詩百篇第1巻7番


原文

Tard arriué l’execution faicte
Le vent1 contraire2, letres3 au chemin prinses:
Les coniures.4 xiiij.5 dune6 secte7
Par le Rosseau8 senez9 les entreprinses.

異文

(1) vent : Vent 1672Ga
(2) contraire : contraires 1605sn 1611A 1628dR, contrare 1672Ga
(3) letres : Lettres 1672Ga
(4) coniures. 1555 1557U 1557B 1568X : coniurez T.A.Eds. (sauf : coniurés 1590Ro 1612Me, Conjurez 1672Ga)
(5) xiiij. : quatorze 1588-89 1589PV 1590SJ 1610Po 1612Me 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga, xiiij 1605sn, XIV. 1716PR
(6) dune 1555 1557U 1568X 1840 : d’une T.A.Eds.(sauf : d’vue 1981EB)
(7) secte : Secte 1672Ga
(8) Rosseau 1555 1589PV 1590SJ 1840 : Rousseau T.A.Eds.
(9) senez : semez 1588-89 1612Me, senaz 1653AB 1665Ba, seront 1672Ga

(注記)1597Brは比較できず

校訂

 3行目 coniures. と dune はそれぞれ coniurés. と d’une になっているべき。ピエール・ブランダムールの校訂版では、いずれも初版から coniurés. と d’une になっているかのように異文を一切収録していないが、適切ではないだろう。

 4行目 Rosseau は当時 o と ou が交換可能であったことを踏まえれば、Rousseau と実質的な違いはないであろう。ただし、ブランダムールのようにイタリア語 Rosso に引き付けて読む場合には、Rosseau という綴り方にも意味があった可能性はある。

日本語訳

到着が遅れ、処刑が執行される。
逆風 (に見舞われ)、書簡は途上で奪われる。
陰謀を企むのは、ある派の十四人。
赤毛によって企ては賛同されるだろう。

訳について

 4行目 sener は現代フランス語にはない。
 DALFには cener の綴りの揺れとして扱われている。cener の語義は 「夕食をとる」(faire la cène, souper)、「来るように合図する」(faire signe de venir) である*1
 DAFでは saner の綴りの揺れとされており、saner は「治療する」(guérir, panser) の意味である*2
 ピエール・ブランダムールはいくつかの古語辞典などをもとに、bénir (〔キリスト教的な意味で〕祝福する、祝別する)、approuver (賛同する) などの語義も導いており、釈義では approuver を使っている*3
 cener, saner も含めて詩百篇集でのこの単語の登場箇所は、この詩のみである。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳は、2行目 「逆飛が吹き 手紙は途中で 横取りされる」*4は、構文理解は間違っていないが、「逆飛」 は 「逆風」 の誤植だろう。
 4行目 「赤毛の人によって くわだてがおこなわれるだろう」 は誤訳だが、senez が seront になっている底本に基づいたせいもあるのだろう。

 山根訳も、4行目 「ルソーの手で これらの企てがなされるだろう」*5が大乗訳と同様の問題を抱えている。
 なお、Ro(u)sseau は大文字で書き始められているので、確かに 「ルソー」 という人名と解釈するのも可能かもしれないが、直前にわざわざ冠詞がついていることからすれば、(仮に大文字で書き始められていることに意味があるとしても) 姓よりもむしろ 「赤毛」 という通称で呼ばれている人物を想定すべきであろう。
 むろん、特定の意図を込めて人名に定冠詞をつける場合も存在するが、ピエール・ブランダムールジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらは誰一人、そのような事例と見なしていない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは赤毛の男が絡む陰謀事件についての予言としつつも、そのような史実を見つけられないとコメントしていた*6
 その20年ほど後の1691年ルーアン版『予言集』に掲載された「当代の一知識人」の解釈では、1560年のアンボワーズの陰謀事件の予言とされていた。


