百詩篇第6巻48番


原文

La saincteté trop faincte & seductiue,
Accompaigné 1 d’vne langue diserte 2 :
La cité 3 vieille 4 & Parme 5 trop hastiue 6 ,
Florence & Sienne 7 rendront 8 plus desertes 9 .

異文

(1) Accompaigné : Accompagné 1591BR 1597 1610 1611 1627 1630Ma 1644 1649Xa 1650Le 1650Ri 1653 1665, Accompagnée 1649Ca 1668A 1981EB, Aecompaignee 1668P, Accompagne 1672, Accompa né 1772Ri
(2) diserte : discrete 1611A, descrette 1611B, deserre 1867LP
(3) cité: Cité 1672
(4) vieille: vicille 1628
(5) Parme : Palme 1589PV
(6) hastiue: nastive 1672
(7) Sienne: Siene 1589PV, sienne 1653 1665 1772Ri
(8) rendront: redront 1611B
(9) desertes : deserte 1589PV

(注記)1588-89では4-3-2-1の順でIV-65に差し替えられている。

校訂

 ブリューノ・プテ=ジラールは2行目のAccompaigné を Accompagnée に、4行目の desertes を deserte に校訂している。

日本語訳

ひどい紛い物にして誘惑的な神聖さが、
雄弁な舌に伴われる。
古い都市とパルマはあまりにも性急で、
フィレンツェシエーナをいっそう荒廃させるだろう。

訳について

 特に構文理解上で難しい点があるようには思えない。当「大事典」の訳は、おおむねジャン=ポール・クレベールの釈義やピーター・ラメジャラーの英訳とも一致している。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 3・4行目 「古い町とあまりにも早いパルマを起こし/フローレンスとシエナはいっそう荒れはてる」 *1 は、hastive が単数なのでパルマのみに係るとも理解できるが、「~を起こし」というのはおかしい。これは元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳を読み間違えたものだろう。ロバーツは、Shall cause the old city and the too hasty Parma, / Florence and Sienna to be more desert. *2 と英訳していた。

 山根訳について。
 2行目 「雄弁な舌をあやつるもの」 *3 は解釈を交えすぎではないだろうか。
 3・4行目「由緒ある都市 パルマは性急すぎる/フィレンツェ シエーナ いやがうえにも寂れゆく」は、3行目と4行目の繋がりが分かりづらい。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「古い都市」がローマでないのだとしたら、何を意味するのか分からない、とだけコメントしていた *4

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードシャルル・ニクローの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は「古い都市」をローマとした上で、近未来にイタリアで起こる革命による混乱を描写した詩の一つとした *5
 この解釈はアンドレ・ラモン(1943年)がほぼそのまま踏襲した *6 。一方、マックスの息子ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年のベストセラーでも、その続巻でも、晩年の著書でも全く触れなかった。

 ロルフ・ボズウェル(1943年)は、聖マラキの予言などと関連付けつつ、やはり近未来のイタリアとバチカンの情景と解釈した *7

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)はローマをはじめとするイタリア主要都市に影響を及ぼす偽善的デマゴーグについてと解釈した。この漠然とした解釈は後の改訂版(1994年)でもそのままだが、日本語訳版(1975年)ではファシズムの流行と結びつける解釈が補足されている。

 エリカ・チータム(1973年)は1973年の時点では文字通り一言もコメントしていなかったが、その日本語版(1988年)では、(おそらく日本語版スタッフによって)20世紀末に現れる反キリストがイタリアを惑わすとする解釈が付けられている *8 。チータム自身の後の著書(1989年)では解釈不能である旨が一言書かれているだけである *9

 セルジュ・ユタン(1978年)は「フランス軍によるイタリア征服」 *10 という、いつの時代のことかも書いていない曖昧な解釈しかつけていなかったが、ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、ナチズム、ファシズムへの不徹底な姿勢を批判されたピウス12世の可能性を示す解釈に差し替えられた *11

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーは同時代のイタリア戦争に関する未特定の出来事がモデルと推測した *12

 ジャン=ポール・クレベールは前半と後半で別の出来事を示しているとして、前半はプロテスタントに関する描写とした。後半については、「古い都市」をローマとし、ローマとパルマはともに教皇領だったことや、フィレンツェとシエーナが1555年8月向けの予兆詩(実際は1558年10月向け)にも登場していることを指摘した *13

 「古い都市」をローマとすることが定説化している感があるが、当「大事典」として一つの可能性を追加しておきたい。
 それはオルヴィエート(Orvieto)である。その中世のラテン語名はウルブス・ウェトゥス (Urbs Vetus)で *14 、まさにそれは「古い都市」を意味したからである。この詩が書かれた時期よりも40年以上後のことになるが、1590年ごろの偽作とされる聖マラキの予言においても、予言75番「都市の古さによって」(いと古き都市より)は、オルヴィエートを指すのが定説であり、それが偽作の動機だったとされている。つまり、やや時期がずれるとはいえ、16世紀には初歩的な謎掛けとしてオルヴィエートと「古い都市」を結びつける例があった、ということに他ならない。
 しかし、「古き都市」をオルヴィエートと解釈しても、結局のところ全体的なモチーフが不詳であることは、残念ながら変わらない。ただ、参考情報として、オルヴィエートは1527年の「ローマ掠奪」の折には、教皇クレメンス7世が避難した地であることを付記しておく。

 なお、弁舌とともに登場する「誘惑的・蠱惑的」(seductive)な宗教のモチーフは、百詩篇第3巻95番にも登場している。

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