詩百篇第10巻4番


原文

Sus1 la minuict2 conducteur3 de l'armee4
Se sauluera5, subit6 esuanouy7,
Sept ans8 apres9 la10 fame11 non blasmee,
A son retour ne dira oncq12 ouy.

異文

(1) Sus : Sur 1568C 1572Cr 1590Ro 1672Ga 1715DD 1772Ri 1840
(2) minuict : menuict 1650Mo
(3) conducteur : Conducteur 1715DD
(4) l'armee : l’armèe 1650Mo, l'Armée 1672Ga, L’armée 1715DD
(5) sauluera 1568X 1568A 1568B : sauuera T.A.Eds.
(6) subit : soudam 1572Cr
(7) esuanouy : esuanoy 1568X, esvanoüy 1667Wi 1668P 1716PR(a b)
(8) sept ans : sept 1650Mo
(9) apres : pres 1665Ba
(10) la : sa 1715DD
(11) fame : femme 1610Po 1611B 1653AB 1981EB 1665Ba 1720To 1840
(12) oncq : onc 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1716PR, donc 1665Ba 1720To, onq 1840

(注記)1715DDのみ4行目に特異な異文を含む。
  • ne dira oncq ouy : ne dira-t-on qu’ouy 1715DD

日本語訳

真夜中に軍の指揮官が
突然に姿をくらまし逃げ出すだろう。
その名声が批判されることなく七年を経て、
彼は帰還すると、耳にしたことを決して語らないだろう。

訳について

 4行目の ouy は肯定の返事「はい」(oui)の意味に理解されることがしばしばだが、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールは「聞く」の過去分詞 ouï と理解している。当「大事典」でもその読み方に従った。
 エヴリット・ブライラーは ouy を諾意の意味に理解して、「(しかし)彼は戻ることに同意しないだろう」と訳している。これはこれで文脈には適合する。

 大乗訳は3行目まで問題はないが、4行目「もどってくるが けっして『はい』といわないだろう」*1が、上に挙げた理由によって不適切の可能性がある。
 山根訳も3行目まで問題ないが、4行目「彼の帰国を迎える 承諾(ウイ)の声は数かぎりなし」*2は明らかに誤訳。チータムは onc を英語の once に引きつけて英訳したようだが、ne...onc は「決して~ない」を意味する*3。なお、英語圏では原文そのものを改訂し「人々は『はい』しか言わないだろう」とする読み方が存在する(この点は後述)。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は詩の情景を敷衍したような読み方しか示していなかった。

 チャールズ・ウォード(1891年)は、ピューリタン革命後に亡命し、後に国王になったチャールズ2世に関する詩とした。ウォードはチャールズが惨敗したウースターの戦い(1651年9月3日)からクロムウェルの死(1658年9月3日)までがちょうど7年だったことを示している。
 なお、こうした解釈の嚆矢はD.D.(1715年)であり、彼は上記のように、4行目を ...ne dira t-on qu'ouy (人々は「はい」しか言わないだろう)と読み替えた。ウォードはこれを踏襲し、王政復古が皆の賛同を得たことを意味していると解釈した*4
 この解釈はロルフ・ボズウェル(1943年)、アンドレ・ラモン(1943年)、エリカ・チータム(1990年)も支持している *5。ボズウェルに至っては、原文自体を上で示したD.D.のものに書き換えてしまっている。

 ヘンリー・C・ロバーツ(1949年)はアドルフ・ヒトラーが地下室で自殺したのは偽りで、7年後に戻ってくることになる予言と解釈した*6。後には黒沼健のように、この解釈をピーター・フルコスの超能力と関連付けて紹介する者も現れた。
 黒沼は、フルコスが1952年にスペインの列車の中で修道士に扮したヒトラーに遭遇したと主張していたことと、この詩を結び付けて何度か紹介した*7
 ロバーツの解釈については、のちの娘婿夫妻の改訂版でマッカーサー元帥の予言とし、コレヒドールからの退却(1942年)や1948年大統領選への出馬意欲などと関連付ける解釈に差し替えられた*8

 バルタザール・ギノー(1712年)、テオドール・ブーイ(1804年)、ウジェーヌ・バレスト(1840年)、アナトール・ル・ペルチエ(1867年)、エリゼ・デュ・ヴィニョワ(未作成)(1910年)、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1939年)といったフランス語圏の解釈者たちはこの詩に触れていなかった。
セルジュ・ユタンは「1792年のデュムーリエ将軍の裏切り」とだけ簡潔に注記している*9

懐疑的な見解

 この解釈に即した形ではないが、ピーター・フルコスの透視力については懐疑的な見方が存在している。フルコスの優れた能力の証明とされる数々のエピソードには、完全な虚偽や誇張が多く含まれているという*10
 そのような人物の証言は真実性に疑問があると見るべきで、それに立脚した解釈にも同様に疑問が寄せられるべきだろう。

同時代的な視点

 詩の情景は読んだままで、軍の指揮官が何らかの事情で夜逃げするものの、その理由が理解できるものだったのか、誰からも責められずに七年後に復帰できるという話だろう。あるいはブライラーの読み方に従えば、指揮官は誰からも責められずに七年後に復帰できる機会を得ながら、自らそれを固辞するという話なのかもしれない。
 いずれにしても、エヴリット・ブライラーピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールらはモデルの特定に至っていない。


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最終更新:2018年11月28日 01:11

*1 大乗 [1975] p.285

*2 山根 [1988] p.316

*3 DMF

*4 Ward [1891] pp.210-211

*5 Boswell [1943] p.87, Lamont [1943] p.116, Cheetham [1990]

*6 Roberts [1949]

*7 黒沼『世界の予言』pp.147-152 etc.

*8 Roberts [1994]

*9 Hutin [1978] p.253

*10 皆神龍太郎「ピーター・フルコスは透視能力で難事件を解決した!?」(『新・トンデモ超常現象56の真相』太田出版)