百詩篇第9巻97番


原文

De mer 1 copies 2 en trois parts 3 diuisees 4 ,
A la seconde les viures 5 failleront 6 ,
Desesperez cherchant 7 champs 8 Helisees 9 ,
Premiers 10 en breche 11 entrez 12 victoire auront.

異文

(1) mer : Mer 1672
(2) copies : coppies 1568A 1590Ro 1712Guy, copie 1572Cr, Copies 1672
(3) parts : pars 1568A 1590Ro 1591BR 1597 1603Mo 1607RP 1610 1611 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1650Mo 1653 1981EB, part 1840
(4) diuisees : deuisee 1572Cr 1591BR 1597 1600 1603Mo 1607PR 1610 1611A 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1650Mo 1716, deuisé 1653 1665
(5) viures : liures 1627 1665, Vivres 1672
(6) failleront : falliront 1572Cr, failliront 1590Ro 1665 1712Guy 1772Ri 1840
(7) cherchant : cherchans 1590Ro 1653 1665 1712Guy 1840, cerchans 1644 1650Ri
(8) champs : Champs 1672 1712Guy
(9) Helisees : Elisées 1644 1650Ri 1672, elisées 1653 1665, Elizées 1712Guy
(10) Premiers : Premier 1653 1665 1840
(11) breche : breches 1605 1628 1649Xa 1649Ca, brêche 1712Guy
(12) entrez : entres 1568A

日本語訳

海の軍勢は三分割される。
その二番目にて食料が尽きるだろう。
絶望した者たち、エリュシオンの野を探す。
裂け目に入った一番目の者たちは勝利を得るだろう。

訳について

 3行目の訳し方がやや分かれる。「絶望した」は過去分詞で、「探す」は現在分詞である。ジャン=ポール・クレベールのように、2行目の結果「絶望して」、エリュシオンの野を「探す」と理解するのが自然に思われるが、Desesperez の部分を desperately (絶望的に)と訳すピーター・ラメジャラー、in vain (無為に)と訳すリチャード・シーバースのように、「探す」行為を修飾する副詞的に理解する読みもある。当「大事典」はクレベールの読みを踏まえている。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「生きているものは第二の部分に失敗し」 *1 は誤訳。vivre は「生きる」を意味する動詞だが、名詞としては複数で「食料」を意味する。生者を意味する派生語は vivant である。なお、vivre は中期フランス語で guivre と同じような意味、すなわち「クサリヘビの一種」などを意味したが、この場合には当てはまらないだろう。
 3行目「絶望のうちに かれらはシャンゼリゼをもとめて」は誤りではないが、「シャンゼリゼ」と表記してしまうと、日本語では実質的にパリの大通りの意味にしかならないため、文脈からすれば、やや限定しすぎではないかとも思われる。
 4行目「はじめに侵入して勝利を得る」は Premier を副詞的に理解する用法はかつて存在したこと *2 を考慮に入れても、en breche が訳に反映されていない点で不適切だろう。

 山根訳について。
 3行目 「望み絶たれ 理想郷を求めつつ」 *3 は意訳としては許容されると思われるが、エリュシオンはあくまでも死後の楽園なので、何の補足もなしに「理想郷」と意訳してしまうと、やや意味合いが違って受け止められるのではないだろうか(山根訳の場合、注釈にも「理想郷」の意味合いについてのフォローはない)。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)やバルタザール・ギノー(1712年)は、ほとんどそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった *4


 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、3行目のエリュシオンの野(シャンゼリゼ)をそのままシャンゼリゼ大通りと解釈し、3つの軍隊がパリに入り、第二の軍が最初に入市し、シャンゼリゼ大通りを行進すると解釈した *5 。この解釈は、夫婦やもそのまま踏襲した *6 。なお、日本語版では「連合軍」という固有名詞が挿入されているが、原書の解釈ではそこまで特定されていない。

 エリカ・チータム(1973年)は簡略な語釈などを除いて「この混乱した四行詩は解読できない」とするにとどまった *7 。後の最終版でも似たようなものだった *8

 セルジュ・ユタン(1978年)はたった一言「第二次世界大戦」とだけ解釈し、ボードワン・ボンセルジャンの補訂でも変わらなかった *9

同時代的な視点

 詩の情景は見たままで、どこかの国の海軍が三隊に分かれ、第一の部隊は攻撃対象となる都市への侵攻に成功するが、第二の部隊は兵糧が尽きて、絶望して死を望む(=エリュシオンの野を探す)ということだろう。ジャン=ポール・クレベールが「第三の艦隊には何が起きたのだろうか」と述べている通り、この詩には三隊に分かれているのに二隊しか描かれていない。
 2行目と3行目を分けて、第二の部隊は兵糧が尽き(て全滅し)(=2行目)、第三の部隊は(何らかの理由で)絶望して死を望む(=3行目)と読めなくもないが、これはやや強引に思われる。

 ピーター・ラメジャラーは、アルルのアリスカンと結び付けている。アリスカンは古代から中世に名の知られた墓地遺跡で、その語源は「エリュシオンの野」である。そのため、ラメジャラーは、1524年に神聖ローマ帝国軍がプロヴァンスに侵攻したことがモデルになっているとした *10


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