百詩篇第10巻47番


原文

De Bourze 1 ville 2 à la dame 3 Guyrlande,
L'on 4 mettra sus 5 par la trahison faicte,
Le grand prelat 6 de Leon par 7 Formande 8 ,
Faux pellerins & rauisseurs 9 defaicte.

異文

(1) Bourze : bourze 1597 1600 1610 1650Ri 1653 1665 1716, bourse 1603Mo
(2) ville : vile 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1650Le 1668, Ville 1672
(3) la dame : dame la 1568A 1590Ro, la Dame 1611 1665 1672 1840 1981EB
(4) L'on : Lon 1568A 1627
(5) sus 1568 1590Ro 1605 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1672 1772Ri 1840 1981EB : sur T.A.Eds.
(6) prelat : prelatz 1568A, Prelat 1611 1644 1653 1665 1672 1840 1981EB
(7) par (vers3) : per 1650Le 1668
(8) Formande : formande 1644 1653 1665
(9) pellerins & rauisseurs : Pellerins & Rauisseurs 1672

(注記) 1840 は Bourze ville を Bourzeville と繋げている。

日本語訳

都市ブルゴスの花冠の貴婦人にて、
実行された裏切りのために人びとが責めるだろう、
偉大な高位聖職者を。(彼は)レオンからフォルマンダを経て、
偽の巡礼者たちと強盗たちによって打ちのめされる。

訳について

 全体として非常に訳しづらい詩である。
 1行目 Bourze はいくつもの読みがある。ここでは、スペインの都市ブルゴス(Burgos)と英訳したエドガー・レオニの読みに従った。レオニの読みはブルゴスがレオン地方の主要都市のひとつであることから、文脈にも十分に適合するものと思われる。そのためもあってか、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースもこれを踏襲している。
 他方、フランスのブールジュ(Bourges)とする読みが19世紀のアナトール・ル・ペルチエによって提示されており、現代でもジャン=ポール・クレベールはそれを採っている。また、ル・ペルチエの読みを誤りと断じたマリニー・ローズは Bourze ville という形で登場していることから、ピカルディ地方のブルスヴィル(Bourseville)とする読みを提示した。ville の位置の不自然さからすれば、この読みは一定の説得力を持つようにも思われるが、他の地名との位置関係には難がある。

 1行目の la dame guirlande (花冠・花輪模様の貴婦人)について、ラメジャラー、シーバースは at/ to Our Lady of... と原文にない Our を補って英訳している。言うまでもなく Our Lady は聖母マリア(ノートルダム)のことである。レオニははっきりブルゴスのサン・エステバン大聖堂の隠喩であると注記している。当「大事典」でも、大聖堂の隠喩と見なして訳出したが、クレベールのように、2行目の行為の対象をこの婦人とする読みも存在する。

 2行目 mettre sus は「責める」(imputer, accuser) *1 、「設立する」(mettre sur pied, lever, organiser) *2 などを意味する成句。

 3行目 Formande は未詳。アナトール・ル・ペルチエ以来、スペイン、バレアレス諸島のフォルメンテラ島(Formentera) の変形と見なすことが定説化しており、レオニ、ローズ、クレベール、シーバースは (疑問符つきの論者も含め) この読みを採用している。ラメジャラーのみはスペインの地名フォルマンダ(Formanda) としているが、後述する出典を未確認ということもあり、当「大事典」ではどこにある地名なのか特定できていない。それでもあえてそちらを採用したのは、下の地図を見ていただけば分かるように、フォルメンテラはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路およびレオンから、あまりにも離れているという事情がある。

 3行目を普通に読めば「レオンの高位聖職者はフォルマンドにより(/を経由し/の場所で)」だが、between Leon and Formanda と英訳したラメジャラーにも配慮した。par はこの場合、経由地を指すとも、その辺りの場所を指すとも解釈できる。

