百詩篇第3巻20番


原文

Par les 1 contrées 2 du grand fleuue Bethique 3
Loing d'Ibere, au regne 4 de Granade 5 ,
Croix repoussées par gens Mahumetiques 6
Vn de Cordube trahira 7 la 8 contrade 9 .

異文

(1) les : leurs 1627
(2) contrées : Contrées 1672
(3) Bethique : Betique 1557B 1605 1649Xa 1672, Bezaique 1588-89
(4) regne 1555 1840 : royaume 1557U 1557B 1568 1589Me 1589PV 1590Ro 1590SJ 1591BR 1597 1605 1611A 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668A, Royaume 1588Rf 1589Rg 1600 1610 1611B 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1668P 1672 1716 1772Ri 1981EB
(5) Granade 1555 1840 : Grenade T.A.Eds. (sauf : Cranade 1589PV 1590SJ, grenade 1627)
(6) Mahumetiques 1555 1589PV 1590SJ 1840 : Mahometiques T.A.Eds.
(7) Cordube trahira : Cordube rahira 1589Me, Corduber haira 1644(?) 1653 1665, Cordubert haira 1650Ri, Cordubeteahira 1716
(8) la : la fin 1605 1649Xa 1672
(9) contrade : Contrade 1672 1772Ri

(注記) 1644は印刷が不鮮明で判読困難なので、一部の断定しがたい異文については (?) を付したが、同系列の異文との比較から言ってほぼ間違いないものと考えられる。

校訂

 ピエール・ブランダムールは d'Ibere を d'Iberie に、gens Mahumetiques を gent Mahumetique に、それぞれ校訂した。これはいずれも韻律上の要請である。なお、gent と gens は語源は同じだが、前者が単数で後者が複数という話ではない。

日本語訳

バエティカの大河の(流れる)諸地方を通り、
イベリアから遠く、グラナダの王国へ、
十字架はムハンマドの信徒によって押し返される。
コルドバの一人(の男)が国を裏切るだろう。

訳について

 1行目 Bethique (Bétique) は古代ローマ時代のバエティカ地方 (Baetica) を指すフランス語で、現代のアンダルシア地方に該当する *1 。その「大河」が古代ローマ時代にバエティス川 (Baetis) と呼ばれたグアダルキビル川を指すというのは定説化しており、異論がない。なお、グアダルキビルの語源はアラビア語の「大河」(al wadi al kibir)である *2
 2行目の「イベリア」(Iberie) は現在でこそスペイン、ポルトガルを含む半島全体の名称になっているが、もとはスペイン北東部を流れるエブロ川にちなむ名称である。1、2行目の古称は現在もスペイン南西のベティカ山系、北東のイベリカ山脈にその痕跡を残している *3
 同じく2行目のグラナダ王国は1492年に滅びたナスル朝のことで、スペイン南東部に勢力を持っていた。詳しい位置関係は下掲の地図参照。なお、かつてエヴリット・ブライラーは Iberia について、イベリア半島ではなくコーカサス地方のイベリア(現在のグルジア/ジョージアにあった古代王国)ではないかとしていた。確かに綴りは同じだし、それならばグラナダ王国からも遠いが、さすがに考えすぎではないだろうか。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「ベティ川の国々を通って」 *4 は、grand が訳に反映されていない。なお、バエティスは(手許の辞書では確認できないがウィキペディアフランス語版が正しいのなら)フランス語で Betis と綴るらしいので、「ベティ」という表記も理解できないことはない。ただ、傍注で「ベティ川はラテン語」と述べているのは誤りである(これはロバーツが Betis を Latin name としたのを転用したものだろう)。
 2行目「イベリアから離れたグレナダの王国に」は、グレナダに「西インド諸島の島」と注記されていることと合わせて不適切。上の異文欄にあるように、確かにほとんどの版で Granade ではなく Grenade となっているが、そもそもフランス語の Grenade は「スペインのグラナダ」と「西インド諸島のグレナダ」の双方の意味を持っている *5 。バエティス(グアダルキビル)やコルドバもかつてのグラナダ王国の勢力圏内だったことを考えるならば、西インド諸島のグレナダの出る幕はないだろう。
 3行目「十字架が回教の人々によってもぎとられ」は repoussé (repousser 「押し返す、阻む、拒絶する」の受動態) を「もぎとられ」とするのが不適切。
 4行目「コルドバの一人はついに国を裏切るだろう」は「ついに」が原文にない。ヘンリー・C・ロバーツテオフィル・ド・ガランシエールの英訳を転用しているが、ガランシエールは4行目に fin が入った異文を採用していたので不自然はなかったが、ロバーツは fin を除外したにもかかわらず訳文に「ついに」を含めているのでおかしなことになっている。大乗訳はそのロバーツの英訳の転訳である。

