詩百篇第12巻24番


原文

Le grand secours venu de la Guienne1,
S'arrestera2 tout aupres de Poitiers.
Lyon3 rendu par Montluel4 & Vienne5,
Et saccagez par tout6 gens de mestiers7.

異文

(1) Guienne / Guyenne : Guenne HCR
(2) S'arrestera : Sarrestera 1650Ri 1653AB
(3) Lyon : Lion 1672Ga
(4) Montluel : Mont Luel 1605sn 1627Ma 1627Di 1649Xa 1665Ba 1691AB 1698L 1780MN, Mont-Luel 1611A 1628dR 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653AB 1667Wi 1668 1689PA 1689Ma 1689Ou 1689Be 1697Vi 1720To, mont Luel 1611B, Mont-luel 1644Hu
(5) & Vienne : en Vienne 1672Ga
(6) tout : tous 1667Wi 1672Ga
(7) mestiers : metiers 1611B 1689PA, Métiers 1627Ma, Metiers 1627Di, Mestiers 1644Hu 1650Ri 1672Ga, mestier 1653AB 1665Ba 1698L, mêtier 1697Vi 1720To

日本語訳

ギュイエンヌから来た大いなる救援は、
ポワチエのすぐそばに駐留するだろう。
リヨンはモンリュエルとヴィエンヌにより引き渡され、
そして職人たちは至るところで略奪される。

訳について

 4行目。gens de mestier は中期フランス語の成句で「職人、職工」(artisans, ouvriers)の意味*1。par tout はエドガー・レオニに従い、「至るところで」(partout)と読んでいる。テオフィル・ド・ガランシエールは tout を直後に掛からせて「あらゆる種類の職人たちによって略奪される」と読んでいる。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「ガスコーニュからの大きな助けが」*2は、ヘンリー・C・ロバーツの英訳をほぼそのまま訳したものだし、遡ればテオフィル・ド・ガランシエールの英訳も同じ。ガスコーニュとギュイエンヌが指し示す範囲は時代によって異なり、重なり合う部分もある。この場合は同一視されているのだろうが、あえて置き換えることの妥当性は疑問(詩百篇集には、ギュイエンヌとは別にガスコーニュへの言及も複数ある)。
 2行目「ポワテイエでとつじょとまり」はロバーツの英訳をそのまま訳したものだが、不適切。tout auprès は「すぐ近く」の意味で、これは現代語の辞典でも確認できる。ガランシエールも hard (いろいろな意味があるが「すぐ近く」の意味もある)と訳していたにもかかわらず、ロバーツがこれを suddenly に改変した理由はよくわからない。
 3行目「リヨンがモントルエルとビエンナをめぐり」は、rendu >rendre にいろいろな意味があるのは事実だが、「めぐり」が妥当かには疑問を感じる。
 4行目「あらゆる種類の職人によって 残りくまなくさがすだろう」は微妙。前半の読み方は上述の通り。後半は、ロバーツの英訳で ransack が使われていたことによるのだろうが、原文の saccager は「荒らす、略奪する」の意味であって、「残りくまなくさがす」では意味合いがずれてしまう。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、1562年と1569年の宗教対立と関連づけた*3。ギュイエンヌ地方(中心都市はボルドー)からのプロテスタント領主の軍勢が、ドイツからの援軍とともにいくつかの都市を攻略したことや、リヨンでも宗教対立から聖堂や集会堂が掠奪の憂き目に遭ったことがあったようである。

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は「この詩の単語と意味は平易である」としか述べていなかった*4

 1689年ルーアン版『予言集』に掲載された「当代の一知識人」の解釈では、1652年と1653年のギュイエンヌ地方の騒擾と解釈した*5

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は「抑圧されたフランスのための救援は遅れるだろう。一方、ドイツの実業家たちは、国の経済生活の中でしっかり身を固めるだろう」という漠然とした解釈しか載っていなかった*6。その日本語版では「第二次世界大戦」と補足されているが、未来形で書かれていたことからすると、むしろ戦後復興を念頭に置いていたのではないだろうか。

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は、近未来に起こると想定していた第三次世界大戦の情景と解釈していた*7

 ジョン・ホーグ(1997年)は、第二次世界大戦後期の情勢などと結びつく可能性を挙げていた*8

同時代的な視点

 エドガー・レオニが指摘するように、描かれている地名がかなり広範囲である。前半2行と後半2行は独立していると見るべきだろうか。

 漠然としすぎていてモデルとなった史実の特定は困難だが、あるいはシャヴィニーの解釈が的を射ているのかもしれない。その場合は死後に偽造された事後予言である可能性も想定すべきだろう。


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詩百篇第12巻
最終更新:2018年11月12日 00:07

*1 DMF

*2 大乗 [1975] p.311。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Chavigny [1594] pp.104,186

*4 Garencieres [1672]

*5 Besongne [1689] p.208

*6 Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1994]

*7 Fontbrune (1980)[1982]

*8 Hogue (1997)[1999]