原文
La saincteté trop faincte &
seductiue ,
Accompaigné
1 d’vne langue diserte
2 :
La cité
3 vieille
4 & Parme
5 trop hastiue
6 ,
Florence & Sienne
7 rendront
8 plus desertes
9 .
異文
(1) Accompaigné : Accompagné 1591BR 1597 1610 1611 1627 1630Ma 1644 1649Xa 1650Le 1650Ri 1653 1665, Accompagnée 1649Ca 1668A 1981EB, Aecompaignee 1668P, Accompagne 1672, Accompa né 1772Ri
(2) diserte : discrete 1611A, descrette 1611B, deserre 1867LP
(3) cité: Cité 1672
(4) vieille: vicille 1628
(5) Parme : Palme 1589PV
(6) hastiue: nastive 1672
(7) Sienne: Siene 1589PV, sienne 1653 1665 1772Ri
(8) rendront: redront 1611B
(9) desertes : deserte 1589PV
(注記)1588-89では4-3-2-1の順でIV-65に差し替えられている。
校訂
ブリューノ・プテ=ジラール は2行目のAccompaigné を Accompagnée に、4行目の desertes を deserte に校訂している。
日本語訳
ひどい紛い物にして誘惑的な神聖さが、
雄弁な舌に伴われる。
古い都市と
パルマ はあまりにも性急で、
フィレンツェ と
シエーナ をいっそう荒廃させるだろう。
訳について
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳 について。
3・4行目 「古い町とあまりにも早いパルマを起こし/フローレンスとシエナはいっそう荒れはてる」は、hastive が単数なのでパルマのみに係るとも理解できるが、「~を起こし」というのはおかしい。これは元になったはずの
ヘンリー・C・ロバーツ の英訳を読み間違えたものだろう。ロバーツは、Shall cause the old city and the too hasty Parma, / Florence and Sienna to be more desert.と英訳していた。
山根訳 について。
2行目 「雄弁な舌をあやつるもの」は解釈を交えすぎではないだろうか。
3・4行目「由緒ある都市 パルマは性急すぎる/フィレンツェ シエーナ いやがうえにも寂れゆく」は、3行目と4行目の繋がりが分かりづらい。
信奉者側の見解
ヘンリー・C・ロバーツ (1947年)はローマをはじめとするイタリア主要都市に影響を及ぼす偽善的デマゴーグについてと解釈した。この漠然とした解釈は後の改訂版(1994年)でもそのままだが、日本語訳版(1975年)ではファシズムの流行と結びつける解釈が補足されている。
エリカ・チータム (1973年)は1973年の時点では文字通り一言もコメントしていなかったが、その日本語版(1988年)では、(おそらく日本語版スタッフによって)20世紀末に現れる
反キリスト がイタリアを惑わすとする解釈が付けられている。チータム自身の後の著書(1989年)では解釈不能である旨が一言書かれているだけである。
セルジュ・ユタン (1978年)は「フランス軍によるイタリア征服」という、いつの時代のことかも書いていない曖昧な解釈しかつけていなかったが、
ボードワン・ボンセルジャン の補訂(2002年)では、ナチズム、ファシズムへの不徹底な姿勢を批判されたピウス12世の可能性を示す解釈に差し替えられた。
同時代的な視点
ジャン=ポール・クレベール は前半と後半で別の出来事を示しているとして、前半はプロテスタントに関する描写とした。後半については、「古い都市」を
ローマ とし、ローマとパルマはともに教皇領だったことや、フィレンツェとシエーナが1555年8月向けの予兆詩(実際は
1558年10月向け )にも登場していることを指摘した。
「古い都市」をローマとすることが定説化している感があるが、当「大事典」として一つの可能性を追加しておきたい。
それはオルヴィエート(Orvieto)である。その中世のラテン語名はウルブス・ウェトゥス (Urbs Vetus)で、まさにそれは「古い都市」を意味したからである。この詩が書かれた時期よりも40年以上後のことになるが、1590年ごろの偽作とされる
聖マラキの予言 においても、予言75番「都市の古さによって」(いと古き都市より)は、オルヴィエートを指すのが定説であり、それが偽作の動機だったとされている。つまり、やや時期がずれるとはいえ、16世紀には初歩的な謎掛けとしてオルヴィエートと「古い都市」を結びつける例があった、ということに他ならない。
しかし、「古き都市」をオルヴィエートと解釈しても、結局のところ全体的なモチーフが不詳であることは、残念ながら変わらない。ただ、参考情報として、オルヴィエートは1527年の「ローマ掠奪」の折には、教皇クレメンス7世が避難した地であることを付記しておく。
【画像】 関連地図
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最終更新:2015年12月20日 23:17