詩百篇第8巻7番


原文

Verceil1, Milan donra2 intelligence,
Dedans Tycin3 sera faite la paye4.
Courir5 par Siene6 eau sang, feu par Florence7,
Vnique8 choir9 d’hault en bas faisant maye.

異文

(1) Verceil : Verseil 1590Ro 1605sn 1649Xa, Vercueil 1627Ma 1627Di, Vercil 1650Mo
(2) donra : donna 1597Br 1603Mo 1606PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Mo 1716PR, donnera 1772Ri
(3) Tycin : Tyrcin 1611B 1981EB, Tisin 1720To
(4) paye : playe 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Mo 1650Ri 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1716PR 1720To 1981EB
(5) Courir : Coucir 1667Wi 1668P
(6) Siene 1568X 1568A 1568C 1590Ro : Seine 1568B 1591BR 1597Br 1603Mo 1605sn 1611 1628dR 1644Hu 1649Xa 1649Ca 1650Ri 1650Le 1650Mo 1667Wi 1668 1672Ga 1716PR 1772Ri 1840 1981EB, Saine 1606PR 1607PR 1610Po 1627Di 1627Ma, seine 1653AB 1665Ba 1720To
(7) Florence : florence 1627Di 1627Ma
(8) Vnique/ Unique : Uunique 1716PRc
(9) choir : cheoir 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1644Hu 1650Ri 1650Le 1650Mo 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1716PR 1720To 1840

校訂

 2行目 paye は playe (plaie, 傷)の誤植だろう。
 ジャン=ポール・クレベールは原文自体を playe としているし、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースは英訳で wound をあてている。

日本語訳

ヴェルチェッリミラノと内通するだろう。
ティキヌムでは傷が生み出されるだろう。
シエーナでは水と血が流れ、フィレンツェでは火が。
唯一の者が高き(身分)からパン櫃を作る低き(身分)へと失墜する。

訳について

 2行目は paye (給与支払い、支払人)を playe (傷) と校訂する見解に従っている。

 3行目は水、血、火の区切りが不鮮明である。ここではピーター・ラメジャラーの区切り方に従った*1
 courir (巡る、流れる)に適するものということで、液体である水と血は親和的であると考えたためである。
 ジャン=ポール・クレベールはシエーナに水、フィレンツェに血と火を分けている*2リチャード・シーバースは全部ひとまとめに「シエーナがフィレンツェを水、火、血であふれさせる」というように訳している*3

 4行目の maye が最大の懸案である。maye (= maie) はパンをこねたり保存するための箱、パン櫃のことである。これは中期フランス語でも同じであった*4
 ただし、 DALF だともっと一般的に mee (=huche, 長持、大箱)の綴りの揺れとされている*5。また、DFE だと、maye は捏ねるための箱とされる一方、カニの一種や服のフリルの意味の maie が載っている。
 当「大事典」は、最も基本的と思われる「パン櫃」の意味で訳出した。高貴な身分の者が、パン櫃を製造する手工業者の身分に落ちる、という意味合いに理解できると判断したからである(様々な製品の中からパン櫃が選ばれたこと自体に意味はないだろう。あくまでも押韻の都合だろうと考えられる)。
 ただし、異説も多い。
 アナトール・ル・ペルチエはロマン語で「我を助けよ」の意味としていた。エドガー・レオニの解説を参考にすると、どうも m'aïe と判断したらしい。確かに DALF にも aider (助ける)の古語の一つとして aier が載っているので*6、その命令形と理解することはできなくもないのかもしれない。
 エドガー・レオニピーター・ラメジャラー(2010年)はそれを採って「助けを求めつつ」あるいは「『我を助けよ』と呼びかけつつ」といった形で英訳している。他方、maye を「我を助けよ」の意味に解するのは不正確だと断定するマリニー・ローズの立場もある(ローズはパン櫃を第一義に挙げている)。
 ラメジャラーは2003年の時点では maying (5月の祝祭)と英訳していた。この英訳はリチャード・シーバースが踏襲している。
 ジャン=ポール・クレベールは maille (マイユ。カペー朝の最小の貨幣で、転じて小銭)で、faisant maye は「何の価値もない」の意味としている (クレベールの場合、choir を「落ちる」ではなく、choix 「選択」と読み替えて、選挙の意味を導いているので、他の論者の読みとかなり異なる)。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「ベルセ ミランは知恵を与え」*7は、固有名詞の読みを棚上げにすれば、一応成立する。ヴェルチェッリとミラノをともに主語にすると動詞の活用が一致しないが、直前の名詞に引き摺られた変則的な活用がありうること自体はピエール・ブランダムールなども認めていた。
 2行目「テイシンでは平和が生まれ」は、(やはり固有名詞の読みは棚上げするとして)「平和」が微妙である。おそらく paye を paix (平和)と読み替えたのだろう(paye はペイ [pεj] と読むが、その綴りの揺れである paie はペ [pε] で、paix もペ [pε] なので*8、発音上は整合する)。
 3行目「セーヌを水が走り フローレンスに血と火がふる」にも少々疑問がある。「セーヌ」は底本の違いによるものだが、ほかが全てイタリアの地名の中で、唐突にセーヌ川が登場するのは不自然であり、支持すべき理由がない。また、「火がふる」の「ふる」にあたる動詞は原文にない。意訳として補ったのだろうが、この補完が適切と見るかどうかは意見が分かれるところだろう。
 4行目「ただ一人が頂上から谷底に友を落とす」は元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳 Only one shall fall from top to bottom making friends*9 と見比べても明らかにおかしい。fall は「落とす」ではなく「落ちる」であり、原語の choir も「落ちる」を意味する。また、大乗訳ではロバーツ訳にあった making も脱落している。ちなみに maye に「友」という意味はないが、おそらく amie (女友だち)ないし amis (友人たち)のアナグラムとでも判断したのだろう (ロバーツの英訳はテオフィル・ド・ガランシエールの英訳のほぼ丸写しだが、maye は意味不明として、ガランシエールは英訳でもそのまま maye としている)。

