百詩篇第2巻58番


原文

Sans pied ne main par dend ayguë1 & forte
Par globe2 au fort deporc3 &4 laisné5 nay:
Pres du portail6 desloyal7 se transporte8
Silene9 luit, petit grand emmené10.

異文

(1) par dend ayguë 1555 1840 : dend ayguë 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1591BR 1772Ri, dent ayguë 1568I 1589Rg 1589PV 1590SJ 1611A 1628 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668 1981EB, dent aigue 1588Rf 1589Me 1672, dend ayuë [sic.] 1597, dendayguë 1600 1610 1716, dent aygué 1605 1649Xa, dent aygue 1611B, dents ayguë 1627 1630Ma, dents aiguë 1644 1650Ri 1653 1665
(2) globe : glob 1600 1610 1716, globle 1656ECLb, Globe 1672
(3) deporc 1555 1840 : de porc 1557U 1557B 1568A 1588-89 1589PV 1590SJ 1590Ro 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665, de port 1568B 1568C 1568I 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1656ECL 1668 1716 1772Ri 1981EB, de Port 1672
(4) et : est 1656ECL
(5) laisné 1555 1840 : lainé T.A.Eds. (sauf : l'aine 1588-89, l'aisné 1590SJ 1649Ca 1650Le 1653 1665 1668, l'Ainé 1656ECL, laisne 1672)
(6) portail : portal 1627 1644 1653 1665, Portail 1656ECLb
(7) desloyal : dessoyal 1590SJ, d'eloyal 1665
(8) se transporte : transporte 1557U 1557B 1568 1590Ro 1591BR 1605 1611 1628 1649Xa 1772Ri, transporté 1588-89, transport 1597 1600 1610 1716, le transporte 1656ECL 1672
(9) Silene : s'il ne 1588Rf, S'il ne 1589Rg 1589Me, Seline 1672
(10) emmené : emmene 1588-89

(注記)1656ECLは p.149 と p.449 とで若干原文が異なるため、後者のみに見られる異文を1656ECLb とした(前者のみに見られる異文はなし)。

校訂

 ピエール・ブランダムールは1行目 dend を dent と校訂している。エドガー・レオニエヴリット・ブライラーら、ブランダムールに先行する比較的信頼性の高い論者も同様に読んでいた。ブランダムールやピーター・ラメジャラーはその直前の par を堅持しているが、ブリューノ・プテ=ジラールは省いている。もっとも、プテ=ジラールはその部分に何の注記もしていないため、何らかの誤認なのかもしれない。

 問題は2行目で、初版の deporc が de porc の誤植だったことは疑いのないところであろうが、残る部分には様々な可能性が指摘されている。
 ブランダムールは au fort (要塞で)を au front (額に)とし、laisné (古フランス語の lainé は「羊毛の」の意味*1)を laye (laie, 雌猪)と校訂した。ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらは au front とする読みは踏襲しているが、laye は支持せず、「羊」の意味を導いている。
 かつてブライラーは2行目について、globe を glèbe (耕地)とするのをはじめ、様々な校訂の候補を示していた。以下、引用しておく*2。併記した和訳はブライラーの英訳を考慮しつつ、当「大事典」で付けたものである。
  • Par glèbe au fort deporté est l'aisné (要塞近くの耕地を通って連れ去られるのは長男)
  • Par glèbe au fort deporté esloigné (要塞近くの耕地を通って連れ去られた者が遠くへ)
  • Par glèbe au fort de porc est esloigné (要塞近くの耕地を通って(その者は)豚により遠くへ)

