝国の侵攻を念頭に置いていた可能性を認めつつも、そこに、編者不明の予言書『ミラビリス・リベル』に収録された「偽メトディウス」や「ティブルのシビュラ」の予言に描かれたローマなどの受難が重ねられていると見なした*10(2010年には『ミラビリス・リベル』との関連性しか言及していない*11)。


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最終更新:2015年11月24日 23:49

*1 大乗 [1975] p.143。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 山根 [1988] p.171 。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Garencieres [1672]

*4 Le Pelletier [1867a] p.219

*5 Ward [1891] pp.303-304, Laver (1942)[1952] p.182, Lamont [1943] p.103, Cheetham [1973], Chhetahm (1989)[1990], Ionescu [1976] pp.331-333, Hogue (1997)[1999], Halley [1999] p.109

*6 Hutin [1978]

*7 Hutin (2002)[2003]

*8 Fontbrune [2006] p.429

*9 Schlosser [1985] p.70

*10 Lemesurier [2003b]

*11 Lemesurier [2010]