百詩篇第6巻100番

原文

Fille 1 de l'Aure 2 , asyle du mal sain,
Ou 3 iusqu'au ciel 4 se void l'amphitheatre 5 ,
Prodige veu, ton mal est fort prochain,
Seras captiue, & des 6 fois plus de quatre.

異文

(1) Fille : Fill 1672
(2) l'Aure : Laure 1672
(3) Ou 1594JF : Où T.A.Eds.
(4) ciel : Ciel 1672
(5) amphitheatre : Amphitheatre 1672
(6) des : deux 1650Le 1668

(注記)補遺篇としての100番であることから、1594JFを底本としている。収録している版が限られていることから、原文比較には、1605, 1628, 1649Xa, 1649Ca, 1650Le, 1668A, 1668P, 1672 しか用いていない。

校訂

 2行目 Ou は Où になっているべき。

日本語訳

アウラの娘であり、不健全な者が避難する場所、
そこでは天を衝く円形劇場が見える。
驚異が見られ、汝の災いが切迫して近づいている。
汝は囚われるだろう、四回以上も。

訳について

 大乗訳1行目「ウララの娘 病いの聖なる床が」 *1 は、元になったヘンリー・C・ロバーツの英訳 Daughter of Laura, sanctuary of the sick *2 と比べても明らかにおかしい。「ウララ」は「ラウラ」の単純な誤植だろう(しかし解説欄にも「ウララ」とあるのが引っかかる)。sanctuaryを「聖なる床」と意訳している根拠は分からない。あるいは「聖なる所」の誤植かもしれないが、いずれにしてもこの場合のsanctuary は原語 asile に照らせば宗教上の「聖域」の意味でないのは明らかであり、不適切。

 上の訳の2行目「天を衝く」は直訳すれば「天まで」で、エドガー・レオニの英訳では「地平線に」(on the horizon)となっている。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、「アウラ(Aura)の娘」を恒常的に微風が吹く町オランジュ(未作成)と理解している。「不健全な者の避難所」とは、宗教戦争当時、プロテスタントがオランジュに多く避難していたことを表現したものだという。オランジュは宗教戦争中に何度か略奪や襲撃に遭っており、シャヴィニーは1562年と1573年の項目でこの詩を紹介している *3

 テオフィル・ド・ガランシエールは、アウラ(l'Aure)をラウラ(Laura)と読み、ペトラルカが報われぬ愛を捧げた女性ラウラのこととしている(大乗訳で「妻」とされているのは誤訳)。ガランシエールは、彼女の出身地がニームだとして、その町のことと解釈し、後半2行は16世紀の宗教戦争期の描写としている *4 。ロバーツはガランシエールの英訳と解釈をほぼそのまま引き継いでいるが、後半2行をフランス革命に結び付けている *5

同時代的な視点

 エドガー・レオニが指摘する様に古代ローマの円形劇場が残る都市は他にもある。しかし、この場合はオランジュと見てよいだろう。発音上もオル(Aure)はオランジュ(Orange)との言葉遊びになっている。そのためかどうか、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーはオランジュを Aurange と綴っている。

 この詩はシャヴィニーが1594年に公表した。それ以前には百詩篇第6巻に100番は存在せず、100番目には「愚かな批評家に対する法の警句」と題されたラテン語の詩が置かれていた。このことからすれば、この詩は事後予言として偽造された可能性も想定されるべきだろう。
 なお、第11巻第12巻もシャヴィニーが最初に公表したものだが、それらは17世紀以降リヨンで出版された多くの版にも採用された。それに対し、この詩を採用した版は極めて限定的であり、その分、あまり解釈されることもなかった。

 本物だとすれば、最初の2行が冗長に感じられる。ほかの都市で丸々2行かけて婉曲に表現したケースはないはずで、いささか不自然なのである。なお、ノストラダムスの百詩篇と予兆詩には数多くの都市名が登場しているが、どういうわけかオランジュは(直接的には)一度も言及されていない。何か意味があったのか、単なる偶然だったのか、よく分からない。


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