詩百篇第1巻42番


原文

Le dix1 Kalendes2 d'Apuril3 de4 faict Gotique5
Resuscité6 encor7 par gens malins:
Le feu estainct8, assemblée9 diabolique10
Cherchant11 les or du12 d'Amant13 & Pselyn14.

異文

(1) Le dix : Les dix 1588-89 1589PV 1590SJ 1612Me 1649Ca 1650Le 1668 1672Ga, Ledix 1607PR 1610Po
(2) Kalendes 1555 1557U 1588-89 1589PV 1612Me 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1840 : Kalende 1557B 1568 1590Ro 1772Ri, kalendes 1590SJ, Calende 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1981EB, Calendes 1672Ga
(3) d'Apuril : d'auril 1981EB
(4) de : le 1557B
(5) Gotique : Gotiuqe 1612Me
(6) Resuscité : Resuscite 1716PRb
(7) encor : encore 1981EB
(8) estainct : estant 1665Ba
(9) assemblée : assembles 1612Me, assemplée 1627Di
(10) diabolique : Diabolique 1672Ga
(11) Cherchant : Cherchans 1588-89, Cerchant 1589PV 1590SJ 1610Po 1644Hu 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653AB 1668A
(12) les or du 1555 1557U 1840 : les osdu 1557B, le or du 1588-89 1612Me, les os du 1568 1589PV 1590Ro 1590SJ 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1628dR 1644Hu 1649Xa 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1716PR 1772Ri 1981EB, les os lu 1627Ma, os lu 1627Di, les Os de 1672Ga
(13) d'Amant : d'Ament 1605sn 1649Xa, D'Ament 1653AB 1665Ba, Damant 1672Ga
(14) Pselyn : Prelin 1557B, pselin 1588-89 1612Me, Plelin 1611B 1981EB, Pielin 1605sn 1628dR 1649Xa, Pferin 1653AB 1665Ba, Pfelin 1668A, Psellin 1672Ga

校訂

 1行目 de faict は le fai(c)t となっているべき。ピエール・ブランダムールが指摘し、ブリューノ・プテ=ジラールリチャード・シーバースらが踏襲している。高田勇伊藤進訳も、明らかに踏襲した形になっている。ジャン=ポール・クレベールは最初から le になっている原文を採用している。
 また、ブランダムールは、gotique を gnostique と校訂した。これについてもシーバース、高田・伊藤らが踏襲しており、ピーター・ラメジャラーもその読みを併記しているが、ロジェ・プレヴォは gotique を堅持し、プテ=ジラールはそちらを踏襲した。

 4行目は明らかに誤りが含まれている。特に les or du d'Amant の部分は語法上ありえない。or は単数なので複数名詞に付く冠詞 les をとるはずがないし、du d'Amant は英語に逐語訳すれば of the of Lover であり、支離滅裂である。
 ブランダムールはこれを les ords Adamant & Pselyn と校訂した (ords は ordures のこと)。大胆なようだが、これについてはシーバース、クレベール、ラメジャラー、高田・伊藤らがいずれもそれに沿った読みを展開しており、実質的に定説化したといってよいだろう。
 ただし、ロジェ・プレヴォはこれについて or の部分を ords ではなく us と読んでおり、プテ=ジラールがそちらを採るなど、ords の部分については、まったく異論がないわけではない。

日本語訳

四月のカレンダエの十日前、グノーシスの行為が
邪悪な人々によって今一度蘇らせられる。
火が消され、悪魔の集いが
アダマンティウスとプセロスの (叙述した) 穢らわしき物を求めつつ。

