原文
Au port
1 Selin2 le tyran
3 mis à mort
4
La liberté non pourtant recouurée:
Le
5 nouueau
6 Mars par
vindicte7 &
remort8:
Dame par force
9 de frayeur
10 honorée.
異文
(1) port : Port 1672Ga
(2) Selin : selin 1588Rf 1589Rg 1612Me, Selim HCR
(3) tyran : ryran 1590Ro, Tyran 1649Xa, Tyrant 1672Ga
(4) à mort : a mort 1589Me 1612Me, a Mort 1672Ga
(5) Le : le 1649Xa
(6) nouueau : nouueu 1627Di
(7) vindicte : vidicte 1627Ma 1627Di, vindict 1649Xa 1672Ga
(8) & remort : remort 1557B
(9) force : focre 1649Ca 1650Le
(10) de frayeur : defrayeur 1650Ri
(注記1)1611Abは該当ページが脱漏。
日本語訳
スランの港で暴君が殺される。
しかし自由は回復されない。
新たな
マルスが復讐と遺恨によって。
婦人は恐怖のせいで軍隊に敬われる。
訳について
3行目は直訳した。動詞が明らかに不足しているので、状況がよく分からない。ブランダムールの釈義では「軍の新しい指導者は復讐と遺恨によって振舞うだろう」となっている。
ピーター・ラメジャラーのように、マルスを戦争の意味にとり、(2行目の自由が回復されないのは)「復讐と遺恨によって新しい戦争が始まるから」という意味に理解する論者もいる。
4行目は「婦人は恐怖の力により敬われる」「婦人は多くの恐怖によって敬われる」とも訳せる。中期フランス語には現代の à force de (多くの~のおかげで)を意味した par force de という成句があった。ただし、前半律(最初の4音節)が par force までなので、par force と de frayeur を分ける方が妥当ではないかと思われる。
ピエール・ブランダムールの釈義はそうなっており("par force, à cause de la peur" )、ここではそれに従った。
ただし、ふだんは前半律と後半律の区切りを大事にしている
エヴリット・ブライラーは、ここではあえて「恐怖の力により」(by force of fear)と訳している。
ピーター・ラメジャラーも似た様なものである。
リチャード・シーバースは honored out of fear & force と並列的に訳している。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1 行目 「港で圧制者セリムは死ぬだろう」は、前述のように、構文理解上は成立する。
後半「復しゅうと後悔で新しい軍神は/婦人に恐れの力で尊敬されるだろう」は、一般的ではない。前述の論者はいずれも(3行目の読みに違いはあるが)4行目のみを独立したものと理解している。分詞の語尾 (女性名詞に対応する受動態) からしても、「敬われる」の主体を dame ととるのが自然である。分詞の語尾が直前の frayeur に引き摺られたものと理解したうえで、dame に前置詞を補えば、一応、大乗訳のように訳せないこともない。
山根訳について。
3行目 「あらたな戦争が悔恨と復讐から生まれる」は、上述のように、そのように言葉を補う論者はいる。
この詩については
五島勉も『
ノストラダムスの大予言・中東編』で訳しているので検討しておこう。
3行目「復讐と再度の死によって新しいマルスがはじまる」は、最後の部分が意訳の範囲だとしても、「再度の死」が強引すぎる。
remort が現代語の辞書にないことから、re(再)-mort(死) と理解したのだろう。
4行目「栄光の恐ろしい力によるダーム」は、honorée が frayeur に係っていると判断したのだろう。一応、そう訳せないこともないが、主要な論者でこうした訳は見られない。
ちなみに五島は、mis à mort について、「殺される」以外に「死を発射する」という意味もあると主張したが、もちろんそんな意味はない。mis はmettre (置く、作動させる等)の過去分詞もしくは1・2人称単純過去形であり、この文脈で能動態に理解することがまず出来ない。また、mettre は他動詞なので「死を」という意味なら前置詞 à が付くはずがない。
信奉者側の見解
マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)もガランシエールと同じく、スランの港をコンスタンティノープルと解釈し、未来の同港で暴君が殺される予言と解釈した。
息子の
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は、スランの港はムスリム(イスラーム信徒)の港を指すという形で、父親よりも特定性を低めた。他方で、父親が君主政の比喩としか解釈していなかった「婦人」については、フランスの第五共和政のことと限定した。彼はムスリムの港で暴君が殺されることと、近未来にフランスの第五共和政が崩壊することと解釈した。晩年の著書では、後半の解釈を後退させ、どこかの政府の女性に関するものと解釈しなおした。
ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、オスマン帝国皇帝のセリム2世とレパントの海戦に関する予言と解釈していたが、子供たちの改訂版では、フォークランド紛争に勝利したイギリスの宰相マーガレット・サッチャーに関する予言とする解釈に差し替えられた。
レパントの海戦とする当初の解釈は、
エリカ・チータム(1973年)によって踏襲された。
ジョン・ホーグ(1997年)は、先行する解釈をいくつか紹介した上で、別の可能性として、青年トルコ革命(1908年)とする解釈を提示した。
日本では、湾岸危機から湾岸戦争へと至る時期(1990年 - 1991年)に、イラクのサダム・フセインの死を予言している可能性もある詩篇として、
五島勉『
ノストラダムスの大予言・中東編』や
加治木義博『
真説ノストラダムスの大予言』で採り上げられた。上述のように、五島は「死を発射する」という強引な可能性を示すことで、予防線を張っていた。一方、加治木は「サダムの死」と明言していた。彼らは共通して、続刊の中では一切触れていない。
同時代的な視点
エドガー・レオニは、スランの港をジェノヴァと見なし、そこの提督アンドレーア・ドリア(当初
フランソワ1世側についていたが、のちに神聖ローマ帝国カール5世側に寝返った)が殺されることを期待したが、外れた予言だろうと解釈した。
ピーター・ラメジャラーは、古代
シチリア島のセリヌスの港とみなし、紀元前409年のカルタゴのシチリア侵攻がモデルになっていると判断した。その出来事について記述されているディオドルス・シクルスの『ビブリオテカ・ヒストリカ』は1515年に翻訳版が出版されていたという。
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最終更新:2018年11月05日 00:24