百詩篇第9巻30番


原文

Au port de PVOLA 1 & de saint Nicolas 2 ,
Perir 3 Normande au goulfre 4 Phanaticque 5 ,
Cap. 6 de Bisance raues 7 crier helas, 8
Secors 9 de Gaddes & du grand Philipique.

異文

(1) PVOLA : Puola 1590Ro 1597 1600 1603Mo 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1672 1716
(2) saint Nicolas : St. Nicolas 1672
(3) Perir : Peril 1605 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1840 1981EB
(4) goulfre : gouffre 1568I, goufre 1590Ro 1600 1610 1630Ma 1650Ri 1716, gouphre 1627, goulphre 1644 1653 1665 1840, Gouffre 1672
(5) Phanatique : Phatanique 1653 1665
(6) Cap. : Cap 1600 1627 1630Ma 1644 1649Xa 1650Ri 1672 1716
(7) raues 1568A 1568B 1568I 1590Ro 1653 1665 : rues 1568C 1591BR 1597 1600 1603Mo 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1672 1772Ri 1840, ruës 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1668 1716, rue 1981EB
(8) crier helas : crier ! helas 1627, crier helas ! 1630Ma 1644 1650Ri 1981EB, crier Helas ! 1672
(9) Secors : Secours 1568I 1600 1610 1611B 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1650Le 1668 1672 1716 1840 1981EB

(注記) raues の a は不鮮明 1568

校訂

 ピーター・ラメジャラーは1568年版のテクストとして1行目 PVOLA を POULA とし、3行目の raues を rues としている。リチャード・シーバースもそのテクストをそのまま踏襲している。
 rues は確かに 1568C に見られる(もっとも、ラメジャラーはその時点では1568Bしか参照していなかったはずなので、やや不自然ではある)。しかし、PVOLA (PUOLA) には大文字・小文字以外の異文がなく、後の版も含めても POULA と綴っているものはない。これが校訂の結果なのか、単純なミスなのかはよく分からない。ただ、そちらの綴りの方が、定説化しているプーラと読む上で自然なのは事実である。

 2行目について、ラメジャラーは Normande を Normands と校訂している。シーバースやジャン=ポール・クレベールも翻訳や釈義においては Normands と見なしている。
 同じく2行目の Phanatique は Flanatique ないし Phlanatique の方が適切。この点は(若干綴りの捉え方に違いはあるが)ラメジャラー、クレベール、シーバースが一致している。

 3行目 raves は異文のほうの rues が採用されるのが一般的である。しかし、それでは後半律が1音節以上足りないので、当「大事典」では(主たる訳文には採用しないものの)ravis などの誤記の可能性も挙げておきたい。

日本語訳

プーラの、そして聖ニコラオスの港で、
フラナティクス湾で、ノルマン人が滅ぶ。
ビュザンティオンに捕らわれ、街路で嗚呼と叫喚する。
ガデスから、フィリッポス的な偉人による救いが。

訳について

 1行目 PVOLA (PUOLA) はクロアチアの港湾都市プーラ (Pula, イタリア語名 Pola) であることはほぼ定説化している。マリニー・ローズピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースがいずれもそれを採っている。
 Saint Nicolasはイタリアの地名なら「サン・ニコーラ」、クロアチアの地名なら「スヴェティ・ニコラ」とすべきだが、両方の説があるので、そのまま語源となった聖人の名前として訳出した。
 2行目 Phanatique についてはラテン語の Flanaticus からとするラメジャラー、シーバース、クレベールらの見解を採った(クレベールは Planaticus としているが誤記か綴りの揺れだろう)。

