フランソワ・バルボトー

フランソワ・バルボトー (François Barboteau, 1660年没)は、アミアン大聖堂の聖職者。

経歴

 この人物についての情報は乏しい。19世紀の歴史家ヴィクトル・アドヴィエルは、分かっていることがほとんどないとしつつも、「パリ出身で、1602年6月3日にアミアン大聖堂の司教座聖堂参事会員、1636年に聖歌隊長(chantre)、1642年に司教座聖堂参事会首席(prévôt)に任命され、1660年11月23日に亡くなるまでその高い地位を維持し、アミアン大聖堂に葬られた。そのほか、デール神父 (Le père Daire) が、参事会員バルボトーはパリの神学部の教会法学位論文受験者(bachelier)だったと述べている」 *1 とし、墓碑を引用している。

 ブリュッセル大聖堂の司教座聖堂参事会員プネの手紙(1694年)によると、バルボトーの甥であるマクロン(Macqueron, これは姓で名は不明)は、その当時、国王秘書官(secrétaire du Roy)を勤め、パリのサント=ジュヌヴィエーヴ修道院近くに住んでいたという。バルボトーの死後、所有物はマクロンをはじめとするパリの親族に引き取られたらしい。

ノストラダムス関連

 バルボトーの特筆すべき点は、全132篇から成る六行詩の手稿を保有していたという点である。この点や上述のプネの手紙については、六行詩132篇説を参照のこと。

 ただし、バルボトーのノストラダムス蔵書について最初に証言した1656年の解釈書では、もう一つ証言がある。排除すべき偽の詩篇を列挙した項目の結論部分である。

Ce qui m’en fait douter, c’est que i’ay eu entre les mains vn des plus anciens imprimez des Centuries de Nostradamus, que son fils Cesar Nostradamus Auteur de l’histoire de Prouence, donna pour rare present à vn sien amy, qui le donna par aprés à vn de mes plus intimes, Chanoine de la Cathedrale d’Amiens. Dans cét ancien imprimé ie n’y trouuay, ny celuy de fourchu, ny de ces deux susdits, ny de ceux cy desquels ie doute, mais i’y trouue tous les autres que i’approuue. p.79

私にそれらを疑わせる理由、それは私がノストラダムスの詩百篇集の最古の版の一つを手にしていることである。その版は、ノストラダムスの息子であるプロヴァンスの歴史〔=『プロヴァンスの歴史と年代記』〕の著者セザール・ノストラダムスが、希少な贈り物として友人の一人に贈ったもので、その友人はその後、それを私の大親友の一人であるアミアン大聖堂の参事会員に贈ったのである。その古版本の中に、私はフォーク 〔=「フォーク」の謎解きがある第10巻補遺篇〕 も、上述の2篇 〔反マザランの詩篇〕 も、上で私が疑ったもの 〔第11巻第12巻の断片など〕 も見出せないが、私が承認した他の詩篇は全て見出せるのである。
〔翻訳ここまで〕

 以上だが、彼が排除すべきとしている詩篇は予兆詩集、六行詩集、第10巻補遺篇、第11・12巻、反マザランの詩篇である。それらを一切含まない一方、10巻までの内容を含んでいる版ということは、1568年から17世紀初頭までのリヨンで出された版の可能性が高い。
 最古の版の一つ、とまで言っているのだから1568年版ということだろうか。ただ、それをセザール・ド・ノートルダムが希少な版として知人に譲ったという話は、事実かどうか確かめようがなく、ましてやバルボトーがセザールの友人の友人だったという主張に至っては、なおのこと検証のしようがない。

 ただし、1656年の解釈書では、四行詩の原文をかなり自由に改変しており、この主張が事実だったとしても、あまりその原文を尊重しているようには見えない。

地位の訳語について

 以下は蛇足である。
 上の概要では、バルボトーの経歴に仮訳をあてているが、そのうち、争いがありそうなシャントル、プレヴォ、バシュリエについて、根拠と補足情報を記載しておく。もっとも、この人物については、ノストラダムスの文献を持っていたという一点のみが重要なのであって、「司教座聖堂参事会内で地位を上げていった人物」という程度の経歴が分かっていれば、ノストラダムス現象の関わりでは十分であろう。