 4行目 defaicte は名詞とも過去分詞とも理解できる。後者の場合は女性形なので、1行目の「貴婦人」か、2行目の「裏切り」に対応していることになる。ゆえにクレベールは、1行目の婦人が裏切りの咎により、3行目の高位聖職者の命を受けた荒くれ者たちによって酷い目に遭う、というように読んだ。
 他方、ラメジャラーは defaite されるのは4行目の荒くれ者たちとし、シーバースは defaite されるのは3行目の高位聖職者としている。彼らの読みは過去分詞として理解する場合には整合しないので、おそらく defaite を名詞として扱いつつ言葉を補ったのではないかと思われる。いずれにせよ、3、4行目は明らかに前置詞などが複数不足しており、モデルが特定されないことには確定的な読みは困難だろう。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「婦人と花の都市から」 *3 は、Bourze が訳に反映されていないので不適切。
 2行目「彼は反逆によってとらわれ」も mettre sus の訳として不適切だろう。
 3・4行目「フォーマンドによってレオンの修道院長は/にせの巡礼者と強奪者は破壊されるだろう」は、それぞれの行をバラバラに訳したものとしては成立する。しかし、どうみても3行目の訳が中途半端で前後の行ときちんと関連していない。

 山根訳について。
 1・2行目 「ブルゴスの町にて 花冠の婦人に対し/謀叛の罪に評決が下されよう」 *4 は、可能な訳。2行目の「責める」対象を婦人と見なす読み方は前述のようにありうる。
 3・4行目「大いなる高位聖職者 フォルマンドにより/偽巡礼者と盗賊どもの手で滅ぼされる」も構文理解としてはありうるが、3行目で Leon が訳から脱落しているのは明らかに不適切。

信奉者側の見解

 基本的には全訳本の類でしか言及されてこなかった詩である。ゆえに、20世紀に入るまででコメントしているのはテオフィル・ド・ガランシエール(1672年)のみである。そのガランシエールは Bourze をブールジュ(Bourges)、Leon をリヨン(Lyon)の誤記と見なし、フランス王アンリ3世の時代の政治情勢の描写と解釈した *5

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は花の都パリでの陰謀事件と、それを処理するスペインの高位聖職者に関する予言と解釈した *6 。この解釈は夫妻やもそのまま踏襲した。

 エリカ・チータム(1973年)は文字通り一言もコメントをつけていなかった。その日本語版(1988年)は独自にコメントをつけたが、難解な詩として具体的な事件とは結び付けていない。チータム自身の最後の著作(1989年)でも、1行目の花冠の貴婦人が鍵だとコメントされるにとどまった *7

 セルジュ・ユタン(1978年)はスペイン内戦に関する予言と推測した *8

同時代的な視点

 ルイ・シュロッセ(未作成)は前半2行のモデルを、アルビジョワ十字軍によるラヴォール攻囲 *9 における女城主ジェラルダ(Dame Guiraude)の処刑と見なした *10 。シュロッセは Bourze はブールジュと理解している。

 ピーター・ラメジャラーは、この詩で挙げられている地名はシャルル・エチエンヌの『フランス各地、さらには聖地、スペインなどへの旅路』(Les voyages de plusieurs endroits de France & encores de la Terre Saincte ; d'Espaigne, & autres pays)に基づいたもので、サン=ジャン=ド=リュズからサンティアゴ=デ=コンポステーラまでの巡礼路上に位置するとしている *11 。彼は3行目 Formande はフォルマンダ(Formanda) としているが、インターネット検索などではそのような地名は出てこない。おそらく現存するとしても多少綴りが変化しているものと思われるが、エチエンヌの当該書は未確認なので、この点を掘り下げて検証することはできない。

 1行目の「花冠の貴婦人」が何を指すのかがポイントだろう。
 女城主ジェラルダとの言葉遊びと見なすのは、確かにありうるだろうが、スペインの地名と整合しない。
 他方、ラメジャラーの指摘は、確かに巡礼路が絡んでいるという点で順当なものと思われるが、事件のモデルがはっきりとしない。ただし、(Formanda なる地名が本当に巡礼路上にあるならば) 地名の位置関係は最も自然であるように思われる。
 とりあえず、世界遺産にもなっているブルゴスのサンタ・マリア大聖堂のファサードには、花冠を思わせる装飾窓(いわゆるバラ窓)があるので、ブルゴス大聖堂を「花冠の貴婦人」と喩える可能性はあるだろうと思われる(1221年起工のブルゴス大聖堂の最終的な完成は1567年のことだが、バラ窓はもっと以前から出来ていたであろう)。

【画像】 ブルゴスのサンタ・マリア大聖堂ファサードのバラ窓 *12

【画像】 関連地図


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