百詩篇第1巻57番


原文

Par grand discord la trombe 1 tremblera 2 ,
Accord rompu dressant 3 la teste au ciel 4 :
Bouche sanglante dans le sang nagera:
Au sol 5 sa face 6 ointe de laict 7 & miel 8 .

異文

(1) trombe : trompe 1588-89, terre 1600 1607PR 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665
(2) tremblera : temblera 1668A
(3) dressant : dréçant 1630Ma
(4) ciel : Ciel 1568I 1589PV 1605 1611 1628 1649Xa 1672 1716 1981EB
(5) sol : Sol 1644 1672
(6) sa face : la face 1557B 1568 1590Ro 1591BR 1597 1600 1605 1607PR 1610 1611 1628 1649Xa 1672 1716 1772Ri 1981EB
(7) de laict : le loit 1672
(8) miel : Miel 1672

校訂

 ピエール・ブランダムールは1行目の discord を Discord と大文字に直している。この校訂の意味するところは後述の「訳について」節を参照のこと。

日本語訳

大きな不和のせいで喇叭が鳴り響くだろう、
調和が破られて、頭を天に掲げて。
血まみれの口は血の中を泳ぐだろう、
地べたでその顔は乳と蜜を塗られる。

訳について

 現代フランス語で不和を意味するのは女性名詞の discorde である。discord は中期フランス語に存在した男性名詞で、同じく「不和、反目」(désaccorde, discorde)の意味 *1ピエール・ブランダムールはこれをあえて Discord と固有名詞化し、Discorde と釈義している。フランス語の場合、この語を大文字で書くと、ギリシア神話の不和の女神ディスコルディアの意味になる *2
 ゆえに「大いなるディスコルディアのせいで」とも訳しうる。これは後述する出典との整合性を考えれば、十分に説得的な読み方といえるが、ジャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースが踏襲しているものの、ブリューノ・プテ=ジラールピーター・ラメジャラーは固有名詞然とする読みを採用していない(厳密に言えばラメジャラーは2003年の時点では文頭に Discord を持ってきているので、固有名詞と読ませようとした意図もなくはないのかもしれないが、フランス語原文に対しては何も注記していない)。高田勇伊藤進訳でも「大いなる不和がゆえに」となっていることから、当「大事典」でも単に「不和」とした。
 1行目 trombe を「喇叭」としたことは当該記事を参照のこと。trembler は「震える」一般の意味だが、ブランダムールやクレベールは vibrer と釈義している。vibrer も震動に関する動詞だが、声や音に用いられる語である *3

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「気味悪くトランペットがなり響くだろう」 *4 は、Par grand discord を「気味悪く」と訳すのが強引過ぎる。
 2行目「大衆はばらばらに頭と顔を天に向け」も前半の根拠が不明。元になっているはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳では agreement が使われているし、「大衆」をどこから導いたのか、よく分からない。
 4行目「顔は 乳やみつで聖別された太陽に向けるだろう」は誤訳。sol は確かに「土」以外に「太陽」とも読めるが、ointe は語尾から女性名詞を形容していることが明らかなので、男性名詞の sol を形容していると見ることはできない。

 山根訳はおおむね問題ない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「単語や意味は平易であり、それらの語に隠された何らかの大きな謎があるとは思えない」とだけコメントした *5

 この詩が注目されたのは19世紀以降のことである。
 その口火を切ったのは(当「大事典」が確認する範囲では)アナトール・ル・ペルチエ(1867年)で、彼はルイ16世の処刑(1793年)と解釈した。民衆と国王との不和の結果、約定が破棄され、かつて聖油を塗られて戴冠した首級が斬り落とされた様を描写しているというわけである *6
 この解釈は、細部に違いはあるものの、チャールズ・ウォード(1891年)、シャルル・ニクロー(1914年)、ジェイムズ・レイヴァー(1942年/1952年)、スチュワート・ロッブ(1961年)、エリカ・チータム(1973年)、ヴライク・イオネスク(1976年)、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)、ネッド・ハリー(1999年)、竹本忠雄(2011年)らが踏襲している *7

 他の解釈もいくらか存在する。
 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、日米の和約の破棄と血塗られた戦争への突入、日本の大東亜共栄圏についてと解釈した *8 。この解釈は、の改訂(1994年)でも踏襲されたが、湾岸戦争にも当てはまるとするコメントが追加された *9

 セルジュ・ユタン(1978年)は『ヨハネの黙示録』に描写された終末の情景と関連付けた *10

 ミカエル・ヒロサキ(未作成)(1992年)は、口紅などの女性の化粧法の発達と解釈した *11

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールの指摘以来、この詩の1行目から3行目までが、1世紀の作家ペトロニウスの作とされる悪漢小説『サテュリコン』、その「戦闘らっぱの音がひびきわたった。『不和』(ディスコルディア)の女神が/髪をふりみだし、冥界(ステュクス)から頭をもたげた」 *12 で始まる一節(第124節)を下敷きとしていることは広く知られるようになり、高田勇伊藤進ブリューノ・プテ=ジラールピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・シーバースらが支持している *13
 『サテュリコン』のこの一節は、ノストラダムスが参考にしていたことが確実視されているクリニトゥスの『栄えある学識について』でも引用されており、これを下敷きにしたと考えることは理に適っている。
 なお、ブランダムールは、セザール・ド・ノートルダムが『プロヴァンスの歴史と年代記』で同じ一節をフランス語訳していることもあわせて指摘している。


【画像】『サテュリコン』 国原吉之助訳、岩波文庫


 最後の行はブランダムールらも指摘するように、百詩篇第6巻89番で再び繰り返されることになるモチーフであり、身動きを取れなくされた者が蜂蜜などを塗りたくられて虫にたかられるという拷問を描写している。この拷問は古来知られたものであり、ブランダムールはこの拷問について言及している古典として2世紀の作家アプレイウス(アープレーイユス)から中世のボッカッチョまで、様々な例を指摘した(その例は日本語文献では高田・伊藤 [1999] で紹介されている)。

 特定のモデルは示されていないが、古典に題材を採った詩である可能性が高いことは確かであろう。少なくとも、戴冠式で使われた聖油は聖別された香油であって、乳と蜜の拷問を戴冠式に結びつけることは古典に照らせば強引と言える。


【画像】アープレーイユス 『黄金の驢馬』 呉茂一・国原吉之助訳、岩波文庫


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