 3行目 raue (rave) は現代語では「カブ(蕪)」のことで、古語でも植物についての単語(「蕪甘藍」?、”variété de chou à racine charnue alimentaire”) だったようだが *1 、古語では「洪水、氾濫」(débordement, inondation) *2 の意味もあった(いずれも女性名詞)。DFEでも Turnep (蕪甘藍、コールラビ)などとする意味が載っている。DMF だと、そこからの派生らしいが、「貧民の生活の特質」(trait caractéristique de la vie du pauvre)という意味が載っている *3
 ラメジャラー、シーバース、クレベールらがいずれも rues という異文の方を採用しているので、とりあえず当「大事典」もこれに従った。ただし、「街路で」とするには、本来ならば前置詞が不足している。また、3行目の後半律(後の6音節)は rues と読んでしまうと1音以上足りなくなる。むしろ ravi(s) (中期フランス語で「激昂した」 *4 )の誤記の可能性などもあるのではないだろうか。それを採れば3行目の後半は、「激昂した者たちが嗚呼と叫喚する」と訳せる。
 同じ3行目の Cap. は何の略と捉えるかにいくつかの説がある。ラメジャラーは captured と訳しているので、captif やその派生語と理解したのだろう。クレベールは chef (頭、指導者)と理解している。シーバースはそのまま Cap. と英訳しており、注解でも何もコメントしていない。とりあえずここではラメジャラーの読みに従った。他の可能性としては Capitaine (隊長)、Capitale (首都、中心地)などが挙げられるだろう。もちろん、ポワン(ピリオド)が誤植なら、Cap (岬)の意味にしかならない。

 4行目 Philipique はフランス語では「弾劾演説」の意味。これはデモステネスがマケドニア王フィリッポス2世を弾劾した演説の題名に由来する単語で、もとは「フィリッポスの」 から派生したギリシア語 philippikoi に由来する。 *5 。DMFにも「弾劾演説」のほか「政治的風刺」などの意味が載っている *6
 しかし、この場合はむしろ語源となったギリシア語 philippikoi やラテン語 philippicae のように「フィリッポスの」の意味と理解すべきだろう。フィリッポスはフランス式にはフィリップ、スペイン式にはフェリペで、この場合はカディスとの関わりからもフェリペと解するのが一般的だが(ラメジャラー、クレベール)、とりあえずギリシア語式にフィリッポスとした。
 なお、カディスと偉人のどちらも前置詞は de だが(du は de と le の縮約形)、地名と人物という性質の違いから、「~から」「~による」と訳し分けた。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「ノルマンの船はファナティック湾にきえ」 *7 は一応許容範囲だろう。原文に「船」に当たる語は無いが、perir が「滅ぶ」以外に「沈没する」という意味があることから意訳したものと思われる。
 3行目「ビザンチアの岬で町々に悲しみのさけびが聞こえ」は底本の違いも影響している。ヘンリー・C・ロバーツのテクストでは Cap. が Cap となっているので「岬」以外に理解しようがない(「ビザンチア」というよく分からない表記は措く)。「町々」は rues を訳したものだろう。rue は「通り、街路」のほか「市街」の意味もある。
 4行目「ケイデズとスペイン王の助けがある」は、カディスの読みを措くとしても、「スペイン王」に問題がある。これは「フィリッポス的な偉人」をスペイン王フェリペと理解し、意訳したものだろう。確かに上述の通り、フェリペと見なすのは有力視されているが、フィリッポスに当たる固有名詞も grand (偉人)も削って「スペイン王」に置換するのは、いささかやりすぎに見えなくもない。

 山根訳について。
 1行目 「プーラの港と聖ニコロにて」 *8 は細かい点で不適切。saint Nicolas の直前にも de があるので、港は(単数形ではあるが)両方に係っていると見るべきではないだろうか。仮にそう読まないとしても、de を無視するのは適切ではない。
 2行目「ノルマンディ人がファナティクの湾で罰するだろう」は誤訳。périr は自動詞で「命を落とす、滅びる」の意味である。中期フランス語なら、逆に「滅ぼす、破壊する」(faire périr, détruire) の意味にもなったが「罰する」の意味は調べている範囲で見当たらない。これはエリカ・チータムの英訳をそのまま転訳したものだが、チータムが punir (罰する) と見間違えたのではないだろうか。なお、チータムは(おそらくエドガー・レオニから盗用して)Phanatique が Flanaticus であろうことを注記しており、英訳にも取り込んでいたが、日本語版がそれを無視して、コメントですら一切触れなかったのは不可解である。
 3行目「カペがビザンチウムの往来で悲嘆な叫びを発し」は区切り方によっては成り立つ訳だが、前半律(最初の4音節)が Bisance までなので、やや不自然である。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、Puola を Paulo のアナグラムとしてマルタ島の港とした。そしてマルタがオスマン帝国に攻囲された際に、フェリペ2世がマルタに援軍を送ったことと解釈した *9