日本語訳

足も手も持たず、鋭く強い歯を備え、
額に球を持つものが雄豚と雌猪から生まれる。
不誠実な者が門扉の近くへと赴く。
セレネは輝く。小人も大人も連れ去られる。

訳について

 前半はピエール・ブランダムールの校訂を受け入れた。ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースの読み方を受け入れるなら、「雄豚と雌猪」ではなく「豚と羊」となる。「校訂」節で触れたエヴリット・ブライラーの校訂は面白いが、1行目とは整合しておらず、支持できないだろう。
 4行目 Silene は変則的なつづりだが、月の女神セレネのことであろう点は、ブランダムール、ラメジャラー、シーバースらに異論がない。
 後半も彼らの間で一致している読みに従った。分詞が単数ではあるが、こういう場合に直前の名詞に引き摺られることはノストラダムスの詩では珍しいことではない。
 なお、petit grand の一方を名詞、他方を形容詞と見なして「小柄な偉人、下級の貴族」あるいは「偉大な子供」が連れ去られる、と訳すことも出来ないわけではない。The little prince と英訳したブライラー、little great one と英訳したエドガー・レオニはそのスタンスと思われる。ただし、その場合は一人の人物ということになるだろう。ブランダムールの読み方の場合、単数形でも子供一般、大人一般と理解する余地はあったが、「小柄な偉人」や「偉大な子供」は一般化できる存在ではないからだ。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「足も手も 鋭く強い歯もなく」*3は大乗訳の底本に基づく訳としては誤りではない。上の「異文」節からも明らかなように、初版以外のほぼ全ての古版本が1行目の par を省いてしまったため、sans (~なしに)が「歯」にも係るように読めていたからである。しかし、手足と違い、歯は生えないままで生まれる方が自然なので、その読みを支持すべき理由はないだろう。
 2行目「港のまん中で 球体から初めに生まれ」は誤訳。fort をmiddle と英訳しているのはヘンリー・C・ロバーツ(さらに遡ればテオフィル・ド・ガランシエール)も同じだが、語学上の根拠が不明である。港で要塞が築かれるのは中心部だから、ということだろうか。さて、ロバーツ/ガランシエールは最後を and the first born と英訳している。この the first が「第一子」の意味なのは明らかで「初めに」と副詞的に訳した大乗訳は誤っている。the first という英訳自体は、laisné を l'aisné と校訂した場合には成立する。
 3行目「門の近くで反逆者に追放される」も誤訳。se transporte は代名動詞なので「自らを運ぶ」つまり「赴く」「移動する」の意味である。大乗訳はロバーツの英訳に引き摺られたものだろうが、そもそもロバーツ訳はガランシエールを引き写したものである。ガランシエールの場合、原文を le transporte と改変しているので、「裏切り者が彼を移す」=「裏切り者によって移される」という訳が成立する。ところが、ロバーツは原文を se transporte に直しておきながら、英訳をガランシエールから丸写ししたためにチグハグなことになってしまったのである。
 4行目「月は輝き 小さな子供はもちさられるだろう」も誤訳。上で述べたように petit grand はいくつかの訳し方がありうるが、「小さな子供」としてしまったのでは grand が全く訳に反映されなくなってしまう(ロバーツ訳では the little great one となっている)。なお、大乗訳はロバーツの解釈を「外国が夜中に、住民を連れさる」と訳しているが、実際には「一人の異邦人(異星人)による、ある偉人の一人の子供の誘拐が夜に起こるだろう」(A kidnapping at night, by an alien, of an infant belonging to a great one, shall take place.*4)と述べられており、なぜ訳でも解釈でも grand にあたるニュアンスを一貫して無視しているのか、根拠がよく分からない。

 山根訳について。
 1行目 「足も手もなく 強い歯をもち」*5は、aigue (鋭い)にあたる形容詞が抜けている。
 2行目「群衆のなかから要塞化された港へ 長子が誕生」は、かつてエドガー・レオニが展開した読みをある程度取り込んでおり、かつては受容されうる読みといえた。しかし、port (港)は porc (豚)の誤植である疑いが強く(後述の「懐疑的な見解」参照)、現在では問題なく受容できる読みではなくなっている。
 3行目「門の近く 裏切りの 彼が踏み越える」は底本の違いもあるのだろうが、(se) transporte を「踏み越える」と訳出することが疑問。
 4行目「月が照らす 弱々しく 大略奪」は emmené を過去分詞ではなく名詞的に理解し「連れ去られること、持ち去られること」の意味で捉えたものだろう。可能かもしれないが、やや強引にも思われる。

