フランクフルト(Frankfurt)はドイツの都市。普通は単にフランクフルトといえば、ドイツが誇る商業と金融の都フランクフルト・アム・マイン(人口66.4万)を指す。『ミシュラン・グリーンガイド ドイツ』、『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』のように、そちらでしか項目が立っていない文献もある。他方、ドイツにはオーデル川沿いの歴史ある都市フランクフルト・アン・デア・オーデル(人口8.5万)も存在する。フランス語ではフランクフォール(Francfort)、区別する時には前者が Francfort-sur-le-Main で、後者が Francfort-sur-l'Oder となる。
フランクフルトの語源は、いずれもフランク族の渡河点を意味する。
フランクフルト・アム・マイン
フランクフルト・アム・マインはマイン川下流域に発達したヘッセン州の都市。古代ローマ時代に城塞が築かれていたが、本格的な発展は1152年にフリードリヒ1世がこの地でドイツ王に即位してからである(フリードリヒは1155年に神聖ローマ皇帝となる)。
1356年以降はローマ皇帝選挙の開催地となり、1562年からは神聖ローマ皇帝の戴冠式の場となった。また、16世紀には帝国の貨幣鋳造権を握り、近代には大銀行家ロスチャイルドを輩出するなど、金融面でも発展を遂げた。
現在、この都市はドイツ連邦銀行を初めとする重要機関が置かれ、ドイツの商業・金融上の中心地として機能しており、鉄道・航空輸送にとっても重要な地点となっている。
文化面では18世紀に大文豪ゲーテを輩出している。『若きヴェルテルの悩み』が執筆されたのもこの都市である。現代では10月に開催される書籍見本市などで知られている。
フランクフルト・アン・デア・オーデル
フランクフルト・アン・デア・オーデルはドイツ、ブランデンブルク州の都市。ベルリンからは東に約95 km の場所に位置し、オーデル河岸にある。中世にはハンザ同盟都市として、商業的に発展した。
ノストラダムス関連
ノストラダムスは『予言集』で単に Francqfort ないし Frankfort としか綴っておらず、どちらの都市かを断定することはできない。
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最終更新:2015年12月23日 02:19