百詩篇第2巻45番


原文

Trop le ciel1 pleure2 l'Androgyn3 procreé4,
Pres de ce ciel5 sang humain respandu,
Par mort trop tarde6 grand peuple recreé7
Tard & tost vient8 le secours attendu.

異文

(1) le ciel : du ciel 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665, le Ciel 1672, du Ciel 1716
(2) pleure : pleure. 1594JF
(3) l'Androgyn : l'androgin 1590SJ 1649Ca, Androgyn 1594JF
(4) procreé 1555V 1568B 1568C 1568I 1589PV 1590SJ 1591BR 1597 1649Ca 1650Ri 1668A 1772Ri : procrée 1555A & T.A.Eds.
(5) de ce ciel : de ciel 1568B 1568C 1568I 1591BR 1597 1605 1611 1628 1649Xa 1650Ri 1772Ri, de ce Ciel 1589PV, du ciel 1600, de ce biel 1653 1665, de Ciel 1672, du Ciel 1716
(6) tarde : tard 1568B 1568C 1568I 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1630Ma 1644 1649Xa 1650Ri 1665 1672 1716 1772Ri 1981EB, tarp 1653
(7) recreé 1555V 1568B 1568C 1568I 1589PV 1590SJ 1591BR 1597 1649Ca 1650Ri 1668A 1772Ri : recrée 1555A & T.A.Eds.
(8) vient : vien 1716

校訂

 1、3行目の末尾は1555Aと1555Vで食い違っているが、語形からすれば明らかに1555Vの方が正しい(当然ピエール・ブランダムールブリューノ・プテ=ジラールはそちらを採用している)。その1555Vの原文を1557Uが引き継がずに、不正確な綴りの 1555A の方を引き継いだというのは興味深い。

日本語訳

天はアンドロギュノスが生まれたことに大いに涙する。
この空の近くで人の血が流される。
あまりにも遅い死によって、偉大な人々は再生される。
遅かれ早かれ期待された救いが来る。

訳について

 2行目 ce は「この」の意味にも「その、あの」の意味にもなる。ピエール・ブランダムールはそのまま ce と釈義しているので、どちらの意図なのかよく分からない。高田勇伊藤進は「この」、リチャード・シーバースは this と訳しているので、当「大事典」でもそれを採った。高田・伊藤が指摘するように、この詩は現在形の動詞と過去分詞しか使われていない。そこから考えるならば、ノストラダムスが自分の時代から離れた時代と場所を述べたよりは、自分が今いる「この」地域について述べていると考える方が自然ではないだろうか。
 他方、ピーター・ラメジャラーは that と訳している。

 ciel は「空、天」が最も一般的な語義だが、現代フランス語でも「風土、地方」などの意味を持つ*1。その空の下にある場所ということであろうが、中期フランス語でも「風土」(climat)などの意味はあった*2。ブランダムールは2行目の ciel を lieu (場所)と釈義している。

 3行目 tard は現在では副詞(「遅く」)としてしか使わないが、中期フランス語では形容詞として使われた*3。tarde は女性形の名詞に付くことが明らかであり、3行目の女性名詞は mort しかないので、これを形容していることが明らかである。前半律(最初の4音節)が tarde までということもあり、その読み方が妥当である。
 上掲の通り、後代の異本では tard とされており、これが一部の信奉者から「あまりにも遅く」(あまりにも遅い)が後半に係るかのように訳される原因になった。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「天は両性の生まれることを大いに悲しみ」*4は誤訳ではないにしても、単なる「両性」では男女別々なのか両性具有者なのかが分かりづらいように思われる。
 3行目「多くの人はゆっくりと死によって転じ」は、grand peuple は「多くの人」とも訳せるが、「転じ」が曖昧だろう。
 4行目「そのあとすぐに助けが求められる」は誤訳。vient は venir (来る)の活用形だが、その辺りのニュアンスが抜けている。

 山根訳について。
 1行目 「天はアンドロゲオースの誕生に涙を流す」*5は不適切。Androgyn は現代フランス語では Androgyne で、両性具有者のこと。山根訳の元になったエリカ・チータムの語注では、Androgyn は両性具有者(Androgyne)か、ギリシア神話のアンドロゲオス(Androgée)のこととされていたのだが、山根訳の解説(流智明(未作成)による)では、「アンドロゲオス」に両性具有者の意味もあるという、まったくの誤った解説がなされている。
 3行目「大いなる国民が復活するには時すでに遅すぎる 死ゆえにほどなく」は、言葉の区切り方とつなぎ方が不自然である。3行目に「ほどなく」はないので、4行目の tost を持ってきたものかもしれないが、強引に思われる。

