百詩篇第2巻61番

原文

Euge1, Tamins2, Gironde & la Rochele,
O sang3 Troien !4 Mars5 au port6 de la flesche7
Derrier8 le fleuue9 au fort10 mise l'eschele11,
Pointes12 a feu13 gran14 meurtre15 sus la bresche.

異文

(1) Euge : Enge 1588-89 1600 1610 1716, Agen 1672
(2) Tamins : Tonneins 1672
(3) O sang : Osang 1649Ca
(4) Troien ! 1555 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : Troien T.A.Eds.
(5) Mars 1555 1627 1644 1650Ri 1653 1840 : Mort 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1597 1605 1611 1628 1649Xa 1772Ri, mort 1588-89 1600 1610 1649Ca 1650Le 1668 1672 1716, Marts 1665
(6) port : Port 1672
(7) la flesche : le fleche 1589Rg, la Flesche 1644 1653, Flesche 1665
(8) Derrier : Dernier 1627 1665, Derriere 1589PV 1649Ca 1650Le 1668
(9) fleuue : Fleuve 1672
(10) fort : sort 1588Rf 1589Me, Fort 1672
(11) l'eschele : leschelle 1672
(12) Pointes : Portes 1588-89
(13) a feu 1555 1840 : à feu 1627 1644 1650Ri 1653 1665, feu T.A.Eds.
(14) gran 1555 1840 : grand T.A.Eds.
(15) meurtre : mettre 1588-89

校訂

 1行目 euge をピエール・ブランダムールは、いくつかの異文に見られるようにenge と校訂している。文脈からはその方が好ましいと判断できる。
 4行目 pointes à feu は「火縄銃」を意味する成句なので*1、a は à となっているべきである。

日本語訳

テムズ川(未作成)ジロンド川(未作成)ラ・ロッシェル(未作成)を増長させる。
おお、トロイアの血よ! マルスラ・フレシュの港に。
その川の裏手で砦に梯子が取りつけられ、
壁の裂け目では火縄銃で多くの死者が。

訳について

 山根訳1行目「でかした!テムズの人びと ジロンド ラ・ロシェルよ」*2は、euge を採用した訳としては正しい。2行目「おお!トロヤの血は湾で矢を受けて殺された」も、1568年版の原文である O sang Troyen mort au port de la flesche の訳としてなら許容されるものである。大乗訳の1、2行目も採用した原文の訳としては概ね許容される。

 なお、2行目後半は La Flescheを地名と見ずに一般名詞の「矢」と捉えれば、星位を表している可能性もなくはない。その場合、ジャン=ポール・クレベールが指摘する様に port を bord と読み替えるなどする必要はあるが「火星が人馬宮の縁にある」などと訳すことになるだろう。

 山根訳後半「川の向こう側で梯子が港に立てかけられ / 閃光 裂け目での大虐殺」は不適切。fort(砦)と port(港)を見間違えたか。また、pointes à feu(火縄銃)を「閃光」としているのも正しくない。
 大乗訳後半「川を越えて はしごはとりでからあげられ / 拠点 火 大いなる殺害が不法のもとに」*3も不適切。「砦から上げられ」は単なる誤訳。もとになったヘンリー・C・ロバーツの英訳では Beyond the river, the ladder shall be raised against the fort*4と正しく訳されている。「拠点 火」が「火縄銃」の誤訳というのは山根訳と同じ。「不法のもとに」はロバーツの英訳の upon the breach を訳し間違えたものだろう。

信奉者側の見解

 エリカ・チータムは上で見たように2行目を「おお!トロヤの血は湾で矢を受けて殺された」と訳している関係上、フランスの王族(「トロヤの血」)が湾で殺されたという史実がないことを述べている*5

 セルジュ・ユタンは、リシュリューによる1627年のラ・ロッシェル攻囲の予言と解釈した*6

同時代的な視点

 詩の情景は分かりやすい。イングランドがボルドーやラ・ロッシェルに援軍を送り、その戦火はロワル川(la Loir / Loire の支流)沿いのラ・フレシュにも拡大する。そして、ロワル川沿いの砦にも敵兵が押し寄せて来る(城や砦に梯子を掛けるのは攻城の一手段)。その中で城壁の裂け目では火縄銃が使われ、狙撃された人々が多く死ぬ、ということだろう。なお、ラ・フレシュの砦は1537年に建造されたものだという*7

 ボルドーやラ・ロッシェルにイングランドの援軍が来るというモチーフは、百詩篇第2巻1番と似ている。ピーター・ラメジャラーは、これらの詩を1548年にボルドー周辺で起こった反塩税一揆と結び付けている。この一揆では、イングランドが反乱側を助けるのではないかと懸念された*8
 結果的にそうならなかったが、ノストラダムスがこの詩を書いたのはその5年ほど後でしかなく、先行きの不透明さを感じていたのではないだろうか。

 なお、「トロイアの血」(sang Troyen)がフランス人を指しているとするのは、実証的な側からも支持されている*9。この場合は、フランス人に対し、イングランドの動きを警戒するように注意喚起したものか。



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百詩篇 第2巻
最終更新:2009年09月20日 11:43

*1 Brind’Amour [1996]

*2 山根 [1988] p.100.以下この詩の引用は同じページ

*3 大乗 [1975] p.86

*4 Roberts [1949] p.63

*5 Cheetham [1990]

*6 Hutin [1978] / Hutin [2002/2003]

*7 Clébert [1982]

*8 Lemesurier [2003b]

*9 Brind’Amour [1996]