アンティオキア(Antiochia)は古代
シリアの都市。現在はトルコ、ハタイ州の州都アンタキヤにあたる。
アンティオキアはラテン名で、古代ギリシア名はアンティオケア(Antiochea)。当「大事典」では、日本で慣例的に多く使われるラテン名のほうを採用した。
概要
セレウコス朝シリアの首都として、セレウコス1世が紀元前300年に建設した。オロンティス川河口付近に栄えた商都で、その後、シルクロードの終着地の一つなどとして繁栄したが、紀元前64年に
ローマに滅ぼされ、シリア属州の州都となった。
その後も繁栄は変わらず、初期キリスト教の重要な拠点として『
新約聖書』にもその名が登場する。同書の使徒行伝(使徒言行録)では、最初の異邦人(非ユダヤ人)キリスト教会が設立された都市とされ、パウロの第1回・第2回伝道旅行の出発点になった。また、マタイによる福音書のように、アンティオキアでの作成を有力視されている文書も『新約聖書』に含まれている。
しかし、6世紀以降、外敵の侵入や天災によって衰亡した。
ノストラダムス関連
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最終更新:2016年04月21日 23:28