詩百篇第8巻28番


原文

Les simulachres1 d'or & d'argent enflez2,
Qu'apres le rapt au lac3 furent4 gettez5
Au descouuert estaincts6 tous &7 troublez8.
Au marbre9 escript10 prescripz11 intergetez12.

異文

(1) simulachres/simulacres : simulactes 1627Di, Simulachres 1672Ga
(2) enflez : en fles 1568X, enflés 1590Ro, enfles 1653AB 1665Ba 1720To
(3) au lac : au feu 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Mo 1667Wi 1981EB 1716PR, lac au feu 1605sn 1628dR 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668, Lac au feu 1672Ga
(4) furent : feirent 1568X 1653AB 1665Ba 1720To, feireur 1590Ro
(5) gettez 1568 : iettez T.A.Eds.
(6) estaincts : estainct 1568X 1590Ro, estaint 1653AB 1665Ba 1720To
(7) tous & : et tous 1981EB
(8) troublez : troubles 1568X 1590Ro 1653AB 1665Ba 1720To
(9) marbre : Marbre 1672Ga
(10) escript 1568X 1568A 1568C 1590Ro 1653AB 1840 : escripts / escrits T.A.Eds.(sauf : escriptz 1568B, escrit 1665Ba, écrit 1720To)
(11) prescripz/prescrip(t)s : perscrits 1605sn 1611 1628dR 1649Ca 1649Xa 1650Le 1665Ba 1720To 1981EB
(12) intergetez : interiettez 1605sn 1611 1628dR 1649Ca 1649Xa 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga 1716PRc 1981EB

日本語訳

金と銀で膨んだ偶像が、
盗まれた後で湖に投げ込まれたのだ。
発見されると、全てがくすみ、濁っていた。
大理石の碑文には規定が挿入されている。

訳について

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳1行目「偶像は金銀で彫られ」*1は、enfler(「膨らませる」。文脈に少々似合いな意味にも見えるが、実証的な論者たちからも異論はない)に「彫る」という意味がないので不適切。
 同2行目「かどわかして湖や火の中に投げ入れられ」の「かどわかす」は、偶像の盗難の表現として不適切。後半は採用した原文の違いによるものだが、正統性を欠く異文。
 同3行目「火をだしたあとで発見され」はロバーツの英訳 Being discovered after the putting out of the fire*2 を踏まえたものだろうが、それならば「火を消した後で」となるべきだろう。estainct を「火を消す」と訳すことは可能だが、troublés が訳されていない。

 山根訳「金銀の模造品がのさばる / 盗んでから湖に投げ棄てられる / すべて借金により浪費され 値打ちがなくなるのがわかったので / 書き付け 証文のたぐいは根こそぎ消し去られよう」*3の2行目以外はかなり無理のある訳。
 この訳のもとになったエリカ・チータムの訳については、リチャード・スモーレー(未作成)も4行目の訳に対し「どうやったらそう読めるのか理解に苦しむ」と苦言を呈している*4

 なお、3行目についてはピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールの読みに従うなら、「発見されると、皆が驚き、困惑した」とも読める(ラメジャラーは estaincts を疑問符つきながら étonnés と読み換えている)。

信奉者側の見解

 上に引用した山根訳のような訳し方に基づいて、「金銀の模造品」を紙幣と解釈し、紙幣の登場だけでなく20世紀のインフレまでも予言したと解釈される*5
 20世紀のインフレだけでなく、フランス革命期のアッシニア紙幣の濫発と結び付けたり*6、近未来の貨幣経済の崩壊に結び付けたりする者もいた*7

 また、金銀の模造品や4行目の大理石は、クレジットカードを描いたものだと解釈するものもいた*8

同時代的な視点

 紙幣やインフレとする解釈については、スモーレーが「あやしげな翻訳に支えられた」ものだと指摘しているように*9、文脈に照らした場合の説得力に乏しい。

 ピーター・ラメジャラーは、1557年6月のガルドン川大洪水の後、ニームのディアナ神殿の遺跡で露わになった出土品の描写と捉えている。それらはキリスト教伝道に伴って湖に棄てられた異教の品々であったという*10
 スモーレーもこの解釈を支持している。

 エドガー・レオニジャン=ポール・クレベールは、続く29番30番などとともに、トゥールーズの財宝の話と結び付けている。
 この財宝は、デルポイから奪われたともされるもので、テクトサギ族が呪いを避ける為にトゥールーズの湖に棄てていたものだともされる。これらの財宝は紀元前106年に執政官カエピオが発見した後、行方不明になり、カエピオの着服が疑われた*11

 いずれにしても原文で唯一明示されている時制は2行目 furent に見られる直説法単純過去であり、過去の歴史的事件の描写が土台となっていることは疑いようがない。


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詩百篇第8巻
最終更新:2020年05月26日 01:32

*1 大乗 [1975] p.237

*2 Roberts [1949] p.251

*3 山根 [1988] p.260

*4 Smoley [2006] p.194

*5 Cheetham [1990]

*6 Hutin [2002]

*7 Fontbrune [1980/1982]

*8 加治木義博『ノストラダムスの大予言・日本篇』p.120

*9 Smoley [2006] p.193

*10 Lemesurier [2003b]

*11 高田・伊藤 [1999] pp.39-40