「恐怖の大王=アメリカ同時多発テロ事件」説

 詩百篇第10巻72番には様々な解釈があるが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降、その事件の予言だったとする解釈が提示されるようになった。


【画像】五島勉『イスラムvs.アメリカ』

 ここでは主に『ノストラダムスの大予言』シリーズで知られる五島勉による説を紹介、検討する。

1999年7月から2001年9月までの五島のコメント

 五島は、1999年7月以降、マスメディアの取材や、自著での釈明において、返答を二転三転させていた。たとえば以下のごとくである。
  • 核兵器とか環境汚染とかが増えて、このままじゃダメだというギリギリの線まで来ていたのを、人類は何とか押しとどめて破滅を回避した(『SPA!』1999年8月11・18日号)*1
  • つまり核と温暖化と悪性紫外線だけでも、破滅の「恐怖の大王」の名にふさわしいものは、すでに実戦配備されているか、上空をすでに取り巻いているか、(あまり意識されないままに、なしくずしに)一部はすでに降ってきているかなのである。/ここからも、「恐怖の大王が降ってくる」というノストラダムスの見通しは、一〇〇%とは言えないが相当正確だったことがわかる。(五島勉『アザーズ』2000年4月刊行)*2
  • 「九九年にユーゴの中国大使館がNATO軍に誤爆されたでしょ」「あれは五月に起こった事件。例えばあそこでロシアが介入してきたりしたら、七月ごろに世界戦争の恐れもあったわけですよ」(『週刊朝日』2000年12月5日号)*3

 このように、「部分的になら的中した」とか「滅んでもおかしくない危機はあった」といったストーリーで押し切ろうという意図が垣間見えた。

 しかし、アメリカ同時多発テロが起こると、恐怖の大王は2年ズレたものの、テロ事件のことだったと主張しだした。

 そして、『イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言』(2002年)以降は、一貫してその主張に肉付けしていくことになる。

エリカ・チータムの扱い



【画像】チータムの『ノストラダムス予言集』

五島は、彼女をこう紹介している。

  • そして今から約三〇年前、原詩と彼女独自の英訳と解説をまとめたささやかな本を、やっと英国で出版することができた。/それは最初はほとんど注目されず、一年後に米国で再出版して少し注目されたことはされたが、そのあまりにも衝撃的な英訳と解説と内容を知った人々から、「こんなことはありえない、デタラメだ」とさんざん非難や嘲笑をあびた。*4

 チータムが「デタラメだ」と批判されたことがあるのは事実である。
 しかし、それは彼女の基礎知識不足に基づくデタラメな歴史記述などに対してであって*5、解釈の斬新さへのヒステリックな反発では全くない。
 しかもそれは1990年代になっての話であった。

 ほかにも、彼女の出典(明記されていないので盗用元というべきか)のひとつであるエドガー・レオニを正しく理解していないことによる誤りなども散見されるので、実証主義的には支持しがたい。

 ただし、そうした著書の質とは別に、彼女が信奉者的なノストラダムス解釈者の中で、成功した部類に入っていたのは間違いない。

 たとえば、日本語訳されたエリカ・チータム『ノストラダムス全予言』(二見書房、1988年)のカバー表見返しにはこうある。

全米で10週間連続ベストセラー第一位!
『ジ・アストロロジー』誌
本書は、エリカ・チータム氏が生涯をかけてまとめ上げた労作である。(以下略)
『サンデー・タイムズ』誌
古今東西最大の預言者であるノストラダムスの全予言を斬新な解釈と共に網羅した本書は、予言愛好家のみならず、全読書人の熱狂的な支持を得るだろう!

 「10週連続第一位」が事実かどうかは未確認だが、雑誌の書評については、わざわざ捏造するとも思えない。
 さんざん非難や嘲笑を浴びた、というのはあまり考えられない。

 ちなみに、チータムのThe Prophecies of Nostradamusは、当「大事典」で確認しているだけでも(重訳も含めて)、日本語版、中国語版、そしておそらくポルトガル語版、ハンガリー語版、ペルシア語版まで出ていた(ハンガリー語版はチータムの後の本を訳したものの可能性もある)。
 そうしたことからも、彼女が非難や嘲笑を浴びまくったという話は信じがたい。

本論

 さて、五島氏は、チータムが1972年の段階でアメリカ同時多発テロをおぼろげに見通していたとしている。彼はその証拠として、チータムが第10巻72番に登場する「恐怖の大王」を The Great King of Terror と訳したことを挙げている。

 このため、英訳する場合にも、エリカ以前の代々の英語圏の訳者たちは、この Un grand Roy d'effrayeur を、The great King of dread とか、The great dreadful King、もっとも一般的には The great King of fear と訳すのがふつうだった。(略)
 というわけで、この「恐怖の大王」の「恐怖」の英訳は、伝統的に fear か dread で決まり、または打ち止め。*6(強調は引用者)

