詩百篇第1巻5番


原文

Chassés1 seront sans faire2 long combat
Par le pays3 seront4 plus fort greués5:
Bourg & cité6 auront plus grand debat,
Carcas.7 Narbonne8 auront9 cueurs10 esprouués11.

異文

(1) Chassés : Cassez 1627Di
(2) sans faire 1555 1589PV 1590SJ 1594JF 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga 1840 : faire 1557U 1557B 1568X 1568A 1588-89 1590Ro, pour faire 1568B 1568C 1591BR 1597Br 1610Po 1605sn 1606PR 1607PR 1611A 1611B 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1772Ri 1981EB, de faire 1612Me
(3) le pays : les pays 1606PR 1607PR 1610Po 1627Di 1627Ma 1644Hu 1653AB 1665Ba 1716PR 1772Ri, le Païs 1672Ga
(4) seront : feront 1653AB 1665Ba
(5) greués : gravez 1716PRb
(6) cité : Cité 1589PV 1590SJ 1611B 1650Le 1668 1672Ga 1772Ri, citez 1627Di 1653AB 1665Ba, cités 1716PR
(7) Carcas. : Carcas, 1588-89 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga, Carcass. 1594JF, Carcas 1612Me, Carcasonne 1716PRc, Carcassone 1772Ri
(8) Narbonne : & Narbonne 1589Me 1589Rg 1612Me
(9) auront : anrõt 1612Me
(10) cueurs : coeurs 1557U 1557B 1589Rg 1589PV 1590Ro 1590SJ 1612Me 1649Ca 1650Le 1668 1672Ga, coeur 1568 1591BR 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1772Ri 1981EB
(11) esprouués : esprounez 1628dR

(注記) 1597Brは1行目のみしか比較できず。

校訂

 1行目の異文は版の変遷を考える上で興味深い。初版では sans faire (~することなしに) となっていたものが、1557U では sans が脱落してしまった。その場合は「~する(ために)」という全く逆の意味になる。1568年版は当初それをそのまま引き継いだが、1音節足りないため、意味が変わらない単語として pour (~のために) を挿入して「~するために」という意味をはっきりさせた。
 このことからすれば、1568年版の中では 1568X や 1568A よりも 1568B や 1568C の方が後に出版されたことが明らかであり、しかもその改変は正統な原本に基づいていない可能性があることを示している。

日本語訳

(彼らは)長く戦わずして追い立てられ、
田舎で一層ひどく打ちのめされるだろう。
町や都市ではさらに大きな争いがあり、
カルカソンヌナルボンヌが彼らの勇気を試すだろう。

訳について

 この詩では主語が省かれているが、動詞の活用形などから三人称複数の男性であることは明らかなので、「彼ら」が補われるべきである。
 2行目 pays は「国」「地方」「田舎」などの意味があるが、この場合は3行目の「都市」などとの対比で「田舎」の意味で用いられているとする点は、ピエール・ブランダムールジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーたちの間で異論がない。
 4行目 cueursは、いくつもの意味がありうるが、ブランダムール、クレベール、ラメジャラーが一致して courage と現代フランス語訳や英訳しているので、それに従った。また、それが「誰の」(何の) ものであるかは明記されていないが、上記の複数の論者たちの読みに従った。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳は、1行目「かれらは長い戦いをしないうちに放棄し」*1は、最後の部分が不適切。1行目は受動態の上、chasser に「放棄する」の意味はない。
 同2行目「人々は大いに悲しむだろう」は Par le pays が訳に反映されていないし、seront grevés を「悲しむ」と訳すことの妥当性も疑問である。
 同4行目「カルカソンヌやサルボンヌが人々の心を示すようになるだろう」は「サルボンヌ」を単なる誤植として無視するとしても、auront esprouvés を「示す」云々と訳すことの妥当性が疑問である。

 山根訳は、1行目が「彼らは、ながい泥沼の闘いに駆り立てられよう」*2と正反対になっているが、これは上の「校訂」の節で触れた事情が原因である。
 同4行目「カルカソンヌとナルボンヌはみずからの心を験されるだろう」は誤訳。auront esprouvés は受動態ではなく、直説法前未来 (未来のある時点で過去になっている出来事を表現する) である。

信奉者側の見解

 20世紀前半まででこの詩を解釈したのは、テオフィル・ド・ガランシエールアンリ・トルネ=シャヴィニーだけのようである。
 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、ラングドック地方での宗教戦争に関する予言とした*3。この解釈はヘンリー・C・ロバーツ(1949年)がほぼ丸写しにし、エリカ・チータム(1973年)も類似の解釈を展開した。

 アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)は、ナポレオンが敗北したあとに諸外国から追い立てられたフランス人たちと解釈した*4

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は近未来に起こる戦争の情景としていた*5

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーは2003年の時点では、『ミラビリス・リベル』に収録された「偽メトディウス」などに描かれているイスラーム勢力の侵攻がモデルと見なしていた。しかし、2010年には9世紀にまとめられた年報や年代記に描かれた、8世紀のサラセン人の南仏侵略がモデルと解釈を修正した*6

 5世紀から10世紀のラングドック地方は様々な勢力の侵略を受け、特に8世紀には都市の荒廃やキリスト教徒の大規模な逃亡があり、カルカソンヌも人口の大幅な減少を経験した*7。その時期の出来事がモデルだったと考えるのは、確かに説得力があるだろう。


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コメントらん
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  • カルカソンヌの名前の由来がカール大帝に関し、ナルボンヌが古代ローマ帝国に重要な町だったから、2年足らずで降参したイタリアと、ナチス・ドイツとヴィシー政権とレジスタンス活動を予言か?? -- とある信奉者 (2013-03-09 14:18:37)

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詩百篇第1巻
最終更新:2018年06月19日 23:59

*1 大乗 [1975] p.46

*2 山根 [1988] p.39

*3 Garencieres [1672]

*4 Torne-Chavigny [1860] p.VI

*5 Fontbrune (1980)[1982]

*6 Lemesurier [2010]

*7 ル・ロワ・ラデュリ『ラングドックの歴史』pp.26-27