詩百篇第12巻55番


原文

Tristes1 conseils2, desloyaux, cauteleux3,
Aduis meschant4. la loy5 sera trahie.
Le peuple esmeu, farouche, querelleux:
Tant bourg6 que ville7 toute la paix haie8.

異文

(1) Tristes : Triste 1697Vi 1720To
(2) conseils : Conseils 1672Ga 1689PA 1689Ma, consiels HCR
(3) cauteleux : cautelenx 1605sn, caoteleux 1649Ca
(4) meschant : meschans 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1780MN, mêchans 1697Vi 1720To
(5) loy 1594JF 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1672Ga 1697Vi 1698L 1720To 1780MN : Loy T.A.Eds.
(6) bourg : Bourg 1627Ma 1627Di 1653AB 1665Ba 1672Ga 1689PA 1689Ma 1689Ou 1697Vi 1698L 1720To
(7) ville : Ville 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1672Ga 1689PA 1689Ma 1689Ou 1697Vi 1698L 1720To
(8) haie / haye : hahye 1627Di, haïe 1628dR 1649Xa 1668

(注記)HCRはヘンリー・C・ロバーツの異文。

校訂

 4行目 haie はhaïr の過去分詞haï の女性形なので、現代語ならば haïe と綴るべき。haïr はDMF に haïr と hayr の2通りの綴りでしか出ていないが、haie も綴りの揺れとして許容されるのではないかと思われる。

日本語訳

陰鬱な議会は不誠実にして奸智に長ける。
助言は悪意を含み、法は裏切られるだろう。
扇動された人々は粗暴にして喧嘩早い。
都市でも町でも、平和そのものが嫌悪される。

訳について

 3行目 querelleux は中期フランス語で「ケンカを売るのを好む」(qui se plaît à chercher querelle)を意味する形容詞*1
 4行目 bourg は villeよりも小さな町。DMFでも「大きな村(gros village)または小さな都市(petite ville)」とある。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「悲しい忠告 不信と悪」*2の前半は問題ない(conseil には議会、忠告いずれの意味もある)。後半は形容詞なので、前半に係っていると見るべきではないだろうか。
 3行目「人々は動かされ 残忍な騒動が」は、querelleux の意味からすると、前半と切り離して「騒動」と訳すことに疑問がある。
 4行目「いなかでも都市でも その場所はひどくきらわれる」は、ヘンリー・C・ロバーツの英訳 ~ the place shall de hated *3 の直訳だが、これは明らかに、テオフィル・ド・ガランシエールの英訳 ~ the peace shall be hated*4の写し間違いだろう。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、1588年5月のいわゆる「バリケードの日」(カトリック同盟を中心とするパリ市民が蜂起し、パリをバリケードで封鎖した)の予言と解釈した*5。ドゥドゥセ(1790年)もその解釈を踏襲した*6

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は「この詩は平易だ」としかコメントしていなかった*7

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、悪法や悪政とその結果の描写とする漠然とした解釈しかつけていなかった*8。孫のロバート・ローレンスの改訂(1994年)では、ロサンゼルス暴動(1992年)とする解釈が追加された*9

 ジョン・ホーグ(1997年)は議会(conseil)をロシア語訳すれば「ソヴィエト」になることから、「法」は第3巻95番に出てきた「モール人の法」(=信奉者の解釈では共産主義思想の意味)を表すとする。このことから、彼はソ連の悪政とその崩壊が予言されていたと見る*10

同時代的な視点

 宗教戦争期の対立を一般的に描いているようにも見えるが、詩の内容は一般的に過ぎてモデルの特定は難しい。

 エドガー・レオニは、この詩のスタイルは詩百篇より予兆詩と指摘した*11。そのため、本物だったとしても、暦書用に書かれていた試作だった可能性がある。もちろん、他の第11巻、第12巻の詩と同様、シャヴィニーによる偽作の可能性も排除されるべきではない。

その他

 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720Toでは、この詩の番号が第12巻60番となっている。
 1672Gaでは52, 55, 56, 59, 62番が、なぜか4, 5, 6, 7, 8番という、不適切な通し番号が振られている。これは1685年版でも直っていない。


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詩百篇第12巻
最終更新:2018年11月15日 02:16

*1 DMF p.518

*2 大乗 [1975] p.312。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Roberts [1949] p.348

*4 Garencieres [1672] p.449

*5 Chavigny [1594] p.248

*6 D’Oudoucet [1790] p.29

*7 Garencieres [1672]

*8 Roberts (1947)[1949]

*9 Roberts (1947)[1994]

*10 Hogue [1997]

*11 Leoni [1982]