原文
Par deux fois hault, par deux fois mis à bas1
L'orient2 aussi l'occident3 foyblira4
Son5 aduersaire apres plusieurs combats6,
Par mer7 chassé8 au besoing faillira9.
異文
(1) à bas : a bas 1568X 1590Ro
(2) L'orient : Lorient 1568X 1590Ro, L'Orient 1605sn 1627Ma 1627Di 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1650Mo 1653AB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1716PR 1720To 1840 1981EB, L'Orien 1611B
(3) l'occident : l'occieent [sic.] 1590Ro, l'Occident 1605sn 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1650Mo 1653AB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1716PR 1720To 1840 1981EB
(4) foyblira : affoyblira 1716PRb
(5) Son : O on 1611B
(6) combats : Combats 1716PR(a b)
(7) mer : Mer 1672Ga
(8) chassé : chasse chasse 1568X 1590Ro 1653AB 1665Ba 1720To, chasse 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR
(9) faillira : faudra 1572Cr
校訂
最も古いバージョンと思われる1568X の4行目が chasse chasse となっているが、これは単なる誤植だろう。それが、(1568Xを底本にしたらしい)1590Roに引き継がれているのは分かるとしても、17世紀半ばの質の低い1653ABに引き継がれたのは興味深い。
日本語訳
二度高く、二度低く置かれ、
東方も西方のように弱まるだろう。
その敵は多くの戦闘の後に
海で駆逐され、居るべき時にいないだろう。
訳について
ピーター・ラメジャラーは「東方が西方を弱らせる」というように読んでいるが、foiblir (faiblir)は少なくとも現代語では自動詞なので、やや不自然である。
アナトール・ル・ペルチエは
ロマン語では affaiblir (弱らせる)の意味があったとしており、それを採るならラメジャラーの読みは成立する。
DALF には foiblir の語義について、「弱さを抱く」(éprouver une faiblesse)、「~に弱さをもたらす」(causer une faiblesse à)とあり、過去分詞にした場合、affaibli と同義を持つことが示されている。
仮に foiblir に affaiblir の意味がなかったとしても、affoiblir (affaiblir) の語頭音消失と理解すれば、同様の意味は導ける。
4行目 au besoing faillira はいくつかの訳が成り立つ。
faillir に当時manquer (不足する、欠席する)の意味もあったことからすれば、これは「必要な時に欠席する」の意味になる。
さて、この句は通常の語順に直せば faillira au besoing で、同じ表現は
詩百篇第4巻45番(未作成)にも登場する。
そちらについて
ピエール・ブランダムールは「~は必要とされる時に最早そこにいないだろう」(...ne sera plus là quand on en aura besoin)と釈義していた。
同種の文脈かどうかには議論の余地があるかもしれないが、ここでもそれを採用した。
別訳としては faillir に「失敗する、挫折する」の意味があることを踏まえれば、「必要な時に失敗する」の意味になる。
「企てが頓挫する」と釈義した
ジャン=ポール・クレベール、「当然に失敗するだろう」(shall of necessity collapse)と英訳したラメジャラーはこちらの立場だろう。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
4行目 「海によって追われ 要求に負ける」は不適切。確かに Par mer は「海によって」とも訳すことができ、ラメジャラーやシーバースも by sea と訳しているが、この場合の par / by は手段ではなく場所や経路を指すと見る方が自然であろう。また、au besoing faillira は「要求に背く」とは訳せるだろうが、「要求に負ける」では意味が逆になってしまう。
山根訳について。
2行目 「東洋も西洋を弱体化させよう」がありうる訳なのは、上述の通り。
3行目「その敵は数度にわたる戦いを経て」も、
plusieurs の指す範囲が広いことを考慮すれば可能な訳。当「大事典」では、ラメジャラーやシーバースが many と英訳していることを踏まえた。
4行目「海より追い払われ 肝腎なときに失敗するだろう」が可能な訳であることも上述の通り。
信奉者側の見解
マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、ごく近い未来の戦争に関連付けていた。4行目は文字通り「海によって追い払われる」と理解し、終末に起こるノアの大洪水と結び付けていた。後の改訂版では、ノアの大洪水とする解釈はヨエル書からの引用に差し替えられた。ただし、フォンブリュヌが引用している「私は最も後退した海でその軍隊を打つであろう」(Je frapperai ses troupes vers la mer la plus reculée)という句は、優れたフランス語訳として国際的に名高いエルサレム聖書にも、それ以前に広く用いられていたスゴン訳聖書にも見当たらない。近い句を選ぶなら、「彼らを乾いた荒廃の地に追いやり/先陣を東の海に、後陣を西の海に追い落とす」(2章20節。新共同訳)であろうか。
アンドレ・ラモン(1943年)は、近未来に日本はアメリカにも中国にも敗北すると解釈した。時期を考えれば一応的中したといえるが、ラモンの第二次世界大戦全体のシナリオは全く当たっていないし、ミッドウェーの敗戦(1942年6月)以降、日本から見た戦況が悪化の一途を辿っていたことからすれば、予測は難しいことではなかっただろう。
エリカ・チータム(1973年)は20世紀の描写とし、いずれ東洋が西洋に挑んで敗北すると解釈した。その日本語版(1988年)では、20世紀の日本の浮沈を描いた詩とする原秀人の解釈に差し替えられた。チータム自身は最後の著作(1989年)で、東の勢力を
反キリストと結びつけた。
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年の時点では、1999年までに三度起こる世界大戦の概観としていたが、晩年の著作では2025年までに起こる東西間の衝突を描いたものとする解釈に差し替えられた。
2017年には、A・K・シャーマの解釈などに依拠する形で、1行目を「2度打ち上げて2度落とし」等と翻訳し、日本では北朝鮮のミサイル実験とする解釈がネットメディアや一部テレビ番組で見られるようになった。
同時代的な視点
ロジェ・プレヴォは、東から侵攻してくるオスマン帝国が念頭に置かれていたのではないかとした。
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コメントらん
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- 「二度高く、二度低く置かれ」はマレー海戦と真珠湾攻撃。「東方も西方のように弱まるだろう」は日本がドイツと同じく敗北したこと。 3-4行は、ミッドウェイ海戦の後、海軍も空軍の支援なしに戦った「硫黄島の戦い」や「沖縄戦」が思い起こされる。 -- とある信奉者 (2016-03-06 19:06:14)
- 追伸 「二度低く置かれ」は2発の原爆であろう。 -- とある信奉者 (2016-03-06 19:11:36)
最終更新:2020年06月12日 23:16