百詩篇第1巻51番


原文

Chef 1 d'Aries, Iuppiter & Saturne,
Dieu eternel 2 quelles 3 mutations ! 4
Puis par 5 long siecle son 6 maling temps 7 retourne,
Gaule & Itale 8 quelles 9 esmotions ! 10

異文

(1) Chef : Chefs 1605sn 1611A 1628dR 1649Xa
(2) eternel : Eternel 1588-89 1672Ga
(3) quelles : qu’elles 1590SJ 1665Ba
(4) mutations! : mutations? 1557U 1557B 1568 1590Ro 1591BR 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1716PR 1772Ri, mutations, 1588-89 1589PV 1605sn 1611B 1612Me 1628dR 1649Xa
(5) par : apres 1589PV 1590SJ
(6) son : fort 1653AB 1665Ba
(7) temps : tems 1716PRb
(8) Itale 1555 1840 : Itaille[sic.] 1557U, Italy 1672Ga, Italie T.A.Eds.
(9) quelles : qu’elles 1605sn 1628dR 1649Xa, quelle 1772Ri
(10) esmotions! 1555 1590SJ 1644Hu 1650Ri 1981EB : esmoutions? 1557U 1557B, esmotions? 1568 1589PV 1590Ro 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1716PR 1772Ri, esmotions. 1588-89 1612Me 1649Ca 1650Le 1668, emotions? 1591BR 1672Ga, emotions. 1605sn 1628dR, émotions! 1627Ma 1627Di, emotions! 1653AB 1665Ba, émotions 1649Xa

校訂

 圧倒的に多くの版が Itale を Italie としており、フランス語の綴りとしては確かにその方が正しい。しかし、ピエール・ブランダムールは韻律上の理由から Itale を支持している。

日本語訳

白羊宮の頭(に)、ユピテルサトゥルヌス
永遠の神よ、何という変転か!
そして長い時代を隔てて、かの悪しき時期が戻り来る。
ガリアとイタリア(では)、何という騒乱か!

訳について

 3行目以外はほとんど名詞句の羅列で、翻訳上の難点はない。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「白羊宮 木星 土星の顔」 *1 は誤訳。「頭」は「冒頭、劈頭」の喩えなので、「顔」と訳してしまうとなんだか分からなくなる。また、テオフィル・ド・ガランシエールは原文を Chef としつつも英訳を Heads としており、これにヘンリー・C・ロバーツが引き摺られ、そのロバーツを大乗は転訳したのだろうが、Chefs と複数に理解する読みは正統性を持っておらず、現代の実証主義的研究者たちからも支持されていない。ゆえに Chef はあくまでも白羊宮だけに係っていると見るべきだろう。
 ほかの行は若干の疑問もなくもないが、おおむね許容範囲内と思われる。

 山根訳について。
 1行目 「牡羊座の首領 木星 土星」 *2 は可能な訳だが、上述の通り、この場合は普通に「頭」と訳しておくのが無難だろう。
 4行目「フランス イタリアの騒乱は筆舌につくしがたい」は意訳としては許容範囲かもしれないが、2行目の quelles を「なんたる」と訳し、4行目の quelles を「筆舌につくしがたい」と訳すのは、訳語の整合性という観点から少々違和感がある(元になったはずのエリカ・チータムの英訳では、どちらも単なる what)。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、白羊宮の頭で木星と土星の合があるときにイタリアとフランスで動乱があるという、ほぼそのまま敷衍したコメントしかつけていなかった *3

 その後、20世紀初頭までこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードシャルル・ニクローの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は1937年から1999年の激動を描写するにあたり、初めの方にこの詩を置いている *4 。ただし、ほとんどそのまま敷衍したような読み替えのみで、細かい解釈はない。

 アンドレ・ラモン(1943年)は1行目について、「頭」を無視して「白羊宮に木星と土星があるとき」と理解し、1939年から1940年の星位と結び付けた *5

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)はイタリアやフランスの社会変動と結びつけたが、時期は明示しなかった *6

 クリスティアン・ヴェルナー(未作成)(1926年)は該当する日として1583年10月19日、1702年12月13日を示していた *7 。もっとも、ヴェルナーは白羊宮の中で合がある時期という漠然とした捉え方をしている。

 エリカ・チータム(1973年)はこのうちの1702年12月13日を採用し、その時期がスペイン継承戦争にあたっていたこと、それから1世紀(チータムは3行目の siecle を時代一般と捉えずに、文字通り1世紀と捉えた)以内にフランスでは革命が起こって大変動を経験し、ナポレオンがイタリアを侵略したと解釈した *8 。チータムは同じ星位が1995年9月2日にあることにも触れたが、それも含めて、エドガー・レオニ(1961年)が紹介した情報をほとんどそのまま転用している。

 セルジュ・ユタンは時期については疑問符つきでフランス革命期か第一帝政期とし、その時期のイタリア、フランスの騒乱を描写したものとした *9

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは1703年に白羊宮で起こった木星と土星の合(大合)を土台に、そのときに起こる騒擾を描写したものと推測した。彼は、その描写の土台になった文献として、リシャール・ルーサの『諸時代の状態と変転の書』(1550年)を挙げている。ルーサの予言の該当箇所を引用しておこう。

「そして、主の紀元1702年に白羊宮の頭 (la teste) 近くで起こる、かの有名な土星と木星の接近および和合は、傑出して驚倒すべき、かつまた非常に大規模な変化と変転 (mutations) とをあまねく地上に示すであろう。」 *10

 ルーサは1702年としているが、ブランダムールによれば、これは旧方式 (ancien style) であるといい、1703年を指している(旧方式についてはルシヨン王令参照)。なお、当「大事典」で確認している範囲では、上記の該当箇所を関連書で最初に引用したのはジェイムズ・レイヴァーである *11

 ブランダムールの解釈では、3行目は西暦2242年に土星の支配が戻り来ることを言ったものであるという(354年4か月(未作成)参照)。
 ルーサの該当箇所が下敷きになっているという考えは高田勇伊藤進ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースらも踏襲しており、ほぼ定説化しているといってよい。

 他方、ロジェ・プレヴォは1584年春に木星、土星、火星が白羊宮の1度で合になったとしている *12 。確かに、16世紀当時、ギヨーム・ポステルやレオヴィッツのように、1584年の合を重視する者たちがおり、世界の終末の可能性さえ取りざたされていた *13
 もっとも、当「大事典」ではその星位を確認できていない(合といえるほどでなくとも1584年4月に両星が白羊宮に入っていること自体は確認できる)。そもそも、1584年は水の三角宮の時期であり、チュレルらの算定では双魚宮で大合が起こる年だったはずである *14 。その年に白羊宮(火の三角宮)で合が起こるという算定は、百詩篇第1巻50番などで採用されている大合の周期と整合しない。
 どちらの算定が客観的に正しいかという点はさて措き、ノストラダムスがアブー・マアシャルリシャール・ルーサに依拠して大合を捉えていたのなら、この詩で描写されているのは1703年の大合と解釈する方が自然ではないだろうか。

その他

 1行目サチュルヌ (Saturne) と3行目ルトゥルヌ (retourne) は韻の踏み方として少々不適切だが、ブランダムールは Saturne をイタリア語的に「サトゥルヌ」と発音するとした *15

 1668年アムステルダム版およびそれを踏襲した1668年パリ版1669年パリ(プロメ)版などは、50番と51番が入れ替わっている。


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