 だから、テロという意味も持つ Terror という訳語を充てたチータムは斬新だったというわけだ*7
 しかも、チータムは1999年7の月を西暦2000年と解釈し、実際の2001年9月とのズレを少し埋めていることも強調している。

 この主張はテロ説の肝であり、五島は繰り返し主張している。

  • 彼女以外の英語圏の研究者たちは、これを以前から、The great King of Fear, The great king of Horror, The great dreadful King…などと訳すことが多かった。/しかしエリカは、そうした既存の英訳はどこか原文の真意と違う。ノストラダムスがこの原文に込めた真意は、彼女が考えた英訳でなければ表現できないんじゃないかと直感した。そしてためらわずThe great King of Terrorと訳すことにきめたのだ。(『未来仏ミロクの指は何を指しているか』)*8(強調は引用者)
  • これをそれまでの英語圏の研究者たちは、The great King of Fear, The great king of Horror, The great dreadful King…などと訳していた。/どれもまっとうな英訳だが、これでは意味が一般的というか、抽象的になってわかりにくいとエリカは感じた。自分はそれをなるべく避けたい。幸い、もっと内容をはっきり想像させる訳語が一つだけある。自分はそれを使おう、と。/それは何か? それはTerrorだ。(『ノストラダムスの大予言』電子版)*9

 しかし、チータム以前にも Terror をあてた者はいる。ここではチータム以前の英訳をいくつか引用しておこう。

 五島が紹介している dread(ful) だの、horrorだのと訳している論者は見当たらない。もっと詳しく探せば見つかるかもしれないが、一般的とは到底言いがたい。

 さて、確かに Terror と訳すことが一般的だったわけではないが、エリカ・チータムの重要な参照元であるレイヴァーとレオニが一致して Terror としているのが目を引く。

 田窪勇人はチータムの英訳がレイヴァーの転用に過ぎないと指摘している*17

 実際、原文 un grand Roy ... の un が不定冠詞であるにもかかわらず、a でなく the で訳している論者はそう多くない。
 レイヴァーの転用と見るのが自然であろうし、レイヴァーやレオニの解釈をあちこちで流用しているのに、この詩に限って一目も見ず、全く意識せず、自分のインスピレーションだけで導いたなどというのは、まずありえない。

 五島が語る、チータムがTerrorという訳語にたどり着いたストーリーは、単なる創作と見るべきだろう。

 そもそも五島は、チータムがテロを見通していた証拠として彼女による詩百篇第1巻87番などの解釈を紹介しているが、第10巻72番そのものの解釈には一切触れようとしない。
 それは『未来仏ミロクの指は何をさしているか』(青萠堂、2010年)、『ムー』2010年8月号のインタビュー、『ノストラダムスの大予言』電子版まえがき等でも一貫してそうしている。
 それはなぜかといえば、解釈そのものを引用すると、チータムが同時多発テロを見通せていなかったことが丸わかりだからだ。その解釈をここで引用しておこう。

  • In this gloomy prediction Nostradamus seems to foresee the end of the world at the Millennium, the year 2000. He was greatly influenced in this by medieval thinking which held all millenniums in great dread. From the verse it appears that first we must suffer the Asian antichrist 'the King of Mongols' before the advent of this new and terrifying figure. Note that Nostradamus expects war both before and after his coming.*18
  •  この悲観的な予言のなかで、ノストラダムスは西暦2000年のミレニアム〔訳注:この場合「千年紀の区切り目」〕における世界の終末を予見していたようである。彼は、すべてのミレニアムが大きな恐怖に包まれるという中世の思想の影響を強く受けていた。この詩からすると、この新たなる恐怖の人物の降臨に先立って、我々はアジアの反キリスト「モンゴル人の王」に侵されなければならないようである。彼の降臨の前にも後にも戦争があると、ノストラダムスが予想していることにも注意せよ。

 「モンゴル人の王」(モンゴロイドの王ではない)と解釈していることに注目しよう。同時多発テロを主導したウサマ・ビン・ラディンのどこがモンゴル人なのだろうか。

 見ての通り、チータムは恐怖の大王が来ることを「この新たなる恐怖の人物の降臨」と表現しており、(それに先んじて反キリストが出現するとしていることからも)イエス・キリストの再臨を念頭においていたらしい表現をしている。

 しかも、それが当たるとも言っておらず、単に中世の思想の影響を受けて予言されたものだとしか言っていない。

 これをどうこねくり回せば、エリカ・チータムは同時多発テロを約30年前に見通していた、という話になるのだろうか。

第1巻87番との関わり

 さて、五島は第10巻72番と関連付けて、詩百篇第1巻87番の解釈には触れている。
 五島は、チータムのその詩の解釈の見出し ATTACK ON NEW YORK?を「ニューヨークへの(上からの)攻撃か?」と訳したうえで、autour (~のまわりに)について、au tour に分けて tour を男性名詞ではなく女性名詞とみれば「塔」と訳せるとして、彼女がその可能性を指摘していたことにも触れている*19