 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、PUOLA を PAULOU のアナグラムで、トルコの都市エルズルム とし、近未来のトルコにおいて、ノルマンディ公の血を引くローマ教皇を支持する篤信者たちが、狂信(ファナティスム)によって脅威にさらされることと解釈した *10 。後の改訂版でも基本構造は同じだが、 Normands の解釈が「北方からの人」という漠然としたものに差し替えられ、教皇云々が消えている *11

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)はガランシエールの見解をほぼそのまま踏襲した *12

 セルジュ・ユタン(1978年)は解読不能とだけコメントした。これはボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)でもそのままだった *13

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1980年のベストセラーでは、聖ニコラオスを守護聖人とするロシアがユーゴスラビアに攻め入ることと解釈していたが、晩年には解釈を修正し、「フィリッポス的な偉人」をフェリペ5世の子孫に当たるフアン・カルロス1世と解釈し、1990年代のユーゴスラビア情勢の詩の一つとして採り上げつつ、近未来のイベリア半島情勢に影響すると解釈した *14

同時代的な視点

 PUOLA がプーラであること、Phanatique がフラナティクス湾(現クヴァルネル湾)であることは、実証主義的論者の間でほぼ定説化している。
 問題はSaint Nicolas で、諸論者の間で様々な読みがある。有力なのはポレッチのスヴェティ・ニコラ(聖ニコラオス)島か、ヴェネツィア近傍の地名、イタリア半島南部プーリア州の地名のいずれかだろう。

 ロジェ・プレヴォは、11世紀におけるノルマン人とビザンティン帝国(東ローマ帝国)の勢力争いをモデルと解釈した。ビザンティン帝国はイタリア半島南端やシチリア島に領地を持っていたが、ノルマン人が勢力を伸ばし、脅かされていた。そしてノルマン人の指導者ロベール・ギナール(Robert Guinard) の攻略に対し、ビザンティン皇帝アレクシオス1世コムネノスはヴェネツィア共和国に援助を要請し、一時はその攻略を退けることにも成功したのである *15
 この解釈はピーター・ラメジャラーも踏襲した *16
 確かに、プーリア周辺の沿岸やフラナティクス湾はヴェネツィア共和国の領土であったし、ノルマン人とビザンティンがアドリア海で衝突するモチーフについて、シチリア王国成立以前にモデルを求めるのは十分に説得的である (なお、明言していないが、プレヴォの解釈では POULA はプーラではなく、南イタリアのプーリア州 Puglia / La Pouille と結び付けられている可能性がある。そのためかどうか、ラメジャラーは2003年の時点ではプーラとプーリアの両方の読みを挙げていた)。

 ただし、4行目のガデス(カディス)は明らかにモチーフと結びつかない。
 プレヴォは、アレクシオス1世のヴェネツィアへの要請が、ビザンティン帝国の最初の西欧への要請であったとし、カディスが面するジブラルタル海峡は古来西方世界の境界線の象徴となっていたとするが、結びつけがやや苦しいように思われる。ノストラダムスが『予言集』正篇でジブラルタルに言及する際は「カルペ」(1巻77番、3巻78番、7巻10番)、「ヘラクレスの柱」(5巻13番)などを使っている。それに対し、カディスへの言及はこの詩以外に無いため、本当にジブラルタルの代喩なのかも判断しがたい。こうした事情も、ジブラルタルの代喩とするプレヴォの見解には不利に作用しているのではないだろうか。

 そのためかどうか、プレヴォやラメジャラーの見解をそのまま支持することが多いリチャード・シーバースは、プーラ、スヴェティ・ニコラ島、フラナティクス湾といった有力な地理的見解は踏襲する一方で、詩のモチーフについては、「フィリッポス的偉人」をフェリペ2世ではないかとするにとどまった *17
 ノストラダムスがこの詩を書いた当時、シチリア国王はスペイン国王が兼ねていた。つまり、「ノルマン人」が、元々ノルマン人によって建国されたシチリア王国の隠喩であるなら、それとプーラ(を含むクロアチア沿岸部は当時ヴェネツィア共和国の領内)の争いに、スペイン王がしゃしゃり出てくる事態は特段不思議なことではない。オスマン帝国が中央ヨーロッパに進出していた事実とあわせれば、16世紀の政治情勢を元になんらかの想像を働かせた可能性を想定する方が、ある意味で自然ではないかと思われる。

【画像】 関連地図。スヴェティ・ニコラ島はポレッチで代用。フラナティクス湾はプーラ東側の島が多い湾。サン・ニコーラ・ディ・カザーレはオトラントで代用。


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