訳について

 1、4行目のいずれもピエール・ブランダムールの校訂を踏まえた。
 なお、1行目の前半は直訳すれば、高田勇伊藤進訳のように 「四月の十の朔日」*1となるが、あえて多少の意訳を交えた。 「カレンダエ (朔日) の十日前」 は、古代ローマ暦における日付の数え方(下旬の日付は翌月の朔日から遡る) に基づいているが、現代人にとってこの数え方は馴染みがないからである。古代ローマでは基準日も算入したため、4月のカレンダエの10日前は3月23日となる。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「ゴチックで数えて四月初日から十番目」*2は、もとの原文を校訂せずに訳したものとしてはおおむね正しい。
 3行目 「光が出て悪魔的な会合をし」の前半は誤訳。元になったヘンリー・C・ロバーツの英訳に出てきた put out の処理を間違えたのだろう。
 4行目 「愛する人やプセルスの骨を求めるだろう」は底本の原文を多少強引に直訳すれば、おおむねそうなる。

 山根訳について。
 1行目 「ゴチック流に数えてカレンズの四月十日が」*3は、暦法の表記が不適切だろう。基準日は四月十日ではなく四月朔日である。
 4行目 「プセルスの邪神の骨を探し求める」 は、エリカ・チータムが何も注記せずに勝手に読み替えていることによる。その読み方の元祖はアナトール・ル・ペルチエで、彼は4行目を Cherchant les os du Daemon de Psellyn*4と読み替えていた。その訳としてならば、山根訳は正しいが、現在の学識ある論者たちからは支持されなくなっている読み方である。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、冒頭をグレゴリオ暦以前の数え方での3月23日を指すとした上で、2人の著名な魔術師であるダマントとプセリン (Damant and Psellin) の骨を求める悪魔的な集会などについてとした*5。ガランシエールはその2人の魔術師については、詳しい説明を加えていない。
 なお、その解釈を引き継いだヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、最後の部分を「恋人たちとプセルス」と読んだ上で、プセルスが黒魔術に関する著述家であると説明する一方、日付を4月23日としていた*6

 ウジェーヌ・バレスト(1840年)は、ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦に関する詩と解釈した*7。もっとも、彼は2行目以降をほとんど解釈していない。

 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)は、かつて聖金曜日に行われた魔術的な儀式に関する詩と解釈した。彼はミカエル・プセロスの 『悪魔論』 が、イアンブリコスの 『エジプト人の秘儀について』 とともにマルシリオ・フィッチーノによって訳出されていたことから、それとの関連性を指摘した*8
 チャールズ・ウォード(1891年)、ジェイムズ・レイヴァー(1942年)、アンドレ・ラモン(1943年)も、基本的にはル・ペルチエの解釈を踏襲した*9
 エリカ・チータム(1973年)も類似の解釈だが、むしろ彼女はユリウス暦の4月10日が新たに4月1日になるという形で、グレゴリオ暦への改暦を見通していたというほうに力点を置いている*10
 グレゴリオ暦への改暦に力点を置くという点では、ジョン・ホーグ(1997年)も同じである。彼はこの詩が1554年頃に書かれたのに対し、改暦は1582年のことだったとし、「ノストラダムスの正体を暴くと言う者たち (the debunkers of Nostradamus) が挑戦することを避けている」 詩だと主張していた*11

 ヴライク・イオネスク(1976年)は第二次世界大戦後の共産圏におけるESP (超感覚的知覚。予知能力など) の研究を古代の魔術的な儀式と重ね合わせたものと見なし、4行目の d'Amant Pselin から Pandem (Pandémonium / 万魔堂などの略) + Stalin のアナグラムを導いた*12

 セルジュ・ユタン(1978年)は、ノストラダムス自身が参加していた魔術的な会合に関する詩としていた*13

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(2006年)は、21世紀初頭の欧米に見られる悪魔崇拝に関する詩とした*14

懐疑的な見解

 ホーグによる指摘、つまり懐疑論者が避けているという話は、明らかに事実に反する。
 すぐ下の節に見るように、エヴリット・ブライラー(1979年)が (現在では支持されない読み方とはいえ) 取り上げていたし、ピエール・ブランダムール(1996年)の優れた分析はホーグの指摘の前年に登場している。
 ブライラーらの分析では、グレゴリオ暦の予言とする論者が取りたがる「ゴチック式の(4月)1日が4月10日になる」式の読みが誤りで、正しいローマ暦の読みに基づけば3月23日を指すという点も共通している。上の節で見たように、この実証的に正しいとされる読み方は、本来17世紀の信奉者であるガランシエールも採用していた。