 しかし、英語の前置詞onの基本的なニュアンスは「接触」や「付着」であって、上から接触するとは限らない。
 壁にかかっている絵や天井にとまっているハエにだってonを使うというのは、高校受験レベルの英語でも常識だろう。
 だから、ここでONひとつをもって「上からの」などと挿入するのは、明らかなミスリードと言える。

 なお、チータムは(五島自身、その点に少し触れているが)第1巻87番を第10巻49番と結びつけている。
 だが、その2つの詩をニューヨーク破壊と結びつける解釈は、ロルフ・ボズウェル(1943年)にすでに見られるので、チータムのオリジナルではない。

 だから、チータムのオリジナリティと言えそうなのは、au tour を「塔」と解釈して、摩天楼などと結びつける可能性を示した点くらいである。しかし、au tour は au(=à+le)が直後に男性名詞をとるため、塔を意味する女性名詞と解釈することはできない(女性名詞なら au tour ではなく、à la tour となる)。
 だから、語学的な妥当性の点では疑問である。

 そして何より、チータムが生涯最後に出したThe Final Prophecies of Nostradamus(1989年)では、この詩の英訳でも解釈でも「塔」という解釈の可能性は姿を消している。かわりに彼女が提示した解釈の出だしはこうである。

  • This quatrain talks of a "great explosion" near a new city, which normally in Nostradamus' writings refers to New York. But this particular verse seems to give a clear indication of a volcanic explosion.*20
  • この四行詩は、新しい都市近郊の「大爆発」について語っている。ノストラダムスの著作で「新しい都市」といえば、普通ニューヨークを指している。しかし、特にこの詩に関しては、火山の爆発を明確に示しているようである。(原文、訳文とも、強調は引用者による)

 そして、チータムは、セントヘレンズ山の大噴火(1980年)と解釈したのである。

 しかし、セントヘレンズ山はアメリカ北西端に近く、ニューヨークとはほぼ正反対で「近く」などない。そこでチータムは、ニューヨークにも噴火の降下物は飛んだという形でニューヨークに言及する一方で、セントヘレンズに近い「新しい」都市ニューバーグ(オレゴン州)も挙げているのである。

 アメリカ同時多発テロなど影も形もない解釈だが、これが彼女の最終解釈だったのである。エリカ・チータムが同時多発テロを見通していたというストーリーは、どう見てもありそうにない。

 とはいえ、スッ、スッと次から次へと話題を変えることで、第10巻72番の解釈そのものには触れていないことの不自然さを余り感じさせず、第1巻87番の解釈へとスイッチさせ、onだのtourだのといった単語を拡大解釈した曲解を長々と展開させても、読者を飽きさせずに読み進ませられるのだから、五島の筆力は、やはり凄いものではあるのだろう。

 ただ、それはもはやノストラダムスともチータムとも関係ないエッセイでしかない。

おまけ

 上で引用したように、五島は『イスラムvs.アメリカ』の時点では、1972年に英国で最初に出版され、翌年アメリカで再出版されたとしていた。

 しかし、当「大事典」ではそれを確認できない。この本の著作権表示を見る限りでは、1973年のニューヨークのネヴィル・スピアマン社の版が初版のはずである。

 おそらく、その前書きが1972年であったため、そこから勝手に話を広げただけではないだろうか。

 『未来仏ミロクの指は何を指しているか』以降は、なしくずしに「1973年」発行としているため、いずれにしても、1972年初版としていた話は、最大限好意的に解釈しても、単なる勘違いだったのだろうと思われる。


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最終更新:2021年09月13日 00:26

*1 『SPA!』1999年8月11日・18日号、p.136

*2 『アザーズ』2000年、pp.27-28

*3 『週刊朝日』2000年12月15日、p.165

*4 『イスラムvs.アメリカ』p. 6

*5 ex.ランディ[1999]

*6 『イスラムvs.アメリカ』 p.36

*7 『イスラムvs.アメリカ』、『未来仏ミロクの指は何をさしているか』、『ムー』2010年8月号

*8 同書p.82

*9 同書、電子版のためのまえがき

*10 Garencieres [1672] p.433

*11 Boswell [1943] p.337

*12 Lamont [1943] p.343

*13 Roberts [1949] p.336

*14 Laver [1952] p.235

*15 Leoni [1961] p.435

*16 Robb [1961] p.132

*17 米国旅客機同時ハイジャックによる無差別大量殺人とノストラダムスの予言

*18 Cheetham [1973] p.417

*19 『イスラムvs.アメリカ』pp.46-53

*20 Cheetham (1989[1990] p.100