百詩篇第3巻53番


原文

Quand le plus grand emportera le pris1
De Nuremberg d'Auspurg2, & ceux3 de Basle4
Par Aggripine5 chef6 Francqfort7 repris
Transuerseront8 par Flamans9 iusques en10 Gale11

異文

(1) pris : prix 1668P 1672
(2) d'Auspurg : d'Auspourg 1568, d'Ausbourg 1590Ro 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1672 1716 1772Ri 1981EB
(3) ceux : ceuz 1610
(4) Basle : basle 1589PV 1590SJ, Balle 1611B 1981EB
(5) Aggripine : Agippine 1600 1610 1716a 1716c, Ahrippine 1605 1628
(6) chef : Chef 1672
(7) Francqfort 1555 1627 1840 : Frankfort 1557U 1557B 1568 1590Ro 1591BR 1597 1600 1605 1611 1628 1649Xa 1650Le 1668 1772Ri 1981EB, Franc-fort 1588-89, Franck fort 1589PV 1590SJ, Frakfort 1610, Frank fort 1649Ca, Francfort 1644 1650Ri 1653 1665 1716, de Frankfort 1672
(8) Transuerseront 1555 1589PV 1590SJ 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : Trauerseront T.A.Eds.
(9) Flamans : Flamant 1568 1590Ro 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611A 1628 1649Xa 1716 1772Ri, Flament 1611B 1981EB, Flandres 1672
(10) iusques en 1555 1557U 1557B 1568A 1590Ro 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1716 1840 : iusque en 1568B 1653 1665, iusqu'en T.A.Eds.
(11) Gale : Galle 1557B 1611B 1981EB, Gaule 1588-89

(注記1)1630Ma は比較できず
(注記2)異文のうち、Flankfort には FlanKfort (Kの字体が大文字)を含めており、区別していない。これは、判別の難しい事例が少なくない一方、あえて細かく判別しても労力に比して益は少ないだろうと判断したためである。

日本語訳

ニュルンベルクアウクスブルクバーゼルの人々を
最も偉大な者が上回るであろう時に、
アグリッピナによってフランクフルトの指導者は奪回される。
(彼らは)フランドル人たちを経てウェールズまで通り抜けるだろう。

訳について

 1、2行目は行ごとに対応させて訳そうとすると不自然になりすぎるので、行の順序を入れ替えて訳した。
 pris は prix の中期フランス語における綴りの揺れ*1。prix / pris は「評価」の意味もあった*2。emporter le pris は直訳すれば「賞(評価)を獲得する」の意味だが、ジャン=ポール・クレベールは、16世紀における emporter le pris は「凌駕する、優位に立つ」(l'emporter, surmonter)の意味だったとして、ノストラダムスのみならず、同時代のポンチュス・ド・チヤールの用例なども挙げている。また、高田勇伊藤進訳で「ニュルンベルクやアウクスブルクやバーゼルの人々よりも、/最高の権力者が抜きんでるや」*3となっていることも参考にした。

 3行目はピエール・ブランダムールの釈義、リチャード・シーバースの英訳、高田・伊藤訳に従ったが、エヴリット・ブライラーピーター・ラメジャラーは chef を前半と結びつけて、「アグリッピナの指導者によってフランクフルトが(またはフランクフルトで)奪回される」というように理解している。

 4行目は、動詞が三人称複数なので、カッコ書きで「彼らは」を補った。また、Gale を Galles (ウェールズ)ととるか、Gaule (ガリア)ととるかで意見が分かれている。従来は後者が当たり前で、ラメジャラーなどはそちらを採っているが、ブランダムールが前者で読んでから、高田・伊藤訳やシーバース訳などのように、それを踏襲する訳が見られるようになっている(ラメジャラーは2003年の時点でウェールズを採用していたが、2010年にガリアに戻した)。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「大国がほうびを運ぶとき」*4は、そう訳せないこともないが、少なくとも最上級表現が十分に反映されていない点は不適切。
 2行目「ニュールンベルグ アウグスブルク バスルの」は、ceux (人々)が訳に反映されていない。

