パンピュリア(Pamphylia)は小アジア南部、西を
リュキア、東をキリキア、北をピシディアに囲まれた沿岸部を指す古い地名。ピシディアやリュキアは時代によっては、パンピュリアの一部とされたこともある。パンピュリア人は紀元前1世紀には海賊行為で周囲を荒らしたが、ローマに屈し、その属領となった。
パンピュリア地方のアンタルヤ(古称アッタリア)は、現代トルコ南岸では最大の港町となっている。
『
新約聖書』ではパウロの第1回伝道旅行の宣教の地として、パンピュリアのアッタリアとペルゲに言及されている(『使徒言行録』13章13節、14章24・25節)。また、ペルゲはヨハネ・マルコ(『マルコによる福音書』の著者とされる人物)がパウロと別れて帰途に着いた場所としても言及されている(『使徒言行録』13章13節。田川建三はこの別れについて、他の記述と関連付けつつ、パウロとヨハネ・マルコの見解の対立が原因だったと推測している)。新共同訳・フランシスコ会訳・岩波委員会訳では「
パンフィリア」、口語訳・新改訳・塚本虎二訳では「
パンフリヤ」、田川訳では「
パンフュリア」となっている。
【画像】田川建三 『新約聖書 訳と註・第二巻下 - 使徒行伝』
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最終更新:2015年12月16日 02:30