シャントル

 シャントル(chantre)は、大別すると「聖歌隊員」「聖歌隊長(聖歌隊先唱者)」の2通りの意味になる(比喩的に「詩人」などの意味にもなるが、ここでは明らかに無関係なので割愛)。

 『仏和大辞典』(白水社)、『ロワイヤル仏和中辞典』『プチ・ロワイヤル仏和辞典』(旺文社)、『新スタンダード仏和辞典』(大修館書店)などは、「聖歌隊員」の意味を掲げ、聖歌隊先唱者の意味を持つ熟語として grand chantre を挙げている。

 その一方、『デイリーコンサイス仏和・和仏辞典』(三省堂)は「聖歌隊長」、『クラウン仏和辞典』(三省堂)は「(カトリック教会の)聖歌隊の先唱者、聖歌隊長」、『プログレッシブ仏和辞典』(小学館)は「(カトリック教会の)聖歌隊主席歌手」としており、『仏英独日対照 現代キリスト教用語辞典』(大修館書店)でも、「(大聖堂の)合唱隊長 聖歌前唱者」とされている。
 オックスフォード仏英辞典では英訳に cantor が当てられているが、この語は手元の英和辞典 *2 ではいずれも「聖歌隊長」「聖歌隊先唱(前唱)者」の意味しか載せていない。
 また、ラテン語の cantor は一部の日本語辞書・事典で「カントル」として項目が立っているが、カトリック教会での語義は「聖歌合唱で、独唱部分を担当する歌い手。先唱者」(『広辞苑』)、「聖歌隊を指揮し聖歌のソロの部分を歌う者」(『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』)などとなっている。
 さらに、chantre という語はスペイン語やポルトガル語にもあるが、「聖歌隊の先唱者[指揮者]」(『西和中辞典』)、「[教会の]聖歌隊指揮者」(『現代ポルトガル語辞典』)などとなっている。

 『ロベール仏和大辞典』では「聖歌隊員;(大聖堂の)聖歌隊主席歌手、聖歌隊長」と両論併記のような形になっている。

 以上を踏まえると、聖歌隊員、聖歌隊長のいずれでも誤訳とは言えないかもしれないが、聖歌隊長の方が優勢であり、上のバルボトーの経歴説明が地位の昇進という文脈で語られていることを考慮すれば、単なる聖歌隊員よりも、聖歌隊長(聖歌隊先唱者、聖歌隊前唱者)の可能性の方が高いのではないだろうか。

プレヴォ

 プレヴォ(prévôt)は、アンシャンレジーム下でのさまざまな官吏などの称号に使われた語で、そういう系統の訳語しか載せていない仏和辞典も少なくない。ただし、宗教上の語義を載せているものもある。
  • カトリック用語として「司教座聖堂参事会首席;(修道会の)高位聖職者」 (『ロベール仏和大辞典』)
  • カトリック用語として「司教座聖堂首席司祭;僧会長」 (『仏和大辞典』白水社)
  • 「(修道会の)院長代理;(司教座聖堂・教会参事会員の)主事」 (『ロワイヤル仏和中辞典』)
  • 「(特定の修道院の)修道会(院)長」(『新スタンダード仏和辞典』)
 以上、バルボトーが司教座聖堂参事会員であったことを考えるなら、その首席なり主事なりを意味していると考えるのが最も自然だろうし、仮にそうでないとしても、アミアン大聖堂内の聖職者としての何らかの高い地位を指していると考えるべきだろう。

バシュリエ

 現代フランス語でバシュリエ(bachelier)といえば、バカロレア合格者(大学入学資格者)の意味で使われるのが普通である。宗教用語としての意味を載せている辞書は少ないが、
  • 宗教用語として「(3年間の教会法専攻課程を修了した)学位論文口頭試問受験者」 (『ロベール仏和大辞典』)
  • 古語として「(3学年目の)教会法学位論文受験者」 (『ロワイヤル仏和中辞典』)
などとある。
 17世紀当時の教育制度については未調査なので断言しかねるが、仮に、教会法の学位論文受験者でないとしても、神学部生のいずれかの課程までを修了した学生だったと見て、おそらく間違いないだろう。少なくとも、神学部で教える側などではなかったと考えられる。


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