 この詩は五島勉も『ノストラダムスの大予言II』および同『大予言III』で訳しているので、その訳について検討しておく(訳文はどちらも同じ)。
 1行目「天はアンドロジンが増えるのを深く嘆く」は誤訳。procreer (procréer)は「(子を)生む」の意味であって、「増える」の意味ではない。
 3行目「おおぜいの人が遅い死によって休む」はそう訳せないこともないが、強引であろう。recréer は本来の語義である「再創造する、立て直す」のほかに、「息抜きをする、気晴らしをする」の 意味も確かにあるが、「死」と結び付けてしまえば、その場合の「休む」が「息抜き」の意味から逸脱して解釈されてしまう(実際、五島は『大予言II』で死の意味に解釈している)。

信奉者側の見解

 この詩は、プレイヤード(七星詩派)にも絶大な影響を与えた大詩人ジャン・ドラによって解釈されたことで知られる。1570年7月にパリで誕生した両性具有者(結合双生児)とこの詩を結びつけた。ドラがそれに触発されて作成したラテン語詩は、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーのフランス語を添えて、『1570年7月21日にパリで生まれたアンドロギュノス』として、1570年に刊行された。
 シャヴィニー自身は、『フランスのヤヌスの第一の顔』(1594年)でも、やはりこの詩は1570年7月の結合双生児のことであるとし、流血沙汰への言及によって、聖バルテルミーの虐殺も予言されているとした*6

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「天」を一般庶民から高い地位にある王族と解釈し、王家で両性具有者が誕生することと解釈した。ただし、後半は「平易」として何も解釈しなかった*7

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードシャルル・ニクローの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、Androgyn をギリシア語の Andro-geneia と読み替えて、「男たちから生まれたもの」すなわち「男系の王統」、フランス王家(サリカ法によって女性の王位継承は認められなかった)と理解した。そして、フランス革命期のルイ16世の処刑(流血)から大いに遅れた20世紀に、その血筋を継ぐ大君主による王政復古が実現すると解釈した*8

 アンドレ・ラモン(1943年)は、アンドロギュノスをヒトラーと解釈し、ヒトラーが1944年までに死ぬことで、ユダヤ人(偉大な民族)たちが復興されると解釈した*9

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は具体的事件と関連付けない漠然とした解釈しか付けていなかったが、夫婦の改訂(1982年)では、イラン革命と関連付けた上で、革命を主導したホメイニ師が1980年代初頭か半ばに死ぬと、更なる流血が見られるとする解釈に差し替えられた。
 による再改訂(1994年)では、イラン革命に加えて、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ソマリアなどの情報も加筆されている*10

 エリカ・チータム(1973年)は、アンドロギュノスが両性具有者を指すことと、2行目が空での戦いについてと解釈するにとどまった。

 ヴライク・イオネスク(1976年)はイスラエル建国と解釈した。アンドロギュノスは旧約聖書のアダム(その肋骨からエバが生まれた)で、キリスト教における予型論ではアダムとイエスは重ねあわされている*11。ゆえに前半はイエスの受難であり、後半(イオネスクは3行目を「死によって、偉大な民族は大いに遅れて再興する」というように読んでいる)は、それから大いに遅れてユダヤ人(偉大な民族)が国を再建したことと解釈したのである*12

 セルジュ・ユタン(1978年)は、1行目が錬金術的な意味を持つ可能性を示しつつも、全体は第一次世界大戦についてと解釈した*13

 五島勉は『大予言II』(1979年)では、終末における男とも女とも付かない人々の出現や、同時期の航空機事故についての注意喚起と解釈していた*14
 同じく『大予言III』(1981年)でも解釈しているが、空近くでの流血は、客室乗務員の間で当時流行っていた「赤い汗」を流すという奇妙な現象と結びつけた*15

同時代的な視点

 アンドロギュノスは同時代のシャヴィニーやドラがそう解釈していたように結合双生児のことで、古来凶兆とされてきた。

 ピエール・ブランダムールは、結合双生児が誕生する時に大雨が降ること(1行目)、それが「この地方」での流血の予兆となること(2行目)、暴君がやがて死ぬことで偉大な民族の再生に繋がること(3行目)などが描写されているとした*16。この読みは高田勇伊藤進によって踏襲された*17

 ピーター・ラメジャラーはブランダムールの読みをおおむね受け入れたが、3行目はネポティスム(縁故採用)で知られた教皇パウルス3世が、1549年に82歳という当時としては十分に高齢で歿したことと関わりがあるのではないかとした*18


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最終更新:2016年01月21日 02:46

*1 『ロベール仏和大辞典』

*2 DMF

*3 DMF

*4 大乗 [1975] p.82。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.94 。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Chavigny [1594] p.192

*7 Garencieres [1672]

*8 Fontbrune (1938)[1939] pp.190-191, Fontbrune (1938)[1975] p.203

*9 Lamont [1943] p.309

*10 Roberts (1947)[1994]

*11 たとえば『ローマ書』5章。『新共同訳 新約聖書略解』ほか参照

*12 Ionescu [1976] pp.673-677

*13 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*14 『大予言II』p.202

*15 『大予言III』pp.88-90

*16 Brind'Amour [1996]

*17 高田・伊藤 [1999]

*18 Lemesurier [2003b]