詩百篇第10巻33番


原文

La faction cruelle à1 robbe2 longue,
Viendra3 cacher souz les4 pointus poignars5
Saisir6 Florence le duc7 & lieu8 diphlongue9
Sa descouuerte par immeurs10 & flangnards11.

(1) à : a 1568X 1650Mo 1672Ga
(2) robbe : Robe 1672Ga
(3) Viendra : Tiendra 1667Wi 1668P
(4) les : ses 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To 1840
(5) poignars : pognards 1627Ma 1627Di, Poignards 1672Ga
(6) Saisir : Sa sir 1611A
(7) duc : Duc 1568C 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Mo 1653AB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1716PR 1720To 1772Ri
(8) lieu : le 1672Ga
(9) diphlongue : dipholongue 1590Ro, diphlonque 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1644Hu, diphlongne 1650Mo, Diphlongue 1672Ga
(10) immeurs : immurs 1568C 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Mo 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To 1840, Immeurs 1672Ga
(11) flangnards : flaugnards 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1772Ri, Flagnards 1672Ga

校訂

 3行目 diphlongue は後の版にあるように、おそらく diphtongue の誤記。ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースはいずれもその読みを示している。エドガー・レオニは後述するように、diphtongue の誤記の可能性以外に、diphlongue がギリシア語由来である可能性も示している。
 4行目 flangnards も、後の異文にあるように flaugnards の誤りの可能性がある(レオニは flaugnards を採用し、ラメジャラーの英訳もそれに沿っている)。

日本語訳

長い衣の残忍な扇動者集団が、
(その衣の)下に鋭い短刀を隠すことになるだろう。
公爵がフィレンツェと二重母音の場所を占拠するだろう。
その発見は未熟な者たちと阿 〔おもね〕 る者たちによって。

訳について

 1行目 faction は現在とほぼ同じ意味だが、DMFには「集団を扇動する人々のグループ」という説明的な訳語も載っているので、「扇動者集団」とした。
 2行目 sous はその後に名詞を導いて「~の下に」を意味するが、この場合は1行目の「長い衣」が略されていると見る方が文脈には適合する。ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらはいずれもそう読んでいる。
 3行目は「公爵」の位置がやや微妙だが、ラメジャラーやシーバースの読みに従った。ジャン=ポール・クレベールは(1行目の党派が)「フィレンツェの公爵を奪う」というように読んでいる。diphlongue は diphtongue (二重母音)の誤植と見なした。エドガー・レオニはそのほかの可能性として、ギリシア語の diph-logos からとして「二重の語」(double word)を挙げている。
 4行目 immeurs は現代式に綴ると immûrs で、これ自体辞書にないが、mûr (成熟した)に否定の接頭辞がついたものであろう。ゆえに「未熟者、若者」の意味で、レオニ、ラメジャラー、シーバースらの英訳もおおむねこの線に沿ったものとなっている。
 同じ行の flangnards は辞書にない語だが、レオニは flaugnards と見なし、プロヴァンス語で「お世辞をいう人、ごまをする人」の意味とした。ラメジャラーもそのように英訳している。LTDF には確かにそのような語義としての flaugnard が載っている。
 シーバースは leech (蛭)と英訳しているが、根拠不明。マリニー・ローズは flanguard と見なして「側衛部隊」と理解した*1

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「ながい服の残忍な内紛」*2は転訳による誤訳。現代英語の faction には「内紛、内輪もめ」の意味があるが、フランス語にはない(DMFには「陰謀」や「軍事行動」の意味なら載っている)。
 2行目「やってきて短剣の先にかくれ」は、sous を直後の名詞とひとまとまりに捉える場合には間違いとはいえないし、かつてエドガー・レオニも似たような読みを提示していたが、現在も支持されている読み方といえるかは微妙である。
 3行目「フローレンスを包囲して公爵とながい皮は」は元になったヘンリー・C・ロバーツの英訳のほぼ転訳だが、diphlongue を「ながい皮」とするのは妥当性が疑問である。なお、ロバーツの底本になったテオフィル・ド・ガランシエールは英訳でもそのまま Diphlongue としており、ロバーツの根拠は全く不明である。
 4行目「臣下と農夫によって発見されるだろう」は、構文理解上は意訳の範囲といえるだろう。ただし、2つの名詞を「臣下」「農夫」とするのはロバーツの英訳のままだが、根拠不明(「臣下」は「お世辞を言う人」からの連想だろうか)。

