百詩篇第6巻17番


原文

Apres1 les limes2 bruslez les3 asiniers4,
Contrainctz seront changer5 habitz6 diuers:
Les Saturnins7 bruslez par les meusniers8,
Hors la pluspart9 qui ne sera10 couuers11.

異文

(1) Apres : A pres 1611A
(2) limes : livres 1672 HCR
(3) les : le 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(4) asiniers : rasiniers 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1650Le 1653 1668 1716, rafiniers 1665, Asiniers 1672, raffiniers 1840
(5) changer : changez 1653 1665
(6) habitz : d’habits 1605 1649Xa 1672 1772Ri
(7) Saturnins : Saturnis 1588-89, Saturins 1650Le, saturnins 1653 1665 1840
(8) meusniers : musniers 1557B 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668A 1716, meufniers 1628, Musniers 1668P
(9) pluspart : plus part 1627 1650Ri HCR
(10) sera : seront 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665
(11) couuers : conuers 1590SJ 1653 1665 1672 1716, musniers 1649Ca HCR

(注記)HCR はヘンリー・C・ロバーツによる異文。

校訂


 ピーター・ラメジャラーは2003年の時点では1行目 limes を livres に、asiniers を assignés と校訂したが、2010年には原文どおりの訳を第一義とし、校訂したものはカッコ書きで併記した。livres についてはジャン=ポール・クレベールも(ラメジャラーとは独立に)提案している。

 ロジェ・プレヴォは4行目 couvers を converts と校訂した。これはラメジャラー、リチャード・シーバースも支持している(シーバースはプテ=ジラールの校訂をほぼそのまま受け入れているのだが、この詩に関しては couvers を convers と独自に校訂している)。

日本語訳

シャツを燃やされた後に驢馬引き人たちは
別々の服装に変えることを強いられるだろう。
サトゥルヌス主義者たちは粉挽き人たちに燃やされる、
覆われるであろう大部分を除いては。

訳について

 1行目 lime は『予言集』ではここにしか出ていない。現代語では「やすり」「蓑貝」「猪の牙」「ライムの実」の意味*1。DMF には「やすり」の意味のほか、(恐らくそこから転じて)「磨き上げられて完璧な性質」という語義が挙げられている*2。DEF でも「やすり」が第一義で、「蝸牛」(limaçon) も挙げられている。DALF でも「やすりをかけること」、(恐らくそこから転じて)「苦痛」(peine, tourment) の意味が挙げられているが、それとは異なる隠語のようなものとして「シャツ」(chemise)が挙げられている*3(フランス語の chemise は日本語の「シュミーズ」の由来だが、女性用下着に限定されない)。
 ピエール・ブランダムールは chemise と釈義しており、実際、2行目以降とも整合するのでそれを採用した。
 なお、フランス詩の訳語に、「シャツ」という英語が通俗的に転訛した語を使うことは、極力避けたかったのだが、下着、中衣、上衣のいずれの意味にもなりうる丁度良い日本語が「シャツ」以外に思い当たらない。
 一応、「襯衣」(しんい)という熟語があり、これは「シャツ」とも読む*4。ただ、「襯」の本来的な語義は「はだぎ」であり*5、分かりづらくした上で意味が限定的に伝わる恐れがあるのでは本末転倒なため、これを使うことは避けた。

 ブランダムールは1行目 asiniers を asniers と同一視していた*6。この点、ブランダムールは何も説明をつけていないが、asnier (ânier)の語源はラテン語の asinarius なので*7、その綴りが混ざっていると考えれば、そう不自然なものでもないだろう。
 実際、DALF にはasnier の学者形 (forme savante) として asinier が載っている*8

 4行目はとりあえずブランダムールの読みに従った。ロジェ・プレヴォピーター・ラメジャラーらの読みに従えば

  • 改宗させられた大部分を除いては

となる。ただ、どちらの読みを採用するにせよ、ne が虚辞である(心理的な否定を示すだけで文意そのものは肯定文)という点はほぼ一致している(ラメジャラーのみは2003年には虚辞と見ていたが、2010年には否定文で訳している)。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「本が焼けて そのうちロバが」*9は誤訳。「本」は底本に基づく訳としては誤りではないし、上述のラメジャラーのように、あえてこの読みを採る者もいる。しかし、驢馬引き人と驢馬(asne / âne) を同一視するのは妥当とはいえない。これは元になったヘンリー・C・ロバーツの英訳で安易に asses とされていたのを転訳したものだろう。
 2行目「いく度もかれらの着物を着替えることを強制し」も不適切。動詞の活用形から「かれら」を補ったこと自体は妥当だが、それが1行目の驢馬引き人と同一であることが伝わらない。また、受動態になっているものを能動態で訳すのも不適切(ロバーツ訳ではきちんと受動態になっている)。
 4行目「一部分は発見されないだろう」は、いろいろな意味で不適切。まず、底本ではロバーツが上の異文欄にあるように、4行目の最後の単語を明らかな誤植でしかない1649Ca の異文に差し替えるという意味不明なことをやっており、「粉挽き人(ではない)であろう大部分を除いては」としか訳せない状態になっていた。ところが、ロバーツはテオフィル・ド・ガランシエールの英訳をそのまま引っ張っているので、チグハグなことになっている。
 さらに、そのロバーツの英訳には確かに discovered とあるが、原文は couverts (覆われた)であって、descouverts (découverts, 発見された)ではない。さらに、pluspart (plupart) は「大部分」の意味であって(ロバーツも the greater part と英訳している)、「一部分」ではニュアンスがまったく違ってしまう。

