百詩篇第6巻73番


原文

En cité1 grande vn2 moyne3 & artisan4,
Pres de5 la porte logés6 & aux murailles:
Contre Modene7 secret, caue8 disant,
Trahys9, pour faire10 soubz couleur d’espousailles11.

異文

(1) cité : cite 1568A, Cité 1672Ga
(2) vn : en 1672Ga
(3) moyne : Moine 1590SJ, Moyne 1656ECL
(4) artisan : artisant 1667Wi
(5) Pres de : Presde 1612Me
(6) logés : logé 1656ECLa
(7) Modene : modene 1590SJ 1672Ga, Moderne 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1612Me 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1716PR, moderne 1653AB 1665Ba, Matrone 1656ECLa 1667Wi, matrone 1656ECLb
(8) caue : caué 1656ECL, Cave 1672Ga
(9) Trahys : Trahir 1653AB 1665Ba, Trahison 1656ECL, Trahïson 1667Wi, Thrahis 1772Ri
(10) pour faire: faisant 1557B 1589PV 1590SJ, faire 1656ECL 1667Wi
(11) d’espousailles: despousailles 1590SJ

(注記)1656ECL は2箇所で登場しており、若干の違いがある。最初(p.119)の方を 1656ECLa とし、後(p.217)の方を 1656ECLb としている(双方に共通する異文では区別なし)。

日本語訳

さる修道士と熟練工が大都市の
門の近く、城壁沿いに住まう。
モデナに対し、秘密をフクロウが語り、
(彼らは)裏切られる、婚礼という口実で実行するために。

訳について

 1行目 artisan は現代語では「職人、熟練工」の意味だが、中期フランス語では「芸術家」(artiste)の意味にもなった*1。DFEにも artisan 以外に artificer, artist などの訳語が載っている。他方、ジャン=ポール・クレベールは、16世紀当時には陰謀の考案者の意味でも使われていたとしている。3行目以降のモチーフからすると、それが最も整合的にも思われる。

 問題が3行目で、disant が dire (語る) の現在分詞なのはいいとして、cave (地下室、穴倉) は文脈からしてやや微妙である。そこで様々な読みが展開されている。クレベールはほぼそのまま souterrains (地下室、地下道)と釈義し、彼ら (修道士と熟練工) が地下室(または地下道)でモデナの抜け道を敵に教えるという意味に理解している*2
 ピーター・ラメジャラーは信奉者時代には cave は cause (原因)の誤記の可能性を挙げていた*3。転向後の2003年の時点では cave を 「気をつけろ!」(“Prenez garde!”) と読み替え、cave disant を keeping mum (沈黙を守りながら)と英訳していた*4。この英訳はリチャード・シーバースも踏襲したが*5、ラメジャラー自身は2010年には「『気をつけろ!』と言いながら」(saying “Beware!”)と訳しなおした。ただ、cave が「気をつけろ!」になる根拠は不明瞭である(ラメジャラーもシーバースも訳の根拠について何も説明していない)。caver は「穴を掘る」という意味のほか「賭ける」という意味があり、そこからの派生で「間抜けな」という意味の cave という語があるので、そこからの連想だろうか。
 「間抜け」を名詞的に捉えるなら、「間抜けが語る(ので)」とも訳せるか。
 古いフランス語では cave は「穴倉」などの意味のほか、 古語 choue の綴りの揺れとしての cave があり、これは「フクロウ」(chouette)を意味した。その場合、「フクロウが語る(ので)」の意味になる。語る主体の可能性としては、crave (ベニハシガラス)の誤記の可能性も挙げておきたい。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 3行目 「婦人に対して秘密にし よりいっそう気を付けて」*6は誤訳といってよいであろう。「婦人」は1656年の解釈書のようにmatroneを採用すれば、導ける読みではある。ところが、大乗訳の底本となったヘンリー・C・ロバーツはもとより、ロバーツの底本になったテオフィル・ド・ガランシエールの版でも matrone とする異文は採用されていない(上の異文欄を参照)。つまり、ガランシエールは原文をそのままにして解釈で Matrone を導入しており、英訳にはその解釈を反映させたのである。ところが、ロバーツも大乗訳もそういう解説が全くないため、原文からどう導いたのか分からない訳になってしまったのである。

 山根訳について。
 2行目 「門と壁の近くに宿をとる」*7は、loger が 「住む」 以外に 「泊まる」 の意味もあることを考えれば、成立する訳。
 3行目「モデナの悪口をひそかに徒(いたずら)に言いかわし」は微妙。元になったエリカ・チータムの英訳で vainly になっているのは、エドガー・レオニの emptily という英訳を真似たものだろうが、cave =「洞穴」=空っぽなもの、という連想から副詞化したものだろうか。上で述べたように、少なくとも現代の実証主義的諸論者で cave を「空虚に」 という副詞に理解している例は見当たらない。
 4行目「結婚を口実に振舞い 裏切る」は誤訳。 trahi(s) は過去分詞なので普通ならば「裏切られる」の意味にならねばならない。

信奉者側の見解

 1656年の解釈書では、フランスのブリサック元帥が1552年に修道士に欺かれた一件と、1555年のカザーレ・モンフェッラート奪還に関する一件と解釈されている*8。上の異文欄にあるように、この解釈はモデナ (Modene) を「高齢の女性」(matrone) と読み替えるなど、いくつかの原文の改変を必要とする。
 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)もこの解釈を踏襲した*9。前述の通り、ガランシエールは解釈は踏襲したが、原文にはほとんど修正を加えなかった。


 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は情景を敷衍するような漠然とした解釈しかつけていなかったが、夫妻の改訂版(1982年)では、ダニエル・ベリガン(カトリックのアメリカ人聖職者で、詩人としても知られるが、弟とともにベトナム戦争中に急進的な反戦運動を展開した)とする解釈に差し替えられた。この解釈はの改訂(1994年)でも維持されている。

 エリカ・チータムは1973年の時点では文字通り一言もコメントをつけていなかった。その日本語版(1988年)では、東西ドイツ統一の動きが起こるものの、裏切りによって頓挫することになるという解釈が付けられていた (なお、東西ドイツ分断の象徴となったベルリンの壁はこの解釈の翌年に瓦解し、1990年にドイツ統一が実現している)。チータム自身の最後の著書(1989年)では、解釈不能とだけ書かれている*10

 セルジュ・ユタン(1978年)は、ムッソリーニの権力掌握と解釈した*11

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーは「出典未特定」としており、他の論者にもモデルの特定に成功した者はいないようである。

 この詩の公刊は1557年のことであったので、1656年の解釈書にあった1552年や1555年の出来事をモデルに、事後的に執筆することは可能である。しかし、上述の通り、その解釈は前提としていくつもの読み替えが必要となるので、あまり有力な読み方とも思えない。


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最終更新:2016年02月08日 22:30

*1 DMF

*2 Clébert [2003]

*3 Lemesurier (1997)[1999]

*4 Lemesurier [2003b] p.238

*5 Sieburth [2012]

*6 大乗 [1975] p.193。以下、この詩の引用は同じページから。

*7 山根 [1988] p.230。以下、この詩の引用は同じページから。

*8 Eclaircissement..., 1656, pp.119, 217

*9 Garencieres [1672]

*10 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990], チータム [1988]

*11 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]