 山根訳について。
 3行目 「大公 フィレンツェと二語の土地を奪う」*3の「二語の土地」は上で紹介したレオニの読みをチータムが転用したことを踏まえたものだろうが、「二語」(two words)と「二重の語」(double word)とでは、若干ニュアンスが違うようにも思われる。
 4行目「その発見をたすけるのは若者とおべっか使いの輩」は、「たすける」が原文にない。意訳の範囲かもしれないが、どのような状況と理解するのかにも左右されるだろう。なお、シーバースはその2種の人物に驚きがもたらされる(=見つけるつもりではなく、偶然に発見してしまった)という方向で意訳している。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、フィレンツェと公爵を狙った長衣の者たちの陰謀について予言したもので、それは壁のない場所に住む田舎者たちによって暴かれるとした*4。「壁がない」は immeurs を mur (壁)がない(im-)と理解したのだろう。flangnard を「田舎者」(countrey fellows / country fellows)とする根拠は不明。


 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は20世紀のうちに起こると想定していたアラブ人たちのヨーロッパ侵攻の一幕と解釈した。彼の解釈では diphlongue はギリシア語由来の造語で「二重の炎」、immeurs はラテン語の immoris に由来し「死ぬ」、flangnards は flanier の変形で「夢見る」としており、随分と詩の全体像が異なる(flanier なる単語は仏語にもラテン語にもなく、出所がよく分からない)*5
 息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)も近未来のアラブの侵攻とするのは同じだったが、語釈に若干の変更があり、diphlongue はギリシア語由来の造語で「二度燃やす」、immeur はラテン語由来の合成語で「法を持たずに」、flangneurs は古フランス語の flasnier から「騙す者」としている*6

 エリカ・チータムは1973年の時点では一言もなかったが、その日本語版(1988年)ではイスラームのシーア派によるヨーロッパの要人暗殺未遂事件が予言されているのかもしれないとする(おそらく日本語版スタッフによる)解釈が付いている。
 チータム自身は後の著書(1989年)で、前半はユリウス・カエサル暗殺の回顧的描写ではないかとし、後半は16世紀か17世紀のフィレンツェについての出来事ではないかとする解釈が付けられた*7

 セルジュ・ユタン(1978年)はムッソリーニによる権力の掌握と解釈した。ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、イタリア統一以前の公国同士の争いとする解釈に差し替えられた*8

同時代的な視点

 エドガー・レオニは「二重母音の場所」がフィエーゾレではないかとした上で、トスカーナ大公と結びついている可能性を示した*9

 ピーター・ラメジャラーは出典未特定としたが、「二重母音の場所」はフィエーゾレではないかとした*10リチャード・シーバースもフィエーゾレの可能性を挙げている*11

 実際のところ、フィレンツェと密接に結びつく「二重母音の場所」といえば、真っ先に浮かぶのがフィエーゾレではないだろうか。気になる点があるとすれば、ノストラダムスは『予言集』の中でフィエーゾレに言及する時は、古称ファエスラエの変形でフェジュラン (Fesulan, フジュラン) と呼んでいたことである。フェジュランの場合、二重母音を含んでいない。このあたり、ノストラダムス自身の常用語との整合性に細かい点ではあるが、少々疑問がなくもない。


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詩百篇第10巻
最終更新:2019年02月14日 02:18

*1 Rose [2002c]

*2 大乗 [1975] p.292。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 山根 [1988] p.324。以下、この詩の引用は同じページから。

*4 Garencieres [1672]

*5 Fontbrune (1938)[1939] p.228, Fontbrune (1938)[1975] p.242

*6 Fontbrune (1980)[1982]

*7 Cheetham (1989)[1990]

*8 Hutin (2002)[2003]

*9 Leoni [1982]

*10 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]

*11 Sieburth [2012]