百詩篇第3巻81番

原文

Le grand criard 1 sans honte audacieux 2 ,
Sera esleu 3 gouuerneur 4 de l'armée 5 :
La hardiesse 6 de son contentieux 7 ,
Le pont 8 rompu,cité 9 de peur 10 pasmée:

異文

(1) criard : criart 1557U 1557B 1588-89 1620PD, criar 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1772Ri, criat 1568I, Criard 1594JF
(2) audacieux : audatieux 1605 1649Xa
(3) Sera esleu : Esleu sera 1594JF
(4) gouuerneur : Gouuerneur 1594JF 1620PD 1656ECL 1665 1672
(5) de l'armée : dans l'armée 1656ECLb, le d'Armée [sic.] 1672
(6) La hardiesse : La hard fesse 1588-89, A l’hardiesse 1656ECLa 1668
(7) contentieux : contenteur 1600 1610 1716(a c)
(8) pont : Pont 1594JF
(9) cité : Cité 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1656ECLb 1668 1672
(10) peur : paour 1588-89, pœur 1594JF, pur 1600

(注記)1656ECLでは2箇所に登場している(pp.147, 360)。p.147のみに見られる異文を1656ECLa とし、p.360のみに見られる異文を 1656ECLb とした。

日本語訳

とても喧しく、恥知らずで無遠慮な人物が、
軍の統率者に選ばれるだろう。
彼の対抗者の大胆さ 〔が表出するだろう〕 。
橋が壊され、都市は恐怖で卒倒する。

訳について

 3行目 contentieux は現代語では「論争(の)、訴訟(の)」といった意味しかなく、DFEでもそうした意味が載っているが、ピエール・ブランダムールはエドモン・ユゲの辞書から「戦いや論争を好む人」(qui se plaît aux luttes, aux débats) という語義を導き、rival (対抗者、ライバル)と釈義している。その3行目は名詞句だが、ブランダムールは「~が現れるだろう」(se manifestera) を補って釈義した *1
 リチャード・シーバースの英訳もほぼ同じで、contentieux を rival と英訳した上で、shall come to the fore (~が表面化するだろう) を補って訳している *2
 当「大事典」の訳は、以上のような読み方を踏襲しているが、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールは contentieux を1行目の人物の性質と理解している。すなわち「彼の好戦的な性格の大胆さ」という読み方である。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「はじらいもなく大声で叫んで」 *3 は不適切。audacieux (無遠慮な、厚顔な)が訳に反映されていない。ただ、その点は、sans honte (恥知らずな) と意味が似ているために一まとめにしてしまったのかもしれない。

 山根訳について。
 3行目 「論争の大胆不敵」 *4 は、間違いではないにせよ、上述の contentieux の扱いからすると不適切ではないかと思われる。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は1562年7月のヴァルレアスの戦い (Bataille de Vaulreas ; Vaulreas は現 Valréas) と解釈した。前半に描写されているのはヴァルレアスを守っていたスーザ伯、3行目に描かれているのはそれを破ったレ・ザドレ男爵フランソワ・ド・ボーモン (François de Beaumont, le Baron des Adrets) で、4行目は被害を被ったソルグの教皇宮殿 (Château du Pont de Sorgue) と、アヴィニョンを指すと解釈された *5

 匿名の解釈書『1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の百詩篇集に関する小論あるいは注釈』(1620年)では、前半に描写された人物が国王アンリ3世を追放したカトリック同盟の首領ギーズ公アンリ、3行目の人物がアンリ4世と解釈されている *6

 1656年の解釈書では、1557年のケラース地方 (Queyras) の攻囲戦と解釈されている。前半は、戦死したボニヴェを継いでフランス歩兵連隊司令官に任命されたシャルトル司教代理フランソワ・ド・ヴァンドーム、3行目はフランス元帥であったブリサック伯シャルル・ド・コセと位置づけられた *7
 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、この解釈を踏襲した *8


 ジェイムズ・レイヴァー(1942/1952年)は、前半の人物をクロムウェルと解釈した。4行目の「橋が壊され」は、それを語源とするヨーク地方の都市ポンテフラクト(国王軍の拠点であったために、ピューリタン革命時には激戦地の1つとなった)とされた *9
 この解釈はエリカ・チータム(1973年)が踏襲した *10

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、かなり漠然とした解釈しかしておらず、夫婦の改訂版(1982年)も同様であった *11 。しかし、の改訂(1994年)では、ノーマン・シュワルツコフ(湾岸戦争で多国籍軍司令官となったアメリカの陸軍大将)のこととされた *12

 セルジュ・ユタン(1978年)、ネッド・ハリー(1999年)らは前半の人物をアドルフ・ヒトラーと解釈した *13 。ユタンについてはボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)でも解釈に変更が無い。

 2016年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが勝利すると、前半に描写されているのがトランプだとする解釈が提示された。日本ではネットメディアのTOCANAがこれを(おそらく最初に)報じ *14 、テレビ番組『Mr.サンデー』(フジテレビ、2016年11月13日放送分)でも紹介された。類似の情報は『ロケットニュース』などでも報じられた *15


【画像】 ドナルド・トランプ著 『THE TRUMP - 傷ついたアメリカ、最強の切り札』

同時代的な視点

 エヴリット・ブライラーは、当時フランス軍を率いていたモンモランシー公に対する反感が織り込まれている可能性を挙げた *16

 ピエール・ブランダムールジャン=ポール・クレベールは釈義をしているものの、特定のモデルは挙げていない。

 ピーター・ラメジャラーは、ノストラダムスがしばしば古代ローマをモデルにした詩篇を作っており、「都市」がローマを指している例があることを踏まえ、スパルタクスの反乱(紀元前73年 - 前71年)がモデルではないかとした *17

その他

 1672では79番になっている。1685ではページ順を変えずに詩番号のみ81番に差し替えている。ヘンリー・C・ロバーツの版では、79番とする誤った詩番号がそのまま踏襲されている。


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