ブノワ・リゴー

  ブノワ・リゴー (Benoist Rigaud, ? - 1597年)は、16世紀リヨンの出版業者。

生涯

 ミリベル(Miribel)の出身で、リヨンの古文書での最古の言及は1553年の「書籍商」(marchand libraire)としてのものである。彼の名義での出版物が確認できるのは1555年以降だが、1558年までは甥のジャン・ソグラン(Jean Saugrain)と共同で出版を行っていた。ソグランとの決裂の理由は信仰によるもので、プロテスタントに傾倒したソグランに対し、ブノワ・リゴーは一貫して王党派カトリックの立場を貫いた。

 ソグランと決別した時期に近い1559年頃には、最初の妻であった印刷業者コルネイユ・ド・セットグランジュ(Corneille de Septgranges)の娘ペルネット(Pernette de Septgranges)と死別した。その後間もなく、印刷業者アントワーヌ・デュメルグ(Antoine Dumergue)の娘クロディーヌ(Claudine Dumergue)と再婚した。

 ブノワ・リゴーの出版分野は非常に手広く、王令、カナール(瓦版)、文学作品など多岐に渡っていた。その印刷は下請けに出されることがしばしばで、ピエール・ルーサン(未作成)アントワーヌ・デュ・ローヌアンブロワーズ・デュ・ローヌ(未作成)ジャン・ピュロン(未作成)、ジャック・フォール、ピエール・ロラン、クロード・モリヨンらが請け負っていた。

 1568年には、アントウェルペンのピエール・ストルー(Pierre Strout)という偽りの名義でピエール・ド・ロンサール(未作成)の『当代の悲惨を論ず』を出したこともあった。

 1597年3月23日に没した。正確な享年は不明だが、かなりの高齢であったらしい。死後、事業は長男ピエール・リゴーらに引き継がれた。ピエールらは1601年頃まで「ブノワ・リゴーの後継者たち」という名義を用いていた *1

主な子ども

 リゴーの一族は18世紀までリヨン出版業界の大手として活動を続ける。なお、ブノワの最初の妻ペルネットとの間に子どもはなかったので、以下はいずれもクロディーヌとの子どもである。
  • ピエール・リゴー ブノワの長男
  • シモン・リゴー ピエールの弟の一人。
  • クロード・リゴー 同上。出版業者として活動した。
  • ブノワ(2世)・リゴー 1601年11月に逝去した。

ノストラダムス関連

 ブノワ・リゴーの最初のノストラダムス関連は、ノストラダムス2世の『予兆を伴う1565年向けの占筮あるいは転回』(1564年)である。

 その次に出したのが、ノストラダムス本人の『王太后への書簡』(1566年)である。ついで、『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の最初の完全版(1568年)を出版した。さらに、1572年には『化粧品とジャム論』の再版も手がけ、晩年にも1594年と1596年に『予言集』の再版を出したようだが、こうした本家ノストラダムスの文献と並行して、偽ノストラダムスや便乗した作家たちの著作も手広く手がけた。

 列挙すると、ノストラダムスの一番弟子1567年向けの真の占筮』(1567年)、著者不明 『年々ならびに永遠の占筮』(1567年)、ノストラダムス2世 『現在から1585年までの予言』(1574年)、アントワーヌ・クレスパン 『いとも高貴にして敬虔なキリスト教徒たるフランス王シャルル9世に捧げられた書簡』(1571年)、『フランスの帝王シャルル9世の母后に宛てた書簡』(1573年)、同『彗星の予兆と影響を提示するための、国王ならびに世紀の哲学論争の当事者たちに宛てた書簡・リヨン版』(1578年)、同『1581年向けの驚異の大占筮』(1581年頃)、コルモペード(未作成) 『1594年向けの暦』(1593年)などである。


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