De la felice1 Arabie2contrade,
Naistra3 puissant4 de loy5 Mahometique6:
Vexer l’Espaigne7 conquester8 la Grenade,
Et plus par9 mer à10 la gent lygustique11.
異文
(1) felice : Felice 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1630Ma 1644 1649Xa 1650Ri 1716
(2) Arabie : arabie 1627
(3) Naistra : N’aistra 1867LP, Naistre 1649Ca 1650Le 1668, Maistra 1672
(4) puissant : puissance 1588-89, Puissant 1627 1630Ma 1644, puissans 1716
(5) de loy : de la loy 1605 1649Xa 1653 1665 1672, de Loi 1712Guy 1840
(6) Mahometique : mahometique 1981EB
(7) Espaigne 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1591BR 1597 1600 1611 : Espagne T.A.Eds.
(8) conquester : conquestant 1712Guy
(9) plus par : plus part 1627 1630Ma
(10) mer à : mer a 1649Ca, Mera 1672
(11) lygustique 1557U 1557B 1568A 1588-89 1589PV 1590SJ 1590Ro 1981EB : Lygustique T.A.Eds.
1行目 felice は「幸福な」を意味する古語。つまり、felice Arabie はラテン語のアラビア・フェリックス (Arabia felix, 幸福(豊饒)のアラビア)に対応する。この名はイエメンの古称である(*1)。ここではそれに準じて訳した。同様の読みはエドガー・レオニ、マリニー・ローズ、ピーター・ラメジャラー、ジャン=ポール・クレベール、リチャード・シーバースらが採用している。
2行目 loi は例によって意味の幅が広いが、ここでは「宗教、信仰」の意味に解している。
4行目 Et plus は「その上、しかも」(il y a plus) を意味する(*2)。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「アラビアの国外に」(*3)は誤訳。feliceをどう訳したところで「国外」とは訳せないだろう。これは元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳 Out of the country of greater Arabia(*4)にもかなり問題がある。
2行目「モハメットの法による強い首長が生まれ」は意訳の範囲だろうが、「首長」にあたる語は原文にない。ロバーツの英訳に master とあるのに引き摺られたものと思われる。
3行目「スペインをなやまし グレナダを征服し」は、Grenade がスペインのグラナダと西インド諸島のグレナダの双方を指すので誤りではないが、文脈からすればグラナダの方だろう。
4行目「海で大勢がイタリアにくる」は、リグーリアをイタリアの代喩と見るのはありうる読みだろうが、訳文に反映させることの妥当性には議論がありうる。それ以上に問題なのは「大勢」で、plus par を plus part (plupart, 大部分)と読み替えている可能性がある。それは一つの読み方かもしれないが、だとすれば par mer (海で、海路で、海から)が成り立たなくなる。なお、ピーター・ラメジャラー、リチャード・シーバース、ジャン=ポール・クレベールらは、plus part とする読みを採っていない。また、ロバーツの英訳も And by sea shall come to the Italian nation. で、plus part と par mer を重ね合わせるような読みは採用していない。
山根訳について。
1行目 「アラビアのめぐまれた国に」(*5)は可能な訳。ただし、こう訳してしまうとアラビア・フェリックスをそのままフランス語訳した印象が伝わらなくなる。
4行目「リグーリアの民のほとんどを海から屈服させるだろう」は、まず「ほとんど」の扱いに問題がある。大乗訳同様、plus par を plus part と読み替えたのだろうが、その問題点は上述の通り。なお、大乗訳と異なり、山根訳の元になったエリカ・チータムの英訳の場合、その訳文で most of the... となっており、これをそのまま転訳したものと思われる。さらに「屈服させるだろう」は原文に無く、リグーリアに赴く理由は全く書かれていない。ゆえに、後述のロバーツの解釈のようにイスラーム勢力とイタリアが手を結ぶと読めないわけではない。もちろん、そういう読みは文脈からして少々不自然だろうから、当「大事典」としては採用しないが、「屈服させるだろう」を補う読みに全く問題が無いわけとはいえないということは一応指摘しておく。
なお、山田高明『神々の予定表』(2016年)には、当「大事典」が過去に掲載していたこの詩の訳文が引用されており、現在の訳文(上掲)とは違っている。当「大事典」では、過去に掲載していた訳文からの変更点を逐一明示したりはしていないが、この詩については公刊された文献で引用されたという事情を踏まえ、以前の訳文で誤っていた点について明記しておく。
1行目「アラビアのフェリックス地方から」は不適切。これは研究社の『羅和辞典』(旧版)の Arabia の項に「西部アジアの国。古くはPetraea, Deserta, Felix の3州に分けられていた」(*6)とあったものを早合点したことによる。アラビアのかつての地域区分は「アラビア・ペトラエア」(岩のアラビア)、「アラビア・デセルタ」(荒地のアラビア)、「アラビア・フェリックス」(幸福のアラビア)であって、「フェリックス」だけ切り離して地方名とするのは誤り。ノストラダムスの原文でも Arabie は名詞、felice はこの場合形容詞なので、「アラビア・フェリックス」をそのまま訳したものであることが伝わるようにすべきであった。
3行目でグラナダを「グレナダ」と表記していたのも誤り。スペインの都市であることは認識していたが、フランス語の綴り (Grenade) に引き摺られて誤った表記をしていた。
4行目「さらにはリグーリアの民へと」 は par mer (海で、海を経て)が脱落している点で完全に誤訳。