百詩篇第5巻55番


原文

De la felice 1 Arabie 2 contrade,
Naistra 3 puissant 4 de loy 5 Mahometique 6 :
Vexer l’Espaigne 7 conquester 8 la Grenade,
Et plus par 9 mer à 10 la gent lygustique 11 .

異文

(1) felice : Felice 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1630Ma 1644 1649Xa 1650Ri 1716
(2) Arabie : arabie 1627
(3) Naistra : N’aistra 1867LP, Naistre 1649Ca 1650Le 1668, Maistra 1672
(4) puissant : puissance 1588-89, Puissant 1627 1630Ma 1644, puissans 1716
(5) de loy : de la loy 1605 1649Xa 1653 1665 1672, de Loi 1712Guy 1840
(6) Mahometique : mahometique 1981EB
(7) Espaigne 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1591BR 1597 1600 1611 : Espagne T.A.Eds.
(8) conquester : conquestant 1712Guy
(9) plus par : plus part 1627 1630Ma
(10) mer à : mer a 1649Ca, Mera 1672
(11) lygustique 1557U 1557B 1568A 1588-89 1589PV 1590SJ 1590Ro 1981EB : Lygustique T.A.Eds.

日本語訳

アラビア・フェリックス地方から
ムハンマドの信仰をもつ強者が生まれるだろう。
スペインを悩ませ、グラナダを征服する。
さらには海を経てリグーリアの民へと。

訳について

 1行目 felice は「幸福な」を意味する古語。つまり、felice Arabie はラテン語のアラビア・フェリックス (Arabia felix, 幸福(豊饒)のアラビア)に対応する。この名はイエメンの古称である *1 。ここではそれに準じて訳した。同様の読みはエドガー・レオニマリニー・ローズピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースらが採用している。
 2行目 loi は例によって意味の幅が広いが、ここでは「宗教、信仰」の意味に解している。
 4行目 Et plus は「その上、しかも」(il y a plus) を意味する *2

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「アラビアの国外に」 *3 は誤訳。feliceをどう訳したところで「国外」とは訳せないだろう。これは元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳 Out of the country of greater Arabia *4 にもかなり問題がある。
 2行目「モハメットの法による強い首長が生まれ」は意訳の範囲だろうが、「首長」にあたる語は原文にない。ロバーツの英訳に master とあるのに引き摺られたものと思われる。
 3行目「スペインをなやまし グレナダを征服し」は、Grenade がスペインのグラナダと西インド諸島のグレナダの双方を指すので誤りではないが、文脈からすればグラナダの方だろう。
 4行目「海で大勢がイタリアにくる」は、リグーリアをイタリアの代喩と見るのはありうる読みだろうが、訳文に反映させることの妥当性には議論がありうる。それ以上に問題なのは「大勢」で、plus par を plus part (plupart, 大部分)と読み替えている可能性がある。それは一つの読み方かもしれないが、だとすれば par mer (海で、海路で、海から)が成り立たなくなる。なお、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースジャン=ポール・クレベールらは、plus part とする読みを採っていない。また、ロバーツの英訳も And by sea shall come to the Italian nation. で、plus part と par mer を重ね合わせるような読みは採用していない。

 山根訳について。
 1行目 「アラビアのめぐまれた国に」 *5 は可能な訳。ただし、こう訳してしまうとアラビア・フェリックスをそのままフランス語訳した印象が伝わらなくなる。
 4行目「リグーリアの民のほとんどを海から屈服させるだろう」は、まず「ほとんど」の扱いに問題がある。大乗訳同様、plus par を plus part と読み替えたのだろうが、その問題点は上述の通り。なお、大乗訳と異なり、山根訳の元になったエリカ・チータムの英訳の場合、その訳文で most of the... となっており、これをそのまま転訳したものと思われる。さらに「屈服させるだろう」は原文に無く、リグーリアに赴く理由は全く書かれていない。ゆえに、後述のロバーツの解釈のようにイスラーム勢力とイタリアが手を結ぶと読めないわけではない。もちろん、そういう読みは文脈からして少々不自然だろうから、当「大事典」としては採用しないが、「屈服させるだろう」を補う読みに全く問題が無いわけとはいえないということは一応指摘しておく。