信奉者側の見解

 1656年の解釈書では、過去の事件とは結びつけず、さる婦人が産む長男が手足を持たない代わりに猪のような鋭い牙をもって生まれてくる予言と解釈した*6

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、Silene を「月」と訳した根拠をギリシア語を引き合いに出しつつ説明し、4行目をほとんどそのまま敷衍したようなコメントをしたにとどまった*7

 匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)は後半2行のみを解釈し、フロンドの乱(1648年 - 1653年)におけるマザラン枢機卿と解釈した。3行目の「不誠実な者」はマザランで、彼に連れ去られる「小さな偉人」(petit grand)は当時まだ子供だった国王ルイ14世と解釈したのである*8

 アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)は、ナポレオンのセント・ヘレナ島流刑(1815年)と解釈した。ナポレオンはその弁舌(鋭い歯)以外の武力を失ったのであり、2行目 fort de port (港の砦)とは、ナポレオンが投降する直前に逗留した港ロシュフォール(Rochefort)を指す。2行目の「長子」(l'aisné)はナポレオンとの合意を反故にしたイギリスの摂政ジョージ(国王ジョージ3世の長子、のちの国王ジョージ4世)、4行目の Silene にはエレナ島(Isle Elene)と綴るために必要な文字(E, I, L, N, S)が全て込められており、まさしく「小柄な偉人」(petit grand)のナポレオンはそこに連れ去られた、という具合である*9(フランス語では Elène と Hélène の発音は同じ)。
 彼の解釈の基本線はヴライク・イオネスク(1976年)が引き継いだ*10。イオネスクは Silene を Selene と綴っており、これを S. Elene すなわち Sainte Helene と理解した。
 イオネスクの解釈は竹本忠雄(2011年)が踏襲した*11
 なお、これらの解釈では luit (輝く)は lui (英語の him や her にあたる)と読みかえられる。

 トルネ=シャヴィニーの解釈を大まかにエドガー・レオニが紹介していたためか、エリカ・チータム(1973年)もナポレオンと結びつける簡略な解釈を示していた*12

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)はルイ17世のタンプル塔への幽閉と解釈した*13。この解釈は、息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌが踏襲した*14

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は上の「訳について」の節で引用したように、漠然とした有力者の子息の誘拐事件とする解釈しか示していなかったが、夫婦の改訂版(1982年)ではリンドバーグの息子の誘拐事件(1932年)とする解釈が追加された*15

 セルジュ・ユタン(1978年)はルイ16世のヴァレンヌ逃亡事件と解釈していた*16。しかし、ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、Silene を「三日月」と解釈し、イスラーム指導者による事件の予言で、ビン・ラディンのことではないかとする解釈に差し替えられた*17

懐疑的な見解

 チータムの解釈については、その日本語版では、(おそらく日本語版監修者によって)ナポレオンは長男ではなく次男だったという情報が追加され、ナポレオン説が否定されている。しかし、これは無意味な批判だろう。上で見たように、最初に解釈したトルネ=シャヴィニー以来、「長子」をナポレオンと解釈した論者は(チータムも含めて)存在しないからである。
 当「大事典」はナポレオン説に否定的ではあるが、さすがに誰も主張していない点に批判を加えて否定するのは、批判として意味をなさないと考える。なお、上記の日本語版はナポレオン説を否定する一方で、代案は何も示していない。

 さて、ナポレオン説については、原文校訂と詩法上の疑問を提示できる。
 「訳について」の節でも触れたが、de port は1568年版のうち、1568B(当「大事典」の区分。ギナール式には1568A)以降のバージョンにしか見られない。初版の deporc は単なる空白の入れ損ねであろうし、生前の版である 1557U (およびその海賊版と思われる 1557B)、生前の非正規版の流れを汲むらしいパリ系の1588-89およびアヴィニョン系(?)の1589PV、そして1568年版の中で最も古いと考えられる1568A(ギナール式には1568X)が de porc としている以上、de port は死後版の単なる誤植と考えられる。
 他方、 laisné が l'aisné の誤植の可能性は否定できない。l や n で始まる語ではアポストロフ(アポストロフィ)が余計に付いたり、脱落したりということが珍しくなかったからである。しかし、2行目の前半律(最初の4音節)は Par globe au fort (/front) までであって、 信奉者側解釈にしばしば見られる au fort de port までをひとまとめにしたうえで、l'aisné を分ける読みは、韻律の区切り方として不自然な印象を与える。

