詩百篇第10巻74番


原文

An1 reuolu2 du grand nombre septiesme
Apparoistra au temps Ieux3 d'Hacatombe4,
Non esloigné5 du grand eage6 milliesme7,
Que les8 entres9 sortiront de leur tombe10.

異文

(1) An : Au 1590Ro 1611 1627Di 1653AB 1665Ba 1720To 1840
(2) reuolu : reuole 1605sn, reuolte 1649Xa
(3) temps Ieux 1568A 1568B 1772Ri : temps Ieuz 1568X 1590Ro, temps ieu 1627Di, temps 1667Wi, tems jeux 1697Vi 1720To, temps ieux T.A.Eds.
(4) Hacatombe 1568X 1568A 1568B 1590Ro 1772Ri : Hecatombe T.A.Eds.
(5) esloigné : eslongné 1568X, esloigne 1590Ro, éiogné 1627Ma, esloignez 1672Ga
(6) eage/aage : d’âge 1716PRb
(7) milliesme : millesme 1716PR
(8) les(vers 4) : le 1716PR
(9) entres 1568X 1568A : entrés 1568B 1568C 1772Ri, enterrez 1590Ro, entrez T.A.Eds.
(10) tombe : tumbe 1627Ma 1627Di, tombeau 1650Mo, Tombe 1672Ga

校訂

 1行目冒頭を an とするか au とするかだが、ピエール・ブランダムールジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーらはいずれも au を採用している。

 2行目の Hacatombe は1568年版の中でも分かれている様に、Hecatombe の方が正しい。

 4行目 entres は明らかにentrés(入れられた者たち)の方がよい。アナトール・ル・ペルチエが entrés を enterrés の語中音消失と理解していたように、意味の上からは1590Ro に見られる enterrez(enterrés, 埋葬された者たち)の方がなお良い。

日本語訳

七番目の大きな数が巡り終わると、
ヘカトンベの競技の時期に生じるだろう、
千年紀の大きな年代から遠からずして、
被葬者たちが墓から出てくるだろうことが。

訳について

 上の「校訂」でも述べたことだが、1行目は an か au かで意味が異なる。ここでは auで訳したが、an を採るなら「七番目の大きな数が巡り終わる年(の)」とでも訳すことになるだろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは最後の審判と結び付けており、後の時代の信奉者にも類似の解釈を採る者たちが少なくない。ただし、細かい年代の解釈に差異はある。

 例えば、ヘンリー・C・ロバーツは7000年に最後の審判があると解釈した*1。しかし、後の改訂版では、西暦2007年に死者たちが生き返るという解釈に差し替えられている*2

 大川隆法(未作成)はノストラダムスの霊言(霊からの伝言)と称するものの中で、ノストラダムスの霊自身から示された解釈とするものを披露している。それによれば、この詩は大川が多くの歴史上の有名人の霊言を出版するようになったことを予言したものだといい、4行目は霊言を比喩的に示したものだという*3

同時代的な視点

 信奉者だけでなく、実証的な論者も「最後の審判」がモチーフの基底にあることは認めている。

 ピエール・ブランダムールは、「千年紀の大きな年代から遠からずして」「七番目の大きな数が巡り終わる」時というのは、8千年紀に近い7千年紀の終わりを指しているとしている。そして、「ヘカトンベの競技の時期」とはヘカトンバイオン月の頃に行われていたらしい古代オリンピックのことで、その時期、つまり夏に死者の復活があると予言したものだとしている*4

 ラメジャラーは、その年代観などに『ミラビリス・リベル』やリシャール・ルーサらの影響があると指摘している*5。ただし、ラメジャラーも指摘するように、第一序文(セザールへの手紙)で示されていたルーサの年代観をここでそのまま適用することはできない。それに従うなら、7千年紀の終わりが西暦1800年頃になってしまい、1999年に代表される他の詩と整合しないからである。この辺りについては、今後更なる研究の深化が望まれるところであろう。


※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。


コメントらん
以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。
 なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。

  • ラメジャラーの指摘では1828年だが、千年単位からしたら遠くない22年後の1850年、シナ・清王朝には、キリスト教に影響された洪秀全が太平天国の乱を起こしている。翌年に彼は天王(天帝の子)と称した。この内乱で二千万人が死んだという。シナ人は憎んだ相手の墓まで暴くと言う通り、彼の墓も暴かれ焼かれたという。欧州の地名が書かれていないのは、アジアやアフリカでの予言と見ている。 -- とある信奉者 (2013-04-10 23:40:22)

タグ:

詩百篇第10巻
最終更新:2019年11月11日 02:45

*1 Roberts [1949]

*2 Roberts [1982]

*3 大川『ノストラダムスの新予言』角川文庫

*4 Brind’Amour [1993] p.195

*5 Lemesurier [2003b]