詩百篇第1巻32番


原文

Le1 grand empire2 sera tost translaté3
En lieu petit qui bien tost4 viendra croistre:
Lieu bien infime d'exigue5 comté6
Ou7 au milieu viendra poser son sceptre8

異文

(1) Le grand : La grand 1672Ga
(2) empire 1555 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1590SJ 1650Le 1668 1772Ri 1840 : Empire T.A.Eds.
(3) translaté : transsaté 1605sn
(4) bien tost : bien-tost 1644Hu 1649Xa 1772Ri
(5) d'exigue : d'exiguë 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668P, dexigue 1653AB 1665Ba, d'exiguĕ 1668A
(6) comté : conté 1588-89 1610Po, Comté 1620PD 1672Ga
(7) Ou : Où 1568C 1591BR 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1620PD 1627Ma 1628dR 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1716PR 1981EB
(8) son sceptre : son sceptré 1591BR, son Sceptre 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668, sceptre 1627Ma, septre 1627Di, son Scepter 1672Ga

日本語訳

大帝国がすぐに移されるだろう、
小さな場所に。それは瞬く間に成長するだろう。
狭い伯爵領のじつに取るに足らない場所、
その中央に彼の王杖を置きに来るだろう。

訳について

 大乗訳は2行目「やがて弱き国となり」*1がまずおかしい。croistre (croître, 成長する、増大する)が訳に反映されていない。
 同3行目「弱き者の要求を入れ」も不適切。comté (伯爵領)をはじめとして訳されていない語が多すぎる。

 山根訳は3行目「狭すぎる地域の小さな土地」*2が上記と同じような問題点を含んでいる。

信奉者側の見解

 匿名の解釈書『1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の詩百篇集に関する小論あるいは注釈』(1620年)はボヘミア王国についての予言とした*3

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、神聖ローマ皇帝カール5世が神聖ローマ帝国を弟フェルディナント1世に譲り、スペインを息子のフェリペ2世に譲ったことでそれぞれは小さくなったが、スペインはその後急成長を遂げたことの予言と解釈した*4

 1691年ルーアン版『予言集』に掲載された「当代の一知識人」の解釈では、ナッサウ伯家出身でオラニエ公の位を継ぎ、名誉革命を経てイギリス王になったウィレム(ウィリアム3世)についてとされている*5

 アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)はナポレオンの予言とした。大帝国を築き上げたナポレオンがエルバ島に流された後、そこを脱出して百日天下を実現したことと解釈したのである*6
 チャールズ・ウォード(1891年)もナポレオンとしたが、トルネ=シャヴィニーの解釈を知らなかったようで、まだ誰も指摘していないらしい解釈としていた*7ジェイムズ・レイヴァー(1952年)もトルネ=シャヴィニーの解釈を知らなかったようで、エリゼ・デュ・ヴィニョワが解釈の中で百日天下などについて触れていないことを挙げ、従来の解釈者たちの不備を批判した*8
 ナポレオンとする解釈はセルジュ・ユタンエリカ・チータムなどが支持した*9ジョン・ホーグはナポレオンとする解釈と、前出のカール5世とする解釈を両方とも採用し、いずれも的中と解釈した*10

 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)は未来の名君「偉大なケルト人」に関する詩として、パリが破壊された後にブロワが帝都となることの予言と解釈した*11
 文脈は異なるが、エミール・リュイール(未作成)(1938年)も数年のうちに起こると想定していた戦争と革命によってパリが破壊され、アヴィニョンに遷都することになる予言とした*12。近未来のアヴィニョン遷都という解釈はマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)の著書(1939年)やジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの著書(1980年)にも見られる*13
 アンドレ・ラモン(1943年)は遷都には直接触れなかったが、近未来のフランス王政復古後の状況と解釈した*14

 ヘンリー・C・ロバーツ(1949年)は大日本帝国が敗戦によって崩壊したことと解釈した*15。この解釈は日本では黒沼健(1971年)が比較的早い時期に紹介しており*16池田邦吉飛鳥昭雄らが踏襲した*17

 川尻徹(1987年)は、1990年代の日本経済が大失速し、日本中の都市がスラム化する様子と、野党が政権を奪うことが予言されているとした*18

 加治木義博(1993年)は、熊本藩の藩主の直系である細川護煕が1993年に非自民連立政権を樹立したことと解釈した*19

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは13世紀の東ローマ帝国の情勢がモデルと推測した*20。東ローマ帝国は第四次十字軍によってコンスタンティノープルを奪われ(1204年)、ラテン帝国の建国を許した。しかし、その亡命政権の一つであった小規模なニカエア帝国が勢力を伸ばし、ミカエル8世パライオロゴスのときにコンスタンティノープルを奪還し(1261年)、東ローマ帝国再興に成功したのである。

 ピーター・ラメジャラーは、14世紀後半から15世紀前半の教会大分裂がモデルと推測した*21。この時期には、アヴィニョンにも教皇庁があり、それ以降発展した。
 なお、こうした実証的な解釈と信奉者側の解釈の双方に、何の説明もなくアヴィニョンが頻出するのは、おそらくアヴィニョンを含む周辺地方の古い呼び名がコンタ・ヴネサン (Comtat Venaissin, ヴナスク伯爵領) であるためだろう。コンタ (Comtat) はコンテ (Comté) の南仏方言で、意味は同じである*22


※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

タグ:

詩百篇第1巻
最終更新:2018年07月16日 13:53

*1 大乗 [1975] p.53

*2 山根 [1988] p.48

*3 Petit discours..., p.30

*4 Garencieres [1672]

*5 Besongne [1691] p.187

*6 Torné-Chavigny [1860] p.97

*7 Ward [1891] pp.239-240

*8 Laver [1952] p.189

*9 Hutin [1978], Cheetham [1973]

*10 Hogue (1997)[1999]

*11 Le Pelletier [1867a] p.339

*12 Ruir [1938] p.117

*13 Fontbrune [1939] pp.190, 213 ; Fontbrune (1980)[1982]

*14 Lamont [1943] p.292

*15 Roberts [1949]

*16 黒沼『世界の予言』p.139

*17 池田『未来からの警告』p.31-32、飛鳥『ノストラダムス最後の警告』pp.87-88

*18 川尻『ノストラダムス暗号書の謎』pp.208-209

*19 加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』p.124

*20 Prévost [1999] p.200

*21 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]

*22 cf. 『仏和大辞典』白水社