 山根訳について。
 1行目 「罪の償いが焼かれて ラバ追いどもが」*10は誤訳を含む。まず、ロバとラバ (mulet) は別である。「罪の償い」はエリカ・チータムが lime を懺悔(penitence) の意味としていたことによる。当「大事典」では古語辞典などでの裏づけを確認できていないが、この語義はもともとアナトール・ル・ペルチエエドガー・レオニが古フランス語からとして紹介しており、ロジェ・プレヴォも採用しているので、おそらくそういう意味を持つ語はあったのだろう。
 ただ、それを採用する場合には、(プレヴォらのように)

  • 懺悔の後で驢馬引き人たちが焼かれ

というように訳すべきだろう。
 4行目「覆われることのない より大いなる部分は別に」は、ne を虚辞と見ない訳し方としてはおおむね正しいが、「より大いなる部分」は英訳の the greater part を直訳したものだろうが、 plupart の訳としてはぎこちない印象を受ける。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、前半と後半で対にしつつ、いずれも無学な者たちによる学識者に対する迫害を予言したもののようだとした*11


 全訳本の類でも、エリカ・チータム(1973年)は若干の語註を除けば、文字通り一言もコメントをつけていなかった。
 後の決定版(1989年)でも「解釈不能」とだけ書かれている*12
 ただし、その日本語版では、南太平洋などでのキリスト教宣教師による先住民文化の破壊とする(日本語版スタッフによる)解釈が付けられている*13

 セルジュ・ユタン(1978年)も一言もコメントしておらず、ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)でも一言もないままだった*14

 他方、ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は上記のガランシエールの解釈を踏襲しつつ、ナチスによる迫害や焚書によって成就したと位置づけた*15

 ヴライク・イオネスク(1976年)もナチスの迫害や焚書としたが、ロバーツよりも細かい解釈を展開し、サトゥルヌス主義者はユダヤ人を指し、そこから除かれる大部分が「覆われていない」とは、財産を捨て着の身着のままで逃げおおせた人々を指すとした。また、ナチスを驢馬引き人と呼ぶのは、その語幹の asin のアナグラムでNASI を導くため (フランス語では母音に挟まれた s は [z] で発音するので、Nazi も Nasi も同じ音になる)、また粉挽き人 (meusniers) と呼ぶのはありふれたドイツ人名ミュラー (Müller) やロマン語で下級士官 (sergent) を意味する mesnier との掛詞にするためとした*16
 この解釈は竹本忠雄(2011年)が踏襲した*17
 なお、イオネスクや竹本はアナトール・ル・ペルチエ編纂の『ミシェル・ド・ノートルダムの神託集』(1867年)を底本にしているはずだが、その1行目は limes となっている。彼らはその原文自体を livres に書き換えた上で、焚書と解釈しているのだが、この点の改変には何の説明もない(彼らの解釈では limes という単語は一度も出ていない)。

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは、驢馬引き人たちがシャツを燃やされた後に別の服を着ざるを得なくなる一方、サトゥルヌス主義者を表現されている別の職業集団のうち、身を守っている人々以外が粉挽き人たちに燃やされる、と釈義した。
 ゆえにブランダムールはこの詩を社会階級の低い人々によって引き起こされる衝突を描写したものと理解した*18

 ロジェ・プレヴォは驢馬引き人たちをユダヤ人とした。クリニトゥスが『栄えある学識について』でそう呼んでいたらしい。
 そこでこの詩は、ユダヤ人たちが拷問 (limes を「苦痛」の意味で理解した) の後で燃やされるとした。
 また、サトゥルヌス主義者は異端派のことで、「粉挽き人」とは、異端審問に関わったドミニコ会修道士の白いローブを指す言葉でもあったという。
 ゆえにプレヴォは後半について、改宗した人々以外は異端審問で火刑に処されることを描写しているとした (4行目 couverts を converts と読んでいる)*19

 ピーター・ラメジャラーはサトゥルヌス主義者をユダヤ人とした上で、ノストラダムス自身に語りつがれたキリスト教改宗前の先祖たちの話なのではないかとした*20

 いずれも相応に説得的といえるが、どの名詞を何の隠喩と捉えるかで見え方が随分と違ってくるということだろう。
 結局のところ、ジャン=ポール・クレベールが指摘するように「特に曖昧なこの四行詩は様々な解釈を惹起する」*21といえる。


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  • 第二次大戦後、ナチスの党員が逃亡で別の職業に就かざるを得なかったこと事を予言。シンドラーなどによって庇護されたユダヤ人以外がホロコーストに遭遇したこと。 粉屋とはゲシュタポ局長のハインリッヒ・ミューラーなどヴァンゼー会議に出席した全員を指している。 -- とある信奉者 (2016-09-25 15:43:29)
最終更新:2016年09月25日 15:43

*1 『ロベール仏和大辞典』ほか

*2 DMF p.384

*3 DALF, T.04, pp.786-787

*4 『デジタル大辞泉』『広辞苑』

*5 『漢語林』

*6 Brind'Amour [1993] p.279

*7 『ロベール仏和大辞典』

*8 DALF, T.08, p.203

*9 大乗 [1975] p.179。以下、この詩の引用は同じページから。

*10 山根 [1988] p. 215。以下、この詩の引用は同じページから。

*11 Garencieres [1672]

*12 cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*13 チータム [1988]

*14 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*15 Roberts (1947)[1949/1982/1994]

*16 Ionescu [1976] pp.502-503, Ionescu [1987] pp.302-303

*17 竹本 [2011] pp.645-646

*18 Brind'Amour [1993] p.279

*19 Prévost [1999] pp.156-157

*20 Lemesurier [2003b], Le,mesurier [2010]

*21 Clébert [2003]