 山根訳について。
 2行目 「パーヴィアは負傷するだろう」*10は微妙。ティキヌムはパヴィーアの古称なので、「パーヴィア」は(長音の処理の仕方に疑問があるとはいえ)理解できる。しかし、それには前置詞が付いているので、これを主語とするのは疑問である。ただ、直訳は当「大事典」のとおり、「傷が生み出される」であり (paye を playe と校訂した場合)、素直に読めば、パヴィーアで何者かが負傷する意味だろうとは思われるが、パヴィーアという都市そのものが被害を受ける意味にも読めないわけではない。
 3行目「セーヌ川を走り 水 血 火がフィレンツェから」は、上述のように、水、血、火の区切り方に定説がないので、一つの可能性としては読めなくもない。
 4行目「かけがえのない者 助けを求めながら 高きから低きへ転落する」は可能な訳。上述のように、maye を「我を助けよ」の意味に理解した時の訳例のひとつと言えるだろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、各地名の位置関係の解説をしただけで、内容については何も説明しなかった*11

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードシャルル・ニクローの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は大君主出現に先立つ近未来の戦争において、ミラノが激戦区になることの予言とした*12
 ロルフ・ボズウェル(1943年)も、詳しい情景を説明しているわけではないが、近未来の戦争の情景とした*13

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)はごく短い漠然とした解釈しかつけておらず、の改訂(1994年)に至っても変化がない*14

 エリカ・チータム(1973年)はミラノとパヴィーアがともにミラノ公国領だったことなどを説明しただけで、具体的な事件などとの関連付けは行わなかった*15

 セルジュ・ユタン(1978年)はフランス革命期のフランスとイタリアの混乱ぶりの描写とした*16

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は近未来に起こるイスラーム勢力によるヨーロッパ侵攻に関する予言とし、イタリア、スイス、フランスなどが被害を受けると解釈した*17

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォはフランスが大敗を喫し、国王フランソワ1世が捕虜となったパヴィーアの戦い(1525年)をモデルと見なした*18
 ピーター・ラメジャラーもパヴィーアの戦いとした*19
 たしかに、ティキヌム(パヴィーア)での負傷・損壊のモチーフ、高貴な者が零落するモチーフは、パヴィーアの敗戦を強く連想させる。
 他方で、プレヴォの採用した原文は後の時代のものなので、本来の原文に出てこない要素(セーヌ川など)と結び付けられている部分もあり、細部に疑問もなくはない。初出に依拠したラメジャラーにしても、ヴェルチェッリやシエーナがどう結びついてくるのかは詳述していない。
 ゆえに、パヴィーアの敗戦に触発された詩だとしても、その描写にはかなりのアレンジが加えられている (近未来にそのような敗戦が再び起こると考えて、自由に着想したなど)という可能性も視野に入れておくべきだろう。

【画像】 関連地図

その他

 1650Moでは、詩番号の位置が混乱しており、VIIという詩番号の下に、ひとつ前の詩の4行目とこの詩の4行分の計5行が並んでいる(前の詩は3行しかない)。


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詩百篇第8巻
最終更新:2020年05月14日 00:54

*1 Lemesurier [2010]

*2 Clébert [2003]

*3 Sieburth [2012]

*4 DMF

*5 DALF T.05, p.214

*6 DALF, T.01, p.180

*7 大乗 [1975] p.232。以下、この詩の引用は同じページから。

*8 『ロベール仏和大辞典』ほか

*9 Roberts (1947)[1949]

*10 山根 [1988] p.255 。以下、この詩の引用は同じページから。

*11 Garencieres [1672]

*12 Fontbrune (1938)[1939] p.237, Fontbrune (1938)[1975] p.251

*13 Boswell [1943] p.274

*14 Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1949]

*15 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*16 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*17 Fontbrune (1980)[1982]

*18 Prévost [1999] pp.186-187

*19 Lemesurier [2010]