詩百篇第1巻44番


原文

En brief1 seront2 de retour sacrifices3,
Contreuenants4 seront mis à martyre5 :
Plus ne6 seront moines7 abbés8 ne nouices9 :
Le miel10 sera beaucoup plus cher11 que cire12.

異文

(1) brief 1555 1588-89 1594JF : bref T.A.Eds. (sauf : breb 1627Ma, breb. 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba)
(2) seront : soront 1627Di
(3) sacrifices : Sacrifices 1672Ga, sacrifice 1716PRc
(4) Contreuenants : Contreuenant 1627Di
(5) martyre : Martyre 1672Ga
(6) Plus ne : Chassez 1594JF
(7) moines : Moynes 1589PV 1590SJ 1644Hu 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1716PR(a b), Moins 1653AB 1672Ga, moins 1665Ba
(8) abbés : abbes 1606PR 1607PR, abbé 1627Di, Abbez 1590SJ 1644Hu 1649Ca 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga, Abbés 1716PR(a b), Abbées 1716PRc
(9) ne nouices : nouices 1557B 1589PV 1594JF, Nouices 1590SJ 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668, ne Nouices 1653AB 1672Ga 1716PR, ny Nouices 1665Ba
(10) miel : Miel 1672Ga
(11) plus cher : pl'cher 1557B
(12) cire : Cire 1589PV 1590SJ 1672Ga

(注記)1594JFでは3、4、1、2行目の順に書かれている。

校訂

 ピエール・ブランダムールはne novices を novices とした。ブリューノ・プテ=ジラールは支持している。ジャン=ポール・クレベールは原文自体をそう書いている。

日本語訳

すぐに生贄たちが戻るだろう。
違反者たちは殉教させられ、
修道士も大修道院長も修練士も最早いないだろう。
蜂蜜は蜜蝋よりもずっと高価になるだろう。

訳について

 中期フランス語の bref (brief) には「すぐに」(bientôt)の意味があった*1
 大乗訳も山根訳もほとんど問題はない。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、1562年のサン=ジェルマン王令と解釈した。そのときに修道院の関係者達も駆逐され、殉教させられたとある*2。詳述されていないので分かりづらいが、これはおそらく王令のすぐ後に第一次ユグノー戦争が勃発して、多くの犠牲が出たことに関連付けているのだろう。

 テオフィル・ド・ガランシエールは、フランスのアンリ2世、イングランドのヘンリー8世の治世に成就した予言とし、ヘンリー8世の修道院解散令などと関連付けた*3


 アナトール・ル・ペルチエは、フランス革命期の非キリスト教化運動の一環で、1793年11月10日にパリのノートルダム大聖堂でも理性の祭典が挙行され、カトリックが迫害されたことと関連付けた。4行目は教会内で蝋燭を灯すのに使われていた蜜蝋の価値が、蜂蜜に比べて大幅に下落してしまったことを指すという*4
 この解釈はチャールズ・ウォードジェイムズ・レイヴァーエリカ・チータムセルジュ・ユタンクルト・アルガイヤー*5らも踏襲した。

 アンドレ・ラモンは、1930年代後半以降、ナチスによる迫害などでキリスト教が厳しい立場に立たされていることの予言とした*6。詳述されていないが、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)も1937年頃と位置付けていた*7

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、未来に起こるキリスト教迫害と解釈した*8

同時代的な視点

 エヴリット・ブライラーは、ヘンリー8世の修道院解散令がモデルになっているとした*9。このときには修道院の閉鎖と財産没収、修道士の追放、抵抗する修道士の処刑などが強行された*10

 ルイ・シュロッセ(未作成)は前半2行のみ解釈し、ミシェル・セルヴェの火刑(1553年)が投影されているとした*11

 ピエール・ブランダムールは異教の回帰の予言としか注記していない*12

 ロジェ・プレヴォは、アンリ2世が火刑法廷を設置したあとに宗教対立が激化したことと関連付け、その結果修道院が空になり、巡礼において人々は蜜蝋よりもワインや蜂蜜水に金を使うようになったことを描写しているとした*13。この解釈は非常に簡略にしか書かれておらず、具体的な状況がつかみづらい。

 ピーター・ラメジャラーは、『ミラビリス・リベル』に予言された聖職者の受難が投影されているとした*14


※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

タグ:

詩百篇第1巻
最終更新:2018年07月22日 15:56

*1 DMF

*2 Chavigny [1594] p.102

*3 Garencieres [1672]

*4 Le Pelletier [1867a] p.194

*5 Ward [1891] p.276, Cheetham [1973], Hutin [1978], Allgeier [1989], レイヴァー [1999] pp.227-228

*6 Lamont [1943] p.168

*7 Fontbrune [1939] p.130

*8 Fontbrune [1980/1982]

*9 LeVert [1979]

*10 テュヒレほか『キリスト教史5』平凡社ライブラリー、pp.170-172

*11 Schlosser [1986] p.210

*12 Brind’Amour [1996]

*13 Prevost [1999] p.190

*14 Lemesurier [2003b]