原文
Ce que fer flamme1 n'asceu2 paracheuer3,
La doulce langue au conseil4 viendra faire.
Par repos, songe, le roy5 fera resuer.
Plus l'ennemi6 en feu, sang militaire.
異文
(1) flamme : flemme 1605sn 1628dR
(2) n'asceu 1555 1840 : n'a sceu T.A.Eds. (sauf : n’a sçeu 1589PV 1605sn 1606PR 1611 1627Di 1628dR 1627Ma 1649Xa 1650Ri 1665Ba 1716PR, n’a seu 1590Ro, na sceu 1672Ga, n'a scu 1981EB)
(3) paracheuer : paracheué 1605sn 1628dR 1649Xa
(4) conseil : Conseil 1620PD
(5) roy 1555 1557U 1557B 1840 : Roy T.A.Eds.
(6) l’ennemi : l’Ennemy 1672Ga
校訂
1行目 n'asceu は n’a sceu の単純な誤記。
日本語訳
鉄器も炎も成し遂げられなかったことを、
会議で甘い言葉がやってのけることになるだろう。
安息に際し、夢の中で王は見せられるだろう、
敵軍がいっそう火と血の中にあると。
訳について
4行目を除けば、語法上難しい箇所はほとんどない。
2行目は「会議で」以外に「会議への」とも訳せる。
高田勇・
伊藤進訳では後者になっているが、
ピーター・ラメジャラーや
リチャード・シーバースが in council と英訳しており、後で紹介する
ロジェ・プレヴォの読みが正しいなら、そちらの方が妥当だろうと思えるため、そちらを採用した。
3行目の直訳は「安息により、夢は王に夢を見させるだろう」である。songe は『ロベール仏和大辞典』で引くと「夢」以外に「夢の神」などの語義も出てくる。要するに、この場合、夢を自分が主体的に見るものではなく、何者かによって見せられるものとして捉えているのだろう。日本語で直訳すると冗長になるので、上のように意訳した。
高田・伊藤訳でも「休みし折りに夢は王に見させん」となっていたが、異なる読みを提示したのがロジェ・プレヴォである。彼は resver (rêver) が「さまよう、誤る」などの意味を持っていたことを踏まえ、「安息による夢想が王を迷わせるだろう」といった意味合いに理解した。プレヴォが指摘する resver の語義は、DMFでも確認が取れる。
4行目、現代語でも中期フランス語でも、plus は否定の ne を伴わないで実質的に ne plus の意味で使われる場合がある。
エヴリット・ブライラーは肯定で訳しつつも、カッコ・疑問符付きで否定も併記していた。しかし、
ピエール・ブランダムールはこの場合は否定ではないと明言しており、高田・伊藤やシーバースらも否定には訳していないので、ここでは肯定で訳した。
なお、前述のプレヴォの読み方の場合、4行目は3行目の夢の内容ではなく、3行目とは独立して敵の状況を描写していることになる。たしかに、関係詞などがあるわけではないので、どちらの読みも可能である(ブランダムールの場合、校訂によって resver. を resver: とすることで、4行目が3行目と密接に結びついていることをはっきりさせている)。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「鉄も火もなすことなく」は誤訳だろう。n’a sceu (n’a su)は直説法単純過去。現在形で訳すことは疑問であり、「なす」という訳語にも疑問がある。sceu (su) は savoir の過去分詞であり、これは「知っている、(やり方を知っていて)できる」の意味である。
2行目「かろやかな舌で さとしを受け」も微妙。douce / doux は「甘い」「穏和な」などの意味であるが、「かろやかな」という訳し方がこの場合に妥当かには疑問がある。また、「さとし」はconseil を助言の意味に解釈したのだろうが、文脈に沿うかは疑問である。
山根訳について。
1行目 「武器でも炎でも成し遂げられそうもないことを」は、直説法単純過去を「成し遂げられそうもない」と訳すのが疑問。
4行目「戦いや将兵の血とは無縁の敵を」は、上述のように plus を ne plus (もはや…ない)の意味に訳せば導けないこともないが、現在では支持されていない読み方である。
信奉者側の見解
ヘンリー・C・ロバーツ(1947年/1969年)は漠然とした解釈しか掲載していなかったが、
娘夫婦の改訂では、国際連合の成立が戦争の抑止力となっているとする解釈に差し替えられた。ロバーツの日本語版監修者の
内田秀男(未作成)は、将来の戦争では、マスメディアやテレパシーで敵を洗脳するようになることと解釈した。
セルジュ・ユタン(1972年)はナポレオンのブリュメール18日のクーデターではないかとしたが、
ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、第三共和政発足当初の君主制支持者らの動きとする解釈に差し替えられた。
同時代的な視点
ロジェ・プレヴォはミシェル・ド・ロピタルがモデルになっていると解釈した。のちに宰相(大法官)となるロピタルは、ノストラダムスがこの詩を刊行する前年(1554年)には財務総監に任命されており、王室の会議でも相応の地位を占めていた。カトリックとプロテスタントの対立が先鋭化する中で、ロピタルが終始、武力衝突を回避するための宥和政策に尽力していたことは知られている。
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最終更新:2018年11月07日 01:00