 山根訳について。
 1行目 「大河グアダルキビルの流域をとおり」 *6 は、バエティカの大河がグアダルキビルを指すことが定説化している以上、意訳として許容されるだろう。
 2行目「スペインから遠くグラナダ王国へ」は、1行目と逆に意訳してはいけない例。グラナダ王国はスペイン南東部にあったのだから、「イベリアから遠く」を「スペインから遠く」にしてしまったのでは意味不明である。これはエリカ・チータムの英訳をほとんどそのまま転訳したものだが、チータムがしばしばそのまま借用しているエドガー・レオニの英訳では Deep in Iberia となっていた。また、同じくチータムの借用元となっていたジェイムズ・レイヴァーはイベリアの語源はエブロであるとしてそれを訳に反映させていた。これらの穏当な訳を無視して、なぜチータムが地理的にデタラメな独自訳を施したのか分からない。
 4行目「コルドバ出身の男が祖国を裏切るだろう」は可能な訳。de は「~の」、「~からの(出身の)」のどちらにも訳せる。また、un (一人)は男性形なので「男」でも問題ない(ただ、単数であることを明示してあるほうが望ましいかもしれない)。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、大河がグアダルキビル川であることや、グラナダ王国の主都がコルドバであったこと、フェルディナンド2世とイサベル1世によって追い出されるまではモール人の国であったことなどを説明し、「残りは平易」とした *7


 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は1999年前後に想定していた反キリストによる騒乱に関する詩の一つとして採り上げていたが、詳細な解釈はもちろん詩文の釈義すら付けていなかった *8

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)はグアダルキビル川沿岸の都市セビーリャが舞台と解釈し、その都市へとコルドバの裏切り者の手引きによってモール人たちが招き入れられるとした *9

 ジェイムズ・レイヴァー(1952年)は、レコンキスタによってグラナダ王国が陥落した後もスペインに残り続けていたモール人たちが1610年に最終的にスペインからの追放を命じられたことと解釈した *10 。レイヴァーはcontradeを contract と英訳し、モール人たちが契約を破ったと理解した。

 セルジュ・ユタン(1978年)は20世紀北アフリカにおけるアラブ諸国の独立と解釈し、それらはかつてのレコンキスタに対する仕返しのようなものだと位置づけた *11 。1981年版の概論では、近未来にロシアの助力を受けてヨーロッパ侵攻をするイスラーム勢力に関する詩の一つとして、3行目だけ引用したが *12 、テクストに付けた解釈部分はまったく変更しないチグハグさだった。
 ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、1492年にグラナダがイスラーム勢力から解放されたことを挙げて矛盾した詩だとしつつ、再占領が行われることなどを恐れたものではないかとした *13

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年のベストセラーでは何も触れていなかったが、のちにグラナダでのイスラーム勢力の残党による反乱(1567年)や、その後の追放と解釈した *14

同時代的な視点

 レコンキスタ運動によって、キリスト教徒たちがグラナダ一帯をその勢力下に取り戻したのは1492年のことであり、ノストラダムスが生まれたのはその11年後であった。グラナダ情勢は彼が関心を抱いたとしてもおかしくない、ホットな話題であった。
 エドガー・レオニピエール・ブランダムール高田勇伊藤進は、そのグラナダが、コルドバ(かつての後ウマイヤ朝の首都)から裏切り者が出ることで、再びモール人の手に落ちることを懸念したのではないかとしている *15

 上述のフォンブリュヌの解釈のように、ノストラダムスの死後ではあったが、グラナダではイスラーム勢力による反乱が実際に起こっている。生前のノストラダムスが懸念を抱いたとしても十分に不思議は無い火種が、確かに残り続けていたわけである。

 ピーター・ラメジャラーは、『ミラビリス・リベル』に描かれたイスラーム勢力によるヨーロッパ侵攻のモチーフがモデルとしている *16 。確かにそうした言説の存在はイスラームに対して警戒心を煽ったであろうし、中央ヨーロッパや地中海でのオスマン帝国の動きも警戒心を抱かせるに十分であったろう。

 結果的にグラナダが再びイスラーム勢力圏内に入ることはなかったとはいえ、キリスト教徒がそのような警戒心を抱くのに十分な情勢は存在していたといえるだろう。

【画像】 関連地図 *17 。南端の赤線で囲まれているのがグラナダ王国。近くの青い線がグアダルキビル川、川沿いの赤い点がコルドバ。北東の紫の線がエブロ川。


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  • テロリスト(ISIS)によるスペイン攻撃。コルドバは何かの省略形アナグラムな気がする。 一時期はそれに占拠されるが、追放する現代版レコンキスタを予言か。 -- とある信奉者 (2016-07-18 02:41:34)
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