同時代的な視点

 エヴリット・ブライラーは、4行目を Cherchant les eaux d'adamant et selin (アダマントとスランの水を求めつつ) と読み、アダマントはプリニウスが言及していた魔術的なハーブ、スランもある種のハーブであるとし、「調剤処方、おそらくは毒物の蒸留に関する、戯れ混じりの記録」であろうとした*15

 ルイ・シュロッセ(未作成)は、プセロスの悪魔論を読んでいたことを示す詩として言及している*16

 プセロスの悪魔論との関連は、上の節にあるように、信奉者たちも19世紀以来指摘していた。しかし、それについて全く異なるアプローチをしたのが、ピエール・ブランダムールである。
 彼は、上の「校訂」の節で述べたように、アダマンティウスとプセロスを並べる読みを展開した。古代のギリシア教父オリゲネス・アダマンティウス (185年頃 - 254年頃) と東ローマ帝国の思想家・政治家ミカエル・プセロス(ミカエル・プセルロス、1018年 - 1079年?) はまったく時代の異なる人物だが、クリニトゥスの 『栄えある学識について』 では、偏見に満ちたグノーシスの儀式の描写に際し、この2人の名前が、アウグスティヌスとともに並べられているのである。

 そのクリニトゥスが描くグノーシスの儀式のうち、本項目と特に関わる箇所を少し引用しておこう。

「四月のカレンダエの十日前、すなわちイエス・キリストがユダヤ人たちに十字架に架けられた日、グノーシス派と呼ばれるその連中は、派に属する若い娘たちとともに会合を持つのが慣わしだった。それで、ある種の生贄を捧げ、すべての灯りを消すと、姉妹と、あるいは娘たちと交合し、近親者かどうかなど微塵たりとも考慮されないのである」*17

 こうした会合の目的は、9ヵ月後に生まれてくる赤子を食らうことで、尋常ならざる力が備わると信じられていたからだという*18

 詩の状況は、クリニトゥスの描写をほぼそのまま借用したものといってよいだろう。
 ただし、ブランダムールは単なるグノーシス派の描写ではなく、ノストラダムスの時代にプロテスタントに向けられていた偏見とも重なることを指摘した。その根拠として、ブランダムールはレニエ・ド・ラ・プランシュ、ブラントームらの同時代の記述を引いている*19
 高田勇伊藤進ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらはこの読み方を踏襲した*20

 ロジェ・プレヴォは4行目の校訂で us (ならわし) を導入したが、アダマンティウスやプセロスとの関連を想定する点ではあまり変わらない*21


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詩百篇第1巻
最終更新:2018年07月16日 14:29

*1 高田・伊藤 [1999] p.50

*2 大乗 [1975] p.55。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 山根 [1988] p.51。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 Le Pelletier [1867b] p.28

*5 Garencieres [1672]

*6 Roberts (1947)[1949]

*7 Barest [1840] pp.492-493

*8 Le Pelletier [1867a] pp.59-60

*9 Ward [1891] pp.83-88, Laver (1942)[1952] pp.44-45, Lamont [1943] pp.71-73

*10 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*11 Hogue (1997)[1999]

*12 Ionescu [1976] pp.759-763. 1987年版の方には載っていない。

*13 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*14 Fontbrune [2006] pp.433-434

*15 LeVert [1979]

*16 Schlosser [1985] p.202

*17 原文はラテン語。ここではBrind'Amour [1996] p.111のフランス語訳に基づいた。

*18 Brind'Amour [1996] pp.111-112. 高田・伊藤 [1999] p.51

*19 Brind'Amour [1993] pp.233-236

*20 高田・伊藤 [1999]、Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010], Sieburth [2012]

*21 Prévost [1999] p.177