木星と土星の合

 木星と土星の合は、約20年ごとに起こる合であるが、天王星発見以前においては最も長い周期の合であったことから、古来重視され、特に大合(大会合)などと呼ばれる。

 英語名のままグレート・コンジャンクション(great conjunction)と表記している文献もある*1。フランス語ではグランド・コンジョンクション(grande conjonction)で、後述するようにノストラダムスもそう表現していた。

概要

 木星と土星の合は約20年(19.859年)ごとに起こる。

 天王星が発見されるまでは最も遠い2天体であった木星と土星の動きは、長い周期で国家の運命などを見ようとする場合に重宝した。現在においても、占星術においては政変などと結び付けられて重視されている*2

 また、イエス誕生の時に現れたとされる、いわゆる「ベツレヘムの星」を、紀元前7年の大合と結びつける説もある。
 ケプラーが提唱したことで広く知られている説で、確かにこの年の5月、10月、12月に相次いで双魚宮での大合が観測できたらしいが、そもそも「ベツレヘムの星」が客観的な天文記録かどうか自体を疑問視する見解も当然出されている*3


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三角宮との関係

 木星の公転周期は約12年(11.862年)、土星の公転周期は約30年(29.458年)である。この結果、この2つの星が、ある年に白羊宮の0度で合になったとすると、次に合となるのは約20年後、木星が1周と3分の2、土星が3分の2を巡った時点のことで、始点からは約240度の位置、つまり人馬宮になる。その後も同じ周期(約20年、約240度)で合となり、順に獅子宮、白羊宮、人馬宮とめぐってゆく。

 これらの合が実現するのは、互いに240度の関係になる宮、つまり逆に言えば、互いに120度になる宮であり、これらの3つの宮が火の三角宮を形成している。

 しかし、上記の数値はあくまでも概算値であり、約240度というのも実際には242°25i17ii10iii6ivであるため、このズレによって、合となる位置もずれていく。
 結果、白羊宮の0度からスタートした場合でも、12度の合を繰り返すと、次は金牛宮―磨羯宮―処女宮(地の三角宮)で合となる。それも12度繰り返されると双児宮―宝瓶宮―天秤宮(風の三角宮)、巨蟹宮―双魚宮―天蠍宮(水の三角宮)と、合になる宮はどんどんずれてゆく。
 約20年周期の合が12回繰り返されて次に移るということは、三角宮1組で合が繰り返される期間は約240年、そして4つの三角宮全て巡り終えるとき、すなわち960年経つと、振り出しに戻ることになる*4

 16世紀のピエール・チュレル(未作成)リシャール・ルーサの算定では、以下のように三角宮を推移するとされていた*5

三角宮 1巡目 2巡目 3巡目
前271年 685年 1641年
前32年 924年 1880年
207年 1163年 2119年
446年 1402年 2358年

ノストラダムス

 『大合について』という著書を著したアブー・マアシャル、世界の変動と関連付けたリシャール・ルーサらもノストラダムスの重要な参照元と推測されているので、ノストラダムスは木星と土星の大合を当然知っていたし、その三角宮との関係性の960年周期についても熟知していたと考えられる。

 実際、『1562年向けの暦』に収録されたローマ教皇ピウス4世への献辞でも、「960年ごとに白羊宮の始点で行われる木星と土星の大合(grandes conjonctions)」に触れている。

 また、
などはいずれも直接的にこの大合について述べているし、「1700年」(第1巻49番)、「703年」(第6巻2番)はいずれも白羊宮の始点で木星と土星が合になる1703年を念頭に置いているといわれる*6

関連項目

 天体の配置と思われる描写が登場する予言は、この記事にまとめてある。


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最終更新:2020年12月19日 22:19

*1 羽仁『図解西洋占星術』

*2 以上、羽仁、前掲書、pp.212-213

*3 斉藤国治『星の古記録』pp.70-73

*4 以上の説明はBrind'Amour [1993] pp.199-200 などによる。

*5 Brind'Amour [1993] p.208

*6 Brind'Amour [1993] pp.211-213