De Bourze1 ville2 à la dame3 Guyrlande,
L'on4 mettra sus5 par la trahison faicte,
Le grand prelat6 de Leon par7 Formande8,
Faux pellerins & rauisseurs9defaicte.
異文
(1) Bourze : bourze 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To, bourse 1603Mo 1650Mo
(2) ville : vile 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1650Le 1667Wi 1668, Ville 1672Ga
(3) la dame : dame la 1568X 1590Ro, la Dame 1611 1665Ba 1672Ga 1720To 1840 1981EB
(4) L'on : Lon 1568X 1627Di
(5) sus 1568 1590Ro 1591BR 1605sn 1611 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1672Ga 1772Ri 1840 1981EB : sur T.A.Eds.
(6) prelat : prelatz 1568X, Prelat 1611 1644Hu 1653AB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1720To 1840 1981EB
(7) par (vers3) : per 1650Le 1667Wi 1668
(8) Formande : formande 1644Hu 1653AB 1665Ba 1720To
(9) pellerins : Pellerins 1667Wi 1672Ga
(10) rauisseurs : Rauisseurs 1672Ga, ravisseur 1716PR(b c)
全体として非常に訳しづらい詩である。
1行目 Bourze はいくつもの読みがある。ここでは、スペインの都市ブルゴス(Burgos)と英訳したエドガー・レオニの読みに従った。レオニの読みはブルゴスがレオン地方の主要都市のひとつであることから、文脈にも十分に適合するものと思われる。そのためもあってか、ピーター・ラメジャラー、リチャード・シーバースもこれを踏襲している。
他方、フランスのブールジュ(Bourges)とする読みが19世紀のアナトール・ル・ペルチエによって提示されており、現代でもジャン=ポール・クレベールはそれを採っている。また、ル・ペルチエの読みを誤りと断じたマリニー・ローズは Bourze ville という形で登場していることから、ピカルディ地方のブルスヴィル(Bourseville)とする読みを提示した。ville の位置の不自然さからすれば、この読みは一定の説得力を持つようにも思われるが、他の地名との位置関係には難がある。
1行目の la dame guirlande (花冠・花輪模様の貴婦人)について、ラメジャラー、シーバースは at/ to Our Lady of... と原文にない Our を補って英訳している。言うまでもなく Our Lady は聖母マリア(ノートルダム)のことである。レオニははっきりブルゴスのサン・エステバン大聖堂の隠喩であると注記している。当「大事典」でも、大聖堂の隠喩と見なして訳出したが、クレベールのように、2行目の行為の対象をこの婦人とする読みも存在する。
2行目 mettre sus は「責める」(imputer, accuser)(*1)、「設立する」(mettre sur pied, lever, organiser)(*2)などを意味する成句。
ピーター・ラメジャラーは、この詩で挙げられている地名はシャルル・エチエンヌの『フランス各地、さらには聖地、スペインなどへの旅路』(Les voyages de plusieurs endroits de France & encores de la Terre Saincte ; d'Espaigne, & autres pays)に基づいたもので、サン=ジャン=ド=リュズからサンティアゴ=デ=コンポステーラまでの巡礼路上に位置するとしている(*11)。彼は3行目 Formande はフォルマンダ(Formanda) としているが、インターネット検索などではそのような地名は出てこない。おそらく現存するとしても多少綴りが変化しているものと思われるが、エチエンヌの当該書は未確認なので、この点を掘り下げて検証することはできない。