 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は4行目の「赤毛」 Ro(u)sseau を18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソー (Jean-Jacques Rousseau) と結び付けていた*7
 息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは当初、近未来における共和政の終焉と、ジャン=ジャック・ルソーの思想の衰えと解釈していたが*8、晩年の解釈では、ルイ16世の処刑に遅れて登場したナポレオン・ボナパルトによるブリュメール18日のクーデターとJ.-J.ルソーの思想の衰えとされていた。
 フォンブリュヌが4行目をルソー思想の衰退と結び付けているのは、彼が senez を中期フランス語では sénile (老衰した) と同義だったと主張していることによる。当「大事典」で確認している古語辞典には見当たらないが、ラテン語には senex (老衰した) という語がある。
 J.-J. ルソーの思想とフランス革命という解釈はセルジュ・ユタンも展開したが、彼はそこにバイエルンの結社イルミナティによる陰謀論も加えた。
 この解釈はボードワン・ボンセルジャンの補訂でもそのまま堅持された*9

【画像】仲正昌樹 『今こそルソーを読み直す』

 エリカ・チータムは19世紀末のフランスを揺るがしたドレフュス事件と、その終息を図った首相ルネ・ヴァルデック=ルソーと解釈した*10 (なお、チータムはヴァルデック=ルソーを反ドレフュス派として紹介しているが、彼はドレフュスが再審で有罪となった際に特赦を出している*11)。
 ジョン・ホーグも同様の解釈を展開した*12
 ただし、彼らの解釈では、「14人」が何を指すのか、明らかにされていない。

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは Rosseau がイタリア語の Rosso から「赤き者」(le Rouge) と訳した場合、枢機卿を指す可能性に触れた*13
 ただし、具体的な事件とは結び付けていない。

 高田勇伊藤進はその読み方を踏まえつつ、描写された内容は、16世紀の政治的事件としてはありふれたものであったことを指摘した*14。当時としてありふれた情景という指摘は、エドガー・レオニの著書にも見られたものである*15

 それに対し、具体的な事件と結びつけたのがロジェ・プレヴォである。彼は前半と後半で異なるモデルの存在を指摘した*16
 まず前半は、1528年にプロテスタントと見なされた人文主義者ルイ・ド・ベルカンが刑を宣告されたその日のうちに、(過去2度の逮捕では直接的介入によってベルカンを救っていた)国王フランソワ1世が介入するまもなく火刑に処せられたことがモデルになっていると見なした。
 後半は1540年にモーで14人の改革派が処刑されたことがモデルとし、4行目には彼らに影響を与えていたルッセル (Roussel は1510年代半ばから1525年までにモーで活動していた改革派「モーのグループ」の主要構成員のひとりであった) の名が仄めかされているとした。
 なお、ルッセルの名前は、この詩を当時のカルヴァン派に関する描写としていたエヴリット・ブライラーの解釈でも言及されている*17

 ピーター・ラメジャラーは2003年の時点ではプレヴォの解釈を支持していたが、2010年になると、この詩のモデルを新大陸についてまとめた同時代の人文主義者ペドロ・マルティル・デ・アングレリーア (ピエトロ・マルティーレ・ダンギエーラ) の『新世界論』 とした*18
 後者については詳述されていないので、その著書のどのような箇所に基づくものなのか、日本で抄訳されているマルティルの著書を参照してもよく分からない。


【画像】 ペドロ・マルティル 『新世界とウマニスタ』 岩波書店


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詩百篇第1巻
最終更新:2021年09月22日 01:30

*1 DALF, T.2, p.13

*2 DAF, p.528

*3 Brind'Amour [1996] p.56

*4 大乗 [1975] p.47。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.40

*6 Garencieres [1672]

*7 Fontbrune (1938)[1939] p.34

*8 Fontbrune (1980)[1982]

*9 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*10 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*11 柴田・樺山・福井『フランス史3』p.148

*12 Hogue (1997)[1999]

*13 Brind'Amour [1996]

*14 高田・伊藤 [1999]

*15 Leoni [1961]

*16 Prévost [1999] p.188。ただし、解釈の紹介では適宜、柴田・樺山・福井『フランス史2』などによって、説明を補っている。

*17 LeVert [1979]

*18 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]