同時代的な視点

 「手無し」のモチーフは百詩篇第1巻65番百詩篇第2巻62番などでも登場しており、ノストラダムスが描く奇形児の特色のひとつである。また、歯を持って生まれる子供についても百詩篇第2巻7番(未作成)百詩篇第3巻42番などにも見られる。
 この場合は、そうした特色を備えた怪物が豚と猪(または羊)から生まれてくるとされている。ピーター・ラメジャラーはコンラドゥス・リュコステネスの報告にはこのような怪物の記録がないことを認めつつも、当時のローカルな風聞だったのだろうと判断している。実際のところ、16世紀当時にはこの種の怪物の噂はありふれたものだった。額に球体、というのが意味不明なようだが、ピエール・ブランダムールは瘤の形状と理解している。当時はラヴェンナの怪物(百詩篇第2巻32番参照)の描写のように、様々なモチーフを組み込んで怪物を描くことは珍しいものではなかったのだし、その程度の装飾はおかしなものではないだろう。

 ブランダムール、高田勇伊藤進らは、前半が後半の予兆になっていると見る。すなわち、前半に描かれた怪物の誕生は、後半に描かれた都市の陥落を告げるものだったということである。後半は、都市の城門に裏切り者が赴いて(門を開けて敵を呼び込み)、町の住民たちは大人も子供もなく捕らわれてしまう、ということであろうという*18

 こうした読み方が正しいかどうかはともかく、少なくともノストラダムス生前の版の原文に依拠する限りでは、港や長子の出る幕はない。なお、この詩で使われているのは過去分詞と現在形のみで、未来形は一度も出てこない。

その他

 SF作家の山本弘は、ノストラダまス系のパロディ解釈例として、この詩は球(卵)から手足も鋭い歯も持たない幼虫として生まれた「最初の子」、すなわち『モスラ』第1作目とする解釈を示した*19
 この解釈は従来の不適切な訳の延長線上から導かれたものではあるが、パロディ解釈をあれこれ真面目に批判するのは野暮というものだろう。


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コメントらん
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  • ナポレオン説を支持。豚と羊とするなら、豚は貪欲さ、羊はキリストになり、 両者合わせて豚のような偽キリストのような意味になるか。ナポレオンよりは ロベスピエールがふさわしい。球は砲弾。額でなく、要塞とするならば、 ナポレオンが名を轟かせた軍港トゥーロンになるだろう 1行はギロチンを擬人化したもので恐怖政治を表しているだろう。 1-2行は合わせて、フランス革命中の出来事と解釈する。 -- とある信奉者 (2016-11-27 09:58:38)
最終更新:2016年11月27日 09:58

*1 DALF 04, p.712

*2 LeVert [1979] p.127

*3 大乗 [1975] p.85。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 Roberts (1947)[1949] p.62

*5 山根 [1988] p.98。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Eclaircissement..., pp.449-450

*7 Garencieres [1672]

*8 L'Avenir..., pp.106-108

*9 Torné-Chavigny [1860] p.130

*10 Ionescu [1976] pp.344-345

*11 竹本 [2011] p.456

*12 Cheetham [1973]

*13 Fontbrune (1938)[1939] p.81, Fontbrune (1938)[1975] p.98

*14 Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] p.146

*15 Roberts (1947)[1982/1994]

*16 Hutin [1978]

*17 Hutin (2002)[2003]

*18 Brind'Amour [1996], 高田・伊藤 [1999]

*19 『ノストラダまス予言書新解釈』p.139 ; 山本[1999]『トンデモノストラダムス本の世界』文庫版、p.214