詩百篇第12巻65番


原文

A tenir fort par fureur contraindra.
Tout cueur1 trembler. Langon2 aduent terrible.
Le coup de pied mille pieds se3 rendra.
Gyrond.4 Garon.5 ne furent plus horribles.

異文

(1) cueur 1594JF : cœur T.A.Eds.
(2) Langon : Languon 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB
(3) se : te 1672Ga
(4) Gyrond(.): Guirond. 1605sn 1628dR 1649Xa 1667Wi 1668P 1689Ou 1689Be 1691AB, Guirond, 1689PA 1689Ma, Gyroud, 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To
(5) Garon(.): Guaron(,) 1605sn 1628dR 1649Xa 1667Wi 1668P 1689PA 1689Ma 1689Ou 1689Be 1691AB, Garond(.) 1611A 1611B 1627Ma, Garoud 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To 1780MN


日本語訳

猛威により、強固に守ることを強いるだろう。
どんな心も震える、ランゴンでの過酷な出来事に。
一発の蹴りが千発の蹴りになるだろう。
ジロンドとガロンヌがこれ以上に酷かったことはない。

訳について

 1行目について。エドガー・レオニのように「激昂して砦を維持することを強いるだろう」といった訳も可能だが、ここではジャン=エメ・ド・シャヴィニーの読み方(解釈)に従った。「戦争が人々に」といった言葉が略されているのだとしたら、受動態で訳すのもひとつかもしれない。
 2行目後半は「ランゴン、過酷な出来事」だが、適宜言葉を補った。
 3行目の直訳は、「足の一撃が千の足になるだろう」だが、エドガー・レオニの英訳も踏まえて意訳した。
 4行目。普通ならば ne…plus は「もはや~ない」を意味する成句だが、動詞が直説法単純過去であることから文脈には沿わないので、過去の時点においてplus horribles「より一層ひどい」が否定されていると見なして、上のように訳した。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「彼は怒ってかれらを外にだし」*1は不適切。ロバーツの英訳 He shall by fury compel them to hold out*2を誤訳したと考えられる(hold out を get out などと混同したか)。
 2行目「あらゆる熱がふるえ ランゴンで恐ろしいできごとが」は、ロバーツの英訳 Every heart shall tremble の heart を heat と誤読したものか。なお、後半は間違っていないが、その語註でランゴンをランゴバルドと結びつけているのは不適切だろう。
 3行目「反動がたくさんの反動となって帰り」は、英訳 kick に「反動」の意味があることを踏まえたものだろうが、原文が「足」pied を強調していることからすると訳しすぎのように思える。なお、ロバーツの英訳は The kick shall return to thee a thousand kicks(蹴りが汝に千の蹴りを返すだろう)となっている。この訳はテオフィル・ド・ガランシエールの訳の丸写しだが、ガランシエールの場合、フランス語原文を te rendra としていたから筋は通っている。原文を se rendra に直しているロバーツが訳の方を直していないことは、彼のフランス語力を推し量る上で興味深い。
 4行目「ジロンドとガロンヌ川はもはや恐れなく」は、上述の通り、動詞が直説法単純過去であるのに、その意味合いが読み取れない。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、この詩を1570年の項に位置付け、宗教戦争の一場面と捉えた。彼は1行目に省略されている主語を「戦争」と見なし、1行目は戦争によってそれぞれの都市が守りを固めなければならなくなったことを表していると解釈した。
 ランゴンはボルドーに近い町で、プロテスタントとカトリックが町の主導権を巡って争いあっていた。2行目後半と3行目はそれを表しているとする(シャヴィニーはここで予兆詩とも関連付けている)*3
 ジョン・ホーグ(1997年)も、1568年から1570年における宗教戦争の様子と解釈しているが、シャヴィニーの解釈を知らなかったホーグは、ランゴンについては解釈に結び付けられる史実を見つけられなかったと述べている*4

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、漠然とした情況説明を述べるのみで、具体的な事件とは関連づけてなかった。

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は、(発表した時点で未来に起きると想定していた)第三次世界大戦において、フランス南西部が侵略される予言と解釈していた*5

同時代的な視点

 実証的な論者や懐疑的な論者による注記はほとんどなく、注記しているレオニにしても、言及されている地名の位置関係などを簡潔に述べているに過ぎない。

 ユグノー戦争期とするシャヴィニーの解釈で特段の問題はないように思えるが、それゆえ事後予言の可能性も視野に入れられるべきであろう。

その他

 1644Hu 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To では詩番号が63番になっている。


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最終更新:2018年11月19日 00:39

*1 大乗 [1975] p.313. 以下、この詩の引用は同じページ

*2 Roberts [1949] p.350. 以下、この詩の引用は同じページ

*3 Chavigny [1594] p.192

*4 Hogue (1997)[1999] p.848

*5 Fontbrune (1980)[1982]