 山根訳について。
 3行目 「フランクフルトがケルンの首領に奪回される」*5は、上述の通り、ラメジャラーが類似の読みをしている。
 4行目「彼らはフランドルを通ってフランスまで進むだろう」は Gale を Gaule と理解する点は許容される。ただし、細かい点だが、Flamans は地方名ではなく、そこの住民を指している。ゆえに「フランドル人たちを経て」とは、高田・伊藤訳で補われているように「フランドル人たちの間を通って」という意味か、シーバースの英訳にあるように「フランドル人たちの助力を受けて」の意味かのいずれかだろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、ニュルンベルク、アウクスブルク、バーゼルがいずれもドイツ(神聖ローマ帝国)の都市であり、アグリッピナはケルンのことであると注記しただけで、詩の内容についてはコメントしなかった*6

 1689年ルーアン版『予言集』に掲載された「当代の一知識人」の解釈では「ドイツ人、オランダ人への勝利によるイングランド王の復帰」とだけ書かれており、それは2年後の1691年ルーアン版『予言集』でも全く増補されなかった。

 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードシャルル・ニクローの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は第一次世界大戦序盤のドイツ軍の攻勢を描写していると解釈した*7

 アンドレ・ラモン(1943年)はニュルンベルクがナチズムの拠点であったこと、アグリッピナが暴君ネロの母で独裁者ヒトラーと結びつくモチーフであるなども踏まえ、アドルフ・ヒトラーの勢力伸長と解釈した*8

 エリカ・チータム(1973年)、セルジュ・ユタン(1978年)、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は、(それぞれ力点の置き方はやや異なるが) ドイツ軍が1940年5月に中立国だったオランダ・ベルギーを強行突破してフランスに攻め込んだことと解釈した*9

同時代的な視点

 アグリッピナがケルンの隠喩であることには異論がない。4行目 Gale は上述の通り、ウェールズとガリアの2説ある。ガリアを採るとすると、高田勇伊藤進が指摘するように、フランドル経由は南・中央ドイツからはかなり迂遠な経路となる。他方、ウェールズを採るとすると、ジャン=ポール・クレベールが指摘するように、位置関係として遠すぎるように思われるのも事実である。

 なお、ピエール・ブランダムールは前半2行が百詩篇第6巻15番の前半2行と似ていることを指摘した。

 1、2行目(あるいは3行目まで)について、神聖ローマ帝国における新皇帝選出の描写であろうということは、エドガー・レオニエヴリット・ブライラーピエール・ブランダムール高田勇伊藤進ジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーが一致している。
 7選帝侯にはケルン大司教とブランデンブルク辺境伯(フランクフルト・アン・デア・オーデルはブランデンブルクの都市)が含まれていた。また、フランクフルト・アム・マインは皇帝選挙の開催都市であった。
 細部のモチーフはともかく、確かに皇帝選挙との結びつきを想定するのが自然だろう。

 レオニは、新皇帝が選出されると、フランドル経由でフランスに攻め込むことになるという予言だったのではないかと解釈した*10。高田・伊藤も、この見解を踏襲し、(ただし、Gale をウェールズと読んでいることから)選ばれた新皇帝がウェールズかフランスに攻め込むモチーフではないかとした*11

 ラメジャラーは1519年の皇帝選挙(カール5世が選出され、フランス王フランソワ1世が落選した) がモデルではないかとした*12

【画像】関連地図


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最終更新:2015年12月23日 02:33

*1 DFE, DMF

*2 DMF, DFE

*3 高田・伊藤 [1999] p.253

*4 大乗 [1975] p.110。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.131。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Garencieres [1672]

*7 Fontbrune (1938)[1939] p.109, Fontbrune (1938)[1975] p.131

*8 Lamont [1943] pp.180-181

*9 Cheetham [1973], Hutin [1978], Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] p.352

*10 Leoni [1961]

*11 高田・伊藤 [1999]

*12 Lemesurier [2010]