 なお、山田高明神々の予定表』(2016年)には、当「大事典」が過去に掲載していたこの詩の訳文が引用されており、現在の訳文(上掲)とは違っている。当「大事典」では、過去に掲載していた訳文からの変更点を逐一明示したりはしていないが、この詩については公刊された文献で引用されたという事情を踏まえ、以前の訳文で誤っていた点について明記しておく。
 1行目「アラビアのフェリックス地方から」は不適切。これは研究社の『羅和辞典』(旧版)の Arabia の項に「西部アジアの国。古くはPetraea, Deserta, Felix の3州に分けられていた」 *6 とあったものを早合点したことによる。アラビアのかつての地域区分は「アラビア・ペトラエア」(岩のアラビア)、「アラビア・デセルタ」(荒地のアラビア)、「アラビア・フェリックス」(幸福のアラビア)であって、「フェリックス」だけ切り離して地方名とするのは誤り。ノストラダムスの原文でも Arabie は名詞、felice はこの場合形容詞なので、「アラビア・フェリックス」をそのまま訳したものであることが伝わるようにすべきであった。
 3行目でグラナダを「グレナダ」と表記していたのも誤り。スペインの都市であることは認識していたが、フランス語の綴り (Grenade) に引き摺られて誤った表記をしていた。
 4行目「さらにはリグーリアの民へと」 は par mer (海で、海を経て)が脱落している点で完全に誤訳。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「リグーリアの民とはジェノヴァの人々である」 *7 というコメントしかしなかった。

 バルタザール・ギノー(1712年)は、いつの日かアラビアの豊かな国から現れる軍事指導者がグラナダ王国を占領し、海路でイタリアにも攻め入ることになると解釈した *8

 その他では、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードシャルル・ニクローロルフ・ボズウェルジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は1999年前後に想定していた反キリストによる騒乱に関する詩の一つとして採り上げていた *9 。類似の解釈は息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)の解釈にも見られる *10

 アンドレ・ラモン(1943年)は、将来におけるイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻と解釈した *11

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、モロッコから強力なイスラームの指導者が現れてスペインを征服すると解釈した。ただし、イタリアとは友好的な関係を結ぶとした *12夫婦の改訂(1982年)では、解釈の前半(モロッコからのイスラーム指導者の出現)だけ残し、後半はイラン革命とその指導者ホメイニとする解釈に差し替えられた *13

 エリカ・チータム(1973年)はスペイン、グラナダをアラブ人たちが再占領することになると解釈し *14セルジュ・ユタン(1978年)も、地中海西部におけるイスラーム勢力の盛り返しと解釈した *15

 山田高明(2016年)は近未来にイエメンから現れるイスラーム系の指導者についてと解釈し、他の詩篇と合わせてイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻が描かれているとした *16

懐疑的な視点

 ロバーツの解釈についてだが、モロッコが出てくる理由がよく分からない。日本語版ではスペインの対岸という説明が補足されている。それがロバーツの意図どおりかは分からないが、いずれにしても「アラビア・フェリックス」の語を無視してモロッコを導くのは無理があるだろう。
 また、追加部分の解釈についてだが、ホメイニはモロッコ出身ではない。一時、トルコ、イラク、フランスなどに滞在あるいは亡命していた時期はあったが、モロッコは重要な役割を果たしていない。また、ホメイニとスペイン、イタリアなどとの関わりも不鮮明である。

同時代的な視点

 詩の情景は読んだままである。イエメンの辺りから現れるイスラーム系の軍事指導者によってスペイン(特にその南部)が蹂躙され、その火の手は海路でイタリア北西部にも飛び火する、というものだろう。4行目については上述のロバーツの当初解釈のように、イスラーム勢力とイタリアが手を結ぶと読めないわけではないが(原文には海路でリグーリアに赴く理由は全く書かれていないため)、少々設定として不自然だろう。

 ピーター・ラメジャラーは『ミラビリス・リベル』に描かれた反キリストとイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻がモデルになっているとした *17

 かつてルイ・シュロッセ(未作成)は1530年代にオスマン帝国の提督バルバロッサ(バルバロス・ハイレッディン)率いる艦隊がフランスを訪れたことがモデルとしていた *18
 つまりは、フランスとオスマン帝国が手を結ぶことが、将来のオスマン帝国の侵攻を許すことに繋がるのではないかという警戒心の投影というわけである。同様の視点は百詩篇第1巻18番などにも投影されている。また、この詩ではスペイン南部を占領したイスラーム勢力が、フランス南岸は無視してイタリアを行くというやや不自然な描写がなされているが、もしもこれがフランスとオスマン帝国の同盟関係を踏まえた描写なのだとしたら、その不自然さにも一定の説明が出来るのかもしれない。

 しかし、いずれにしても何故アラビア・フェリックス、すなわちイエメンが名指しされているのかについて、説得的な説明はなされていないようである。

【画像】関連地図。赤点をちりばめてある海域がリグーリア海。


コメントらん
以下のコメント欄はコメントの著作権および削除基準を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。

名前:
コメント: