Par Nebro ouurir1 de Brisanne2 passage,
Bien eslongnez3 el tago fara4 muestra5,
Dans Pelligouxe6 sera commis l'outrage7
De la grand dame8 assise sur l'orchestra9.
2行目の後半律は珍しくスペイン語の短文である。el Tago は現代式には el Tajo でタホ川 (当「大事典」ではポルトガル名のテージョ川で基本的に統一しているが、スペイン語つづりであることからこの詩の訳では「タホ川」とする)を指すことに異論はない。問題は残りで、エドガー・レオニは「証明する」(make a demonstration)、ピーター・ラメジャラーは「(テージョ川の)灯台が照らす」(shall the Tagus lighthouse show)、リチャード・シーバースは「誇示する」(make a show)、ジャン=ポール・クレベールは「氾濫する」(débordera) でめいめい異なっている(*1)。
彼らは詳しい語注を施していないが、少なくとも手許のスペイン語辞典に fara はない。faro ならば「灯台」の意味である。動詞としては fardar (自慢する、誇示する)の直説法三人称未来形 fardara の語中音消失と解釈できるかもしれない。
他方、muestra は動詞としては mostrar (見せる、表す)の三人称単数現在形、名詞ならば「手本、証明」などの意味である。
以上を踏まえると、レオニ、ラメジャラー、シーバースの訳は何となく根拠が推察できるが、クレベールの訳はよく分からない。この点、スペイン語に詳しい方のご助言をいただければ幸いである。
以上のように、スペイン語と解釈するのが一般的だが、プロヴァンス語と解釈したのがマリニー・ローズである。彼女は fara はプロヴァンス語動詞 far の活用形で、フランス語の fera (英語の will do ないし will make) だとし、muestra はプロヴァンス語の mouestre (怪物) から来たと解釈した(*2)。これを踏まえれば、「テージョ川が怪物を生み出すだろう」 という意味になる。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
2行目 「道はとじ その時をしるす」(*4)は根拠がまったく不明である。なお、元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳では、後半がまったく訳されていない。これをスペイン語以外で訳出しようとして、Tago (現代スペイン語の Tajo) をドイツ語 Tag (日) に結び付けるなどしたのではないだろうか。
4行目 「オーケストラにすわっている婦人に」は grand が訳に反映されていない。当「大事典」では貴族を意味すると判断し、「貴婦人」と訳出している。
山根訳について。
1行目 「エブロを通じてブリザンヌへの道がひらかれよう」(*5)は、後述するように、可能な読みの候補。
2行目 「遠くではタゴ川が脅威を示すだろう」 は、まず「タゴ川」をタホとテージョのいずれか、もしくはラテン語名の「タグス川」にすべきだろう。後半は元になったはずのエリカ・チータムの英訳でも make a demonstration が使われている。デモは確かに「示威行動」とも言うが、「脅威を示す」